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改めてこれからの自分の「食」を見直してみることについて

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


人間が生きていくのに必要なものとして「衣食住」があるわけだけれど、僕はなんというか「自分にとっての衣食住はどういうものだろうか?」と考えるのが好きである。

衣食住の「衣」つまり着る服に関していうと、これまでにいろいろと試行錯誤してみて、今はちょうどいいというか、必要最低限の数の服が春夏秋、そして冬用とあるから、ここしばらくというか数年は服を買っていないし、何か買うにしても靴下に穴があいた時くらいになっている。

そして衣食住の「住」つまり住むところにしても、ありがたいことに住む家があるし、電気、ガス、水道も使えるし、暖房も冷房も使える。

さらにトイレもキッチンも、お風呂もある。

だから何も言うことはないくらいに生活に困ることはない。

家族のモノには口や手は(できるだけ)出さないようにしているから、自分のモノを定期的に見直して(これはもう趣味とも言える)服と同じように基本的に必要なモノ、道具を残すようにして、部屋もスッキリといつでも居心地がいいようにしている。

なので衣食住の「衣」と「住」に関しては、ほぼほぼというかだいぶ決まってきたというのか、モノが少なくなる、シンプルになることはあっても増えるということはこれからはなさそうである。

そうなるとあとは「食」になってくるわけだけれど、僕としては「食」も「衣」と「住」と同様に、できるだけ必要最低限というのか、シンプルなものにしていきたいと考えている。

とはいえ、特に「あれは食べてもいい、これは食べてはダメ」というのは決めていない。

僕は自分をカテゴライズしたくないというのか、まあ信念がないというのか「僕はこれは食べません」みたいなことはしなくていいやという気持ちでいるし、「食べても食べなくてもどっちでもいい」というニュートラルな方が、心地がよいと感じている。

なんというか頭で「ああ、これは体に良くなさそうだから食べちゃダメだ」とか「これは体にいいだろうから食べよう」みたいに考えて食べるのではなくて、シンプルに体が求めているもの、もちろんその時のコンディションで変わることはあるだろうけれど、食べたいなあと感じたものを食べたら大丈夫じゃないかと、のんきにかまえている。

とはいえ、ここ最近の自分の食生活はちょっと乱れていたなあというのか、まあ家族で出かけることも多かったというのもあるし、いろんなイベントに行ったというのもあって外食も行ったし、道の駅とかでおいしそうな「おやき」とかを見つけると、つい買って食べてしまう(ものすごくおいしかった)こともあった。

ただ体にちょっと負担はかけてしまったかもしれないけれど「ああ、食べ過ぎてしまった…」みたいに思うことは全くなかった。

外食で食べたものにせよ、道の駅で買ったり、どこかのイベントの出店で買って食べたものにせよ全部おいしかったし、幸せを感じたから、その時に食べたいなあと感じたものは、やっぱり食べた方がいいなあと思う。

ただ、いつもそんな感じだとさすがに体にも負担をかけるだろうから、いつもの基本的な食事はシンプルにして、飽きないものをちょっと食べるくらいにして、たまに家族と出かけた時とかに何か食べるくらいが、ちょうどいい。

前にも書いたかもしれないけれど、僕はいろいろと試してみたけど、1日1食でも特に問題ないとわかってからは、基本的に1食にしている。

食事の内容に関しては、理想としてはご飯、漬物、みそ汁というシンプルなものでいいなあと思うし、いろいろおいしいものはたくさんあるけれど、やっぱり飽きないのはシンプルな食事になるのかなと思う。

なので、改めて自分の食事をご飯、漬物、みそ汁というシンプルなものへちょっとずつシフトしていこうかなと考えている。

もちろん、日によってはお肉とか魚を食べる日もあるかもしれない。

とはいえ自分にとっての基本な食事が決まっていると、なんというか食べることに関してそんなにかまえなくてもいいというか、ご飯、漬物、みそ汁であれば自分でご飯を炊いて、漬物はぬか漬けなんかを自分で漬けてつくっておいて、みそ汁はお椀にみそと何か野菜を入れてお湯をそそげばそれで十分にできる。

だから、なんというか自分の食べる食事は自分でつくれるという自信がつくし、なんか何があってもなんとか生きる力みたいなものが、自分にもちょっとあるように感じる。

食事というのは、まあ生きるためにある程度は必要なことであり、大きな楽しみのひとつでもあるのだろうけれど、そこもいいバランスをとりながら世間一般的ではなく自分にとってちょうどいい「食」を見つけていきたい。


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