見出し画像

25歳で人生が決まると思ってる節がある

「20代でついた差は取り返せない」
みたいな社会的成功者の言説を目にすると、朝起きるのもしんどい弱小ビジネスマンの僕は、カフェインを摂りすぎたみたいにうげっとする。


ハリウッド映画の脚本の多くには三幕構成というものがあって、状況設定や物語の前提が示される【1幕】が30分、ストーリーが転がる【2幕】が60分、終幕に向かう【3幕】が30分と、2時間映画としてだいたいの配分が決められている。

昔から映画とかドラマとか、物語が好きで、脚本だったりストーリーテリングだったりを勉強している中で、そんなことを知った。

つまり、本当のストーリーは【2幕】の30分時点からはじまるともいえて、実際、『ローマの休日』で記者が王女のスクープを狙い始めるのも、『タイタニック』でラブストーリーが始まるのもこの時間だ。

2時間映画での、はじまってから30分。
この配分を人生に当てはまるとどうだろうと、考える夜があった。

人生100年時代。
【1幕】が終わり【2幕】がはじまるのは全体の1/4である25年。
つまり、本当の「ストーリー=人生」は25歳からはじまるという計算になる。
(まあクウォーターライフクラシスという言葉もあるくらいだし、1/4の概念は元々あるものだけれど。。)

4年制大学を卒業していれば社会人3年目の年齢。
なんとなく、すごくしっくりくる気がする。

くまモンや茅乃舎のロゴを手掛けたクリエイティブディレクターの水野学さんには、『25歳の1年は30歳からの5年に相当する」という持論があるらしい。

このツイートか記事だったか忘れたけど、言葉を目にしたとき、平凡に生きてきた僕の肌感としても、とても共感するものがあった。
前から思っていたことだけど、25歳というのは、20歳よりも、30歳よりずっと節目な気がする。

お酒を飲めるようになる年齢はとっくに過ぎていて、社会で責任が大きくなる年齢でもないけれど、その間だからこそ、自分の人生に対する舵取りがとても大きな意味を持ってくる年代というか・・・。

家庭や仕事への責任が大きくなる30歳のそのとき、"何"に対して責任を負う人生にするのか、この年齢に真剣に考える必要があるのかも…と、たまに思ったりする。

「25歳の壁」や、それこそ「クウォーターライフクライシス」という表現があるように、我武者羅の新卒時代から少し視界が開けて、「人生って意外と平凡だなー」みたいな、大人への魔法が解ける年齢。

「俺ビッグになるよ」と豪語していた同級生のあいつが、まだピザ屋でアルバイトをしている年齢。

「将来はプロ野球選手かもな!」と期待されていたあいつが、必死に営業マンをしている年齢。

「あいつ自殺したらしいよ」と昔の同級生の名前を聞くことがあるかもしれない年齢。

毎日の繰り返しに、特別でない人生の見通しが立ってしまう年齢。

そして、それでもなお憂鬱や不安の先に希望を抱くのか、ないしはNETFLIXと自己啓発本を消費して生きていくのか、2つの大きな分かれ道で、人生の解釈を試されるのが25歳という年齢である気がする。

だから、『花束みたいな恋をした』や『明け方の若者たち』など、その年代の葛藤を描いた映画もたくさんあるし、転職が増えるのも社会人3〜4年目。

「20代でついた差は取り返せない」
みたいな社会的成功者の言説を目にすると、朝起きるのもしんどい弱小ビジネスマンの僕はカフェインを摂りすぎたみたいにうげっとする。

しかしながら確かに、25歳から30歳で何を頑張ったかで、奇跡的に生を受けた人生で自分が何者になるのか、決まっていくような予感がするのだ。

映画脚本の話に戻ると、30分〜90分、【第二幕】の60分間は主に葛藤の時間とされている。そして、人生でいうと50年間、物語上の欲求に従って動き続け、衝突して葛藤するのがいわゆる"主人公"という役割になっているらしい。

『人生と欲求、主人公』
映画でも人生でも、ハッピーエンドかバッドエンドになるかは最後まで見なきゃ分からない。

だけど、頑張って動き続けてさえいれば、少なくとも自分の人生の主人公ではいられる、ということなのかもしれない。

まあ、言わずもがな後付けではあるけれど、なんとなくそう考えると、少しだけこの平凡な人生にも希望を見出せる気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?