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普通の会社員が日々感じていることを綴った日記を毎日更新で追加していきます。 志は経済的自立‼ 将来見返したときに経済的自立を達成した道筋として記録を残したいと思って始めました。 ●主人公のスペック ·年収 日本人の平均年収程度 ·資産 株式(日本、米)、暗号資産 ·結婚 既婚(子1人)
1週間に1冊読めるように読書をしています。 読書感想は、アウトプットも兼ねて続けて行こうと思います。
私という人間 37歳で1児の父。 家族3人で1軒家にて生活を営む。 2023年6月まで公務員として係長職をしておりましたが、人事異動をきっかけに人間関係から仕事を続けていけなくなりました。 現在は外資系企業で働いています。 〜趣味〜 ・ジョギング フルマラソンの自己ベストは、2020年京都 マラソンでの「3:43:33(Gross)」です。 ・散歩 ・株式、暗号資産投資 ・モータースポーツ観戦 SUPERGTというモータースポーツが好きで 昨年は鈴鹿サーキットで
◯1月3日、夢を見た記憶が無い ◯1月4日 巨大な露天風呂と旧友 旧友と旅行に来ているのか、巨大な露天風呂に使っている夢を見た。湖か湾か分からないがそことの垣根がわからない様な工夫のされた露天風呂だ。 露天風呂からの景色は明方なのか、日が沈んだ直後なのかという程度の薄暗い感じで霧がかった先には薄っすらと日本式のお城が見える。 知らない人が、打たせ湯でシャンプーを流しておりマナー違反に普段は腹が立つのだが、その世界では私の感情は揺れ動くことは無い。 大きな湯船に浸かりホ
◯1月1日(初夢) 先輩社員(実在)と一緒に顧客訪問をする設定だった。 先輩と私は訪問先企業で現地集合の約束をしており行程はそれぞれ別、ちなみに該当顧客(名称分からず)のメイン担当は私。 商談当日、16時のアポに向けローカルな鉄道路線を使い「◯駅」(漢字一文字の駅名だが思い出せず)に向かう。忙しかったのか体や頭は適度な疲労感。 そのためウトウトして寝込んでしまう。気がついた時には「串駅」という名の駅だった。時計を見ると16時5分。。。急ぎ電車を降りて駅の路線図を確認す
皆さん、おはようございます! いよいよ2024年になりましたね。今年はどんな一年にしたいですか。私は相変わらず「自由」を手に入れたいです。 今年は1週間に1記事しっかり書けるように心がけていこうと思ういます。 2023年は激動といってよい年でした 私にとって一生涯続けていく覚悟のあった「公務員」という仕事を辞めて「外資系企業」に移るという決断をしました。 もともと人間が得意ではなく「犬や猫、鳩」の方が私の理解者だと思ってますが本当に辛い公務員最後の半年でした。人間
初めての精神科 精神科の受診は当然初めてであり少し緊張した。オフィス街のビルの中にあるその病院はチェックインも全てスマホだ。個人情報が漏れにくいような配慮がされていると感じた。 そして、驚いたのは受信者が老若男女様々だということ、みんな悩みを抱えて生きているんだなと感じた。 ドクターストップ、そして休暇取得へ 診察の結果は、聞いたことのある「適応障害」というもので仕事に行くのは控えるべきとのことだった。決め手は「家族が私の異変を感じていること」だった。 このまま無理
2023年度、新年度といえど僕の気持ちは−100% 「公務員を辞める①」でも記載した通り2023年度も残留することになったのだが既に「公務員生活もそろそろ潮時か」と心の中ではこの仕事を続けるべきではないと気持ちは決まりつつあった。 仕事で部下に意見されると目眩がする この頃から部下に意見されると目眩がするようになり体調にも影響が出始める。「早くここから脱しないと廃人になる」直感的にそう考えるようになる。子育て、住宅ローン、様々なことが頭を巡る。 辞めることを躊躇する理由
2023年6月末 7年半勤めた公務員辞めました 2022年10月の人事異動直後から感じていた職場に対する違和感、人間関係に対する違和感。 そんなモヤモヤを抱えて過ごしていた公務員最後の9ヶ月。 最後は妻にも心配されるくらい無気力だった。仕事に関するどうでもいいやり取りや重箱の隅をつつくような非生産的な仕事、暇なのかぺちゃくちゃ私語をして爆笑している若手、全てに嫌悪感を覚えていた。 2023年3月、今までの人事評価は数年を除いて全て上位区分だったが初めて下位区分に転落した。いっ
目が覚める。 時計はまだ3時半だ。 2度寝を試みるがうまく寝付けない「起きよう」心の中でそう思い体を起こす。 「パタパタ、パタパタ」どうやら外は雨らしい。 コーヒを飲みながらパソコンを立ち上げる。 転職エージェントへお礼のメールを送信し、ぼーっと考え事をする。 外は明るい、どうやら雨は止んだようだ。 noteのお陰で週末の恒例行事となっている「電車でシリーズ」をしにいきたくなる。 さぁ、今日はどこへ行こうか? 「城北公園通」という駅が気になるので向かうことにする。 「さぁ
「自己紹介」にも記載をしているが、私は2度転職をしている。 その中でも1回目の転職後、身を置くことになった証券会社時代のことを書いてみたい。 ●そもそも何故転職したか それは、当時住んでいた東京での生活に妻が順応出来なかったという点が大きい。それもそのはず、妻の実家は新潟県であり都会に出てくるのは初めて、更に妊娠中と環境の変化や生活の変化が大きすぎた。 また、私も毎日終電帰りととても家庭と仕事を両立することが出来なかった。 そこで妻の実家である新潟に拠点を移すべく
今の新卒採用者の皆さんは「配属ガチャ」に外れたら辞めるといった決断をするそうだ。 働き方の多様化の時代、自分の働き方を自分で決める自由はあってもいいと思う。 かという私も「異動ガチャ」に外れて退職を考えているわけで、自分の適正に合った配属先に「異動」していたら転職は微塵も考えていなかっただろう。 「数年待てば」と先人の皆さんは言うが、「数年」も待っている暇はないのだ。 私としてはそうゆう風に皆が仕事をスィッチしていくようになれば、企業も人材流出を防ぐ観点から自社の
先週末にメールで送付した履歴書や職務経歴書について、2~3日で連絡するとのことだったが、1週間経っても何も連絡が無い。 応募職種としては、Web広告のインサイドセールス職で、会社の展望では将来的にはSaaSにも進出を検討しているような企業だった。 やっている仕事や企業理念に魅力があり志望度も高い部類だったので連絡を心待ちにしていた。 がしかし、社員の平均年齢が26歳というところで36歳の私が来ても使いにくいよな~とは薄々感じていた。 しかも今の仕事は「勢いのある」や
~梅田に降り立つ~ 梅田か、生まれも育ちも大阪だが梅田という中心地で働いた経験はない。 ここで働けると通勤時間が40分ほど短縮できる計算だ。 しかし、都会だ。東京で勤めていた時も大崎駅というオフィス街ではあるが、丸の内や新宿の副都心のような場所ではなかった。 「うん!心がワクワクする!」36歳、意外とミーハーな心は既に踊りはじめていた。 さて、面接に向かう前に寄り道をする。妻と子供に買ってあげようと思っていた治一郎のプリン。ショーケースを見ると残り10個、とりあえず
転職活動の日記はそこそこ皆さんに見ていただけていて、関心が高いテーマなんだと思う今日この頃。 さて、今日は午後から面接なので午前中で仕事を切り上げて午後からは有給休暇だ。 転職活動において意識しておくことは、相手も平日稼働であることが多いので面接は基本的に平日に実施されるということ(※不動産業や小売、サービス業のように土日も稼働することが慣例の業種を除く)。 そういえば、1つ前の勤務先であった証券会社では土曜日に支店長が面接をしてくれたがそれは異例なことだと思う。
さて、転職面接1回目での敗戦に伴い大幅リューアルした職務経歴書。 更新後初めての平日だ。効果の程はいかにに。 転職活動に注力し色々考えを巡らせることは非常に楽しく、日々前例踏襲や制限の厳しい今の仕事への思いはどんどん低下していく今日この頃。 次に行きたい業界はもう決まっている。世の中の仕組みを大きく変えられるような仕事をしている企業で規模が大きすぎない会社で働きたいと考えている。 今までそれなりに大きな組織に属してきたが、「官僚的な」や「年功序列過ぎ」な組織は合わな
さぁ、転職活動の面白さが分かってきた、もはやSNSを更新するような頻度で転職サイトのページをチューニングしている。 この活動の素晴らしいところは、応募企業の方と「一緒に働くことを前提」にお話が出来ることだ。 いかに自分が狭い世界で生きているかを気づかされるし、正直、今の会社で「出来ない君扱い」されていることがいかにショボいか、笑けてくる。 さて、以前転職活動したときには履歴書といえば「手書き&持参or郵送」だったと記憶している。 今の時代、「Word作成&メール送信
さて、受かっていれば先日受験した某大手商社の面接結果がそろそろ来る頃だろう。 これは新卒時代からのあるあるだが、1週間待っても連絡がないときはだいたいお祈りメールが来る。 そういえば、転職サイトの1括応募という謎の制度を1度だけ使いったことがある。 その結果、応募した記憶すらない企業達から大量のお祈りメールが届くというただハートが傷つくだけというドMもびっくりの事態になったことがある。 話を戻そう、先日の面接では格上を相手にボロボロだった訳だが何故だろうか、少し朗報