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自分のつくったものに値段をつけることについて


(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


前にもちょっと書いたけれど、自分がエッセイで描いたイラストを順番に形にしていこうと思いついてから「小さなイラスト集」シリーズ(になればの話だけど)をつくることにして、今そのひとつ目をつくっているところである。

そしてつくるところまででも十分に楽しいのだけれど、これを販売してみたらさらに楽しそうだという更なる思いつき、もしくは直感によって「そうだなあ、ネットショップもつくったし販売してみよう」とワクワクしているところである。

とはいえ、そこでふと「販売するということは値段をつけるんだよな」ということに気づいた。

なんというか、自分がつくったものを形にするだけでもとても楽しいのに、それを自分のお店で販売するなんて楽しすぎるじゃないかと、ひとりで妄想して満足していたのだけれど、販売するのであれば、売れるにしても売れないにしても値段をつける必要がある。

僕はこれまでに、自分で何か商売をしてきたわけではないので、そもそも「値段をつける」という経験が、全くと言っていいほどにない。

まあ、ちょっと前にこのnoteで初めて有料で記事を販売するという経験をした時に、自分の文章に値段をつけたわけだけれど、その時はなんとも不思議な気持ちになったのをよく覚えている。

自分のつくったもの、あるいはサービスに値段をつけたことがある人はわかると思うのだけれど、いわゆる「自分の商品に値段をつける」というのは、まあ悩むものだなあということが自分で経験して初めてわかった。

これまで「値段をつける」ということをしてこなかったのだから、そりゃまあそうなのだろうけれど「はて、このイラスト集をいくらにしようか?」ということと、今向き合っているわけである。

とはいえ、こういうのは悩んでもしょうがないというのか「これが正解」というものは、ないんじゃないかと思っている。

価値というものがそもそも、あいまいというか流動的なものだし、その値段を払ってでも欲しいと思ってくれる人には、実際にそのくらいの価値があるということだろうし、僕が何かを買う立場で考えた時も「値段で買う」というのではなくて、「その人だから買う」ということが多い。

まずそもそも、その人のファンで、その人がつくったもの、あるいはサービスのファンであれば、それが普通に買うよりも高いとしても、その人の活動の応援にもなると思えば嬉しいし、僕がこれまで知り合った人たちのつくったものや、サービスにお金を払わせていただいたけれど、値段で迷ったということはない。

あと、自分の記事を初めて有料で販売した時には、確か1番安い値段で設定したのだけれど、その時なんというか自分でも不思議なのだけれど「自分のつくったものに、この値段をつけるのか?」みたいな気持ちになったというか、そんな声が聞こえた気がしてちょっとびっくりした。

自分が初めて有料にした記事には、自分のつくったものに対する自信のなさもあって、100円の値段をつけたのだけれど、なんというかその記事に申し訳ない気持ちになった。

やっぱり自分がつくったものだから愛着があるし、事実その文章も書いてよかったなと思うし、下書きにしまっておこうとしていたのだけれど、こうやって外に出してよかったとも思っている。

なんというか値段をつけるというのは、相場がこのくらいだからとか、高いと売れないんじゃないかとか、そういうことではなくて、ただただシンプルに「自分のつくったもの、サービスへの愛」これしかないんじゃないかと僕は思う。

まあこういうことを書いている時点で、僕はビジネスには向いていないのかもしれないけれど(とほほ)、それでもこうやって「自分の作品に値段をつける」ということに向き合うことで、初めてそのことに気づくことができた。

やっぱり、自分がつくったものは好きだし、愛着がある。

そしてそれを誰かと共有できること、さらに反応してもらえることにも、なんとも言えない喜び、嬉しさがある。

だからイラスト集を販売するにしても、うまく言えないのだけれど、買ってくれた人がまず嬉しくて、買ってもらえた作品も嬉しくて、僕も嬉しい、そんなふうになればいいなと思っている。

値段については僕と作品とで相談しながら、どちらもワクワクしてオッケーという値段にしよう、ということだけ考えて決めようと思っている。

まあ自費出版だから、そもそもたくさんはつくれないのだけれど。



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