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定期試験から学びを考える

これまでの学校教育(ここでは主に中学高校を指す)では、「定期試験」が当たり前で、中高生にとってはこの時期ほど憂鬱な時期はない。今回は、この定期試験について考えてみたい。

遡って考えてみると、小学校のときは各単元が終了したタイミングで理解度を確認するテストがあったと記憶している方は多いのではないだろうか。中学生になると試験数が減り、一瞬喜びを味わうが、ひとたび定期試験をうけると「回数が減ったとこと」=「喜び」ではないことに気づかされる。当然、試験範囲が広く、試験の時期が近づくと徹夜をしたり、場合によっては間に合わないがためにヤマをはってみたりする。果たして、中高生世代にこのような「定期」試験は有効なのだろうか。

近年、定期試験では力はつかないという判断のもと、「定期試験撤廃」という学校も出てきた。まだ定期試験が一般的ではあるが、この波はどこまで勢いを増していくのか興味がある。

【教師目線】

ただでさえ事務作業・部活動・生徒対応・保護者対応など多忙を極める労働環境で年間5回(または4回)の作成でも相当な労力がかかる仕事の一つである。理由として考えられるのは、

1、成績をつける主要な判断材料になるため

2、外部(塾・保護者)の目を触れるものであるため

したがって、どの先生もそれなりの意図を持ち、そして完成度を高めている。

もし、これが単元ごとに変わったらどうなるか。中学高校の定期試験はほとんどが各教科担当の先生が自前で作成する。必然的に作成の回数は増えてしまう。もちろん、1回あたりの作成量は減る。こうなると1ヶ月に1回は小テストの作成が入ってくることだろう。量は少なくても作成回数が増えること=負担であるならば、さらに教師側に負担がのしかかってしまう。

【生徒目線】

生徒にとっても同様のことは言える。1回あたりの範囲が狭まる喜びと回数が増える悲しさに悩まされることだろう。この点は各々の価値観によって異なるので、ここでは結論づけを避けたい。少なくとも、今の定期試験より学習に向かう機会は増えるのではないかと推測できる。

【現状と課題策】

実は定期試験の勉強をしている生徒の様子を10数年見続けていて疑問を感じていることがある。それは、勉強がより「暗記」型になっているという懸念だ。確かに、知識中心の教科はあるが、国語や数学、英語といった教科でも授業でやったことをそのまま出題して、ちゃんと理解しているかではなく、ちゃんと暗記したかという確認になっている状況が見受けられる。理解=暗記という構図は必ずしも成り立つわけではないと考える。ノートに書かれていること、教科書の問題・例文、問題集の問題・例文がそのまま出題されている現状に直面すると、やはりこれでは学力は伸びないと言わざるを得ない。皆さんも経験があると思うが、短期記憶で頭に入れたものは、使わなくなった段階であっという間に忘れ去ってしまう。せっかく学んだこともなかったことのように、、、。つまり、定期試験そのものの存在意義も見直していかなければならない状況があるという点を主張しておきたい。

そこで、定期試験を外注するという案を提案したい。これは実際に英国のとある地域では実践されており、教師側の負担は大きく軽減された。そしてもう一つ相乗効果として得られたことは、教師も生徒の味方になってこれまで以上に生徒の学習をサポートするようになったということである。試験の作成がなくなった分、生徒の学習サポートに充てられる時間が増えたということだ。現場の教師からも当然、喜び・やりがいの声があがっている。私立学校では単独の動きができるが、公立学校では足並みを揃えなければならない分、改革のスピード感が得られない。したがって、私立でモデル校を作り、教師・生徒の変化、また、より日本の現場に即したモデルの構築ができると日本の教育界にも大きな変化をもたらすことができるのではないかと期待している。


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