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朝の時間が好きなことについて

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


僕は朝の時間が好きである。

雪よせでかなり早く起きる冬(4時)以外は、いつもだいたい、朝5時には起きる。

早起きが習慣になったのか、あるいは年を重ねたからなのか(多分そうだ)はわからないけれど、割とパッと目が覚めて、そのまま二度寝もしないで起きることができるようになった。

朝起きてからのルーティンも、ある程度は決まっていて、起きたらまず廊下に出て、窓の外を眺める。

天気の良い日だと、ちょうど太陽が顔を出し始めて「ああ、今日も1日が始めるなあ」という新鮮な、なんだかスッキリとした気持ちになる。

それから着替えて(パジャマとか部屋着だとダラダラしてしまうので)布団をたたんで、トイレに行き、顔を洗い、歯を磨く。

その後は白湯を飲みながら軽くストレッチして、「今日は何しようかなあ」とちょっと考えながら、やることのリストを紙に書き出す。

メールをチェックして、あとは今日の分のエッセイにとりかかる。

6時くらいになったら、猫にご飯をあげて水をかえて、洗濯をする。

その後は、ラジオ体操をして、廊下のモップがけ、トイレ掃除をゆっくりとする。

そのうち洗濯ができあがるので、洗濯を干す。

洗濯を干したら、お湯を沸かしてから、ゆっくりとコーヒーをいれる。

ちょっとひと息ついて、エッセイの続きを書くか、エッセイが書けていたらラジオの収録を始めるのがだいたい8時くらいになるので、ここまでが朝の時間のルーティンになる。

僕は朝ごはんを食べないので、割とゆったりめにいつものルーティンを、ひとつずつこなしていく時間がとても好きである。

学校だったり会社に行っていた頃は、朝から準備やら何やらでバタバタして家を出るという感じだったけれど、そういう時を経験して今思うのは、こういう朝の時間を自分のペースで、誰にも何にも急かされることなく過ごせるということは、何よりの贅沢なんじゃないかということである。

お金と時間どっちが欲しい?と聞かれたら、僕は迷わず時間と答える。

もちろんお金もある程度は必要ではあるけれど、どんなに大金持ちの人でも、平々凡々な僕でも1日は24時間である。

だから贅沢というのは、どれだけお金をかけて大きな家を買ったり高級な車に乗ったり、豪勢な食事をするということではなくて、「自分の好きに使える自由な時間がある」ということなんじゃないかと僕は思う。

仮に、僕がものすごーいたくさんのお金を持っていたとしても、朝早くからスケジュールでいっぱいで、自分がほっとひと息つく暇もない人生だったら、お金をたくさん持っていてもしょうがないんじゃないかと思うし、人生をきっと楽しめない。

そして僕はそもそも、いわゆる贅沢に興味がない。

住む家は今の家で満足しているし、さらに理想としては、もっと小さい小屋とかタイニーハウスに住んでみたいというくらい、コンパクトで質素な住まいに興味がある。

あとモノはシンプルで長く使えて、実用的なモノが必要なだけあればいいし、車も軽トラックが最高だと思っているし、服も2、3セットで着回しても全く困っていないから、服がやぶけるまでは買わないし食事も1日1〜2食、ほかほかのご飯が食べられたら十分である。

そんな感じなので、贅沢をするとすれば、「自分の限られた時間を自分の好きなように使える」ということであり、それが1番にできるのは朝の時間になるわけである。

朝、自分の起きたい時間に起きて(朝の時間が楽しみで早く起きるけれど)「今日は何をしようかなあ」というまっさらな気持ちで「今ここ」を感じながら、自分のペースで、自分で決めたことをやりながらゆっくり過ごす。

こんな幸せなことはないなあと毎日のように感じるし、そういう、ゆったりと朝の時間を過ごすという贅沢に感謝してこれからも暮らしていきたい。




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