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【旅立ちの日】4月1日からフリーランスの社会福祉士になります

僕が住んでいる長崎市はちょうど桜が満開で、場所によっては桜吹雪が舞い散る中、心地良い春風が吹いている。とても過ごしやすい季節です。

そんな陽気な季節になったからか、ふと、noteを開いてみました。最後のnote更新が2021年4月13日。ちょうど2年ぶりに帰ってきたことになります。我ながら放置しすぎました。

今回noteを更新しようと思い立ったのは、明日(2023年4月1日)からフリーランスの社会福祉士としてスタートするから。元々このnoteは、僕の思いつきを1000字程度で書き殴ることをコンセプトとしています。よって、今回の人生の大転換においても、僕にとっての回想と決意を語るのは丁度良い媒体と思いました。

【回想】人と環境に恵まれていた9年間

見出しの通りですが、人と環境に恵まれていたな〜と振り返ります。

僕の社会福祉士としてのキャリアは、2014年4月7日から始まりました。それまでは1部上場のアパレルブランドのバイヤーと福祉用具の営業マン。営業時代に地域包括支援センターの社会福祉士に憧れて、4年間の通信大学へ入学しました。3年次からはほぼ毎月スクーリング。そして1ヶ月の相談援助実習。仕事との両立はとてもとても大変でした。

晴れて社会福祉士としてキャリアスタートしたのが、回復期専門の医療機関。「社会福祉士として働き始めるなら、この病院がいいな〜」と期待を寄せていたところ、同院のMSWから声を掛けてもらい、あっという間に内定をいただきました。ここまで32歳。

32歳から全く新しい職種としてスタートしたわけですが、内心ビビっていました。それは畑違いの今までのキャリアは通用しないだろうと思っていたから。そして医療機関という、非日常的な空間と資格による階層(hierarchy)社会によって、見えない圧力を感じていたのかもしれません。

MSWの経験は6年でしたが、精神と時の部屋のように、とても圧縮された経験をしました。社会福祉士のスタートがこの医療機関でよかったとつくづく思います。なぜなら、システムとして社会福祉士に役割があり、活躍しなければならない土台が出来上がっていたから。要は環境が整っていたということ。僕の持論ですが、人は環境に左右される生き物だと捉えています。もちろん「個」の力(マインドや技術など)は大事ですが、それも環境が影響していることが大抵です。だから、社会福祉士として学び、苦しみ、活躍できる環境になっていた医療機関において、僕は社会福祉士として大きく成長できたと思っています。

その後、介護老人保険施設から地域包括支援センターと渡り歩きました。共に1年半づつ。老健では医師との軋轢が生じ、道半ばで挫折。無理に組織改革に着手したツケだったのでしょう。ここでも環境が整わなければ、どんなに志が高くても、そして世間が「良いこと言うね」と捉えても、思ったようにはいかないことを学びました。

反面、地域包括支援センターでは今までのキャリアを、思う存分発揮できたのではないかと。MSWでは医療機関の特徴、多職種との連携方法、在宅復帰における環境調整などの経験、老健相談員では施設の特徴、施設間との連携方法などの経験。それらの経験を引っさげて地域包括支援センターへキャリア転向したのは、在宅だけではなく高齢者の「生活全般」をある程度理解できており、さらに壁にぶち当たっても様々なルートから助言・アドバイスをもらえる人脈構成ができていたから。いわゆる「即戦力」として活躍できたと自負しています。

さらに地域包括支援センターでは、高齢者だけでなく、高齢者を取り巻く「地域」にも入り込むことができた。これは包括職員でなければ、なかなか実現できなかったこと。自治会や民生委員などから、リアルな地域課題や工夫している点などを直接訊けたのは、僕にとって大きな財産となりました。

しがらみなくソーシャルワークをしたいと決意

回復期病院→老健→包括を社会福祉士として歩んできた。いや、駆け抜けてきたのかもしれない。ここまで41歳。本業以外に、基礎研修講師や長崎県社会福祉士会の副会長など、貴重な経験をさせてもらいました。やはり環境によって人は成長もするし、その逆もあるんだということ。

僕はいつも環境を探し、さらに環境を作っていくことも意識して生きています。それは決して楽な環境に身を置きたいのではなく、「雲外蒼天」のように、「困難を努力して乗り越えた先には、明るい未来がある」といった感覚で環境を捉えている。だから敢えて難しい環境に行くこともしばしばです。

そのような中で、地域包括支援センターは管轄内の高齢者支援や介護予防を行う機関であり、管轄外になると別の地域包括支援センターへ引き継がなければなりません。地域内においても縦割り感があるわけです。これはしょうがいないのですが、もっと自由に、もっとアグレッシブに、地域に対する支援はできないものかモヤモヤしていました。

よって、出した結論が「フリーランスの社会福祉士」。
きっかけは上記のようなモヤモヤもありますが、受講した「まちづくりの学校」も影響しています。ただ、フリーランスで何をしたいかと言われたら、下記の一言につきます。

「全てはクライエントのため」

クライエントは時として「本人」「家族」「地域」「社会」など、様々な主語に変化します。そしてニーズによっては複雑性を増します。その中に利害関係や忖度しなければならない場合もあるでしょう。カメレオンのように色を変えつつ、上手く立ち振る舞わなければない時もある。しかし忘れていけないのは、「クライエントのため」に行動をすることです。

そのマインドで実行しようとするとき、どうしても組織に属していると、しがらみが生じてしまう。僕は組織とは別のカテゴリーでソーシャルワークをしたいと思います。今まで組織の中で社会福祉士のジレンマを抱えてきた者だからこそ、組織では手が届かないソーシャルワークを展開したいです。

明日からガラリと生活が変わります。今日は決意を新たにnoteを更新できてよかったです。正直不安だらけですが、人生一度きり。許容範囲は守りつつ、やりたいことをやった方が楽しいと思います。仕事を楽しむことで、それが波及し周囲に伝播していく。それもソーシャルワークの一つだと捉えています。

新しい環境を満喫したいと思います。
これからも応援いただけると幸いです。


2023年4月1日より「社会福祉士事務 FLAT」として開業します。
主な事業は下記の通りです。

  • 成年後見人等の受任

  • 相談援助職向けの研修及びサロン開催・講師

  • 地域住民向けの勉強会または講話

  • 高齢者サロンの取材・執筆

  • 外部委員の受任

  • 医療・福祉向けのWebライティング

  • 各分野の福祉に関する相談

お仕事のご依頼や質問などは、「flat.hirahata@gmail.com」へお気軽にお問い合わせくださいませ😌




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