混乱時の行動:友人の例を紹介 (2)
先日、ニューヨーク大停電の際の友人の行動を紹介した。その1年後の2004年、同じ友人が日本に来ていた時の話、311にあたって考えたことも紹介したい。
まず友人の例から。
10月。秋。台風の季節。確か台風だったと思う。理由は忘れたが首都圏のJRなど、夕方の電車が数時間の間、軒並み運休し、その後もダイヤが大幅に乱れた。
その時、その友人は東京にいた。久しぶりの日本で友達とあっていた。宿泊していたのは東京から20㎞ほど、電車で30分程度の距離。戻ろうと思ったら電車が軒並み運休。例のごとく慌てず、動けないならとことん話をしようとレストランで粘った。夜になって電車が大分落ち着いてきた所で帰って行った。勿論、全くストレスなくその日をおえた。
この例も、何もできない時に何をすべきかを物語っていると思う。下手に動こうとする人が多ければ、混乱がエスカレートする。やるべきことは、まずは自分の安全の確保。その上で、何かできることを見つけるのはいい。しかしもし何もできない立場なら、他の人に負担をかけないようにじっとしているのが一番いい。動く必要がなければ動かないで待つ。状況を把握し、大丈夫になったと見極めた時に動く。消極的に見えるかも知れないが、これが全体として最適解なのではないか。
飛行機で緊急時に酸素マスクを装着する時は、まず最初は自分が装着するよう呼びかけられている。その後、子供や手助けが必要な人の装着を手伝うことになっている。これは、自分の安全を確保しなければ、次のステップに進めないから。子供より自分を優先しているように見えるため、冷たく感じられるかも知れないが、そうしなければリスクがより高くなってしまう。
これは、311の時に私自身が強く感じたことでもある。首都圏では、自分の安全が確保されているのに、わざわざ夜を徹して歩いて帰宅した人がいた。小さな子供がいるなどの事情で、どうしても帰らなければならなかった人もいただろう。家に帰りつくことで得られるメリットを考えることは重要だ。人それぞれ重要度が違うだろう。しかしコストも考える必要がある。歩いて帰るなら、家までの距離、道は知っているのか。停電中の夜間の移動でも道がわかる自信はあるのか。その時持っている履物なら何時間かかるか。長時間なら飲み物や食べ物、トイレはどうするか。
ちなみに私も311の時は地震で電車が止まり、停電が起きた場所にいた。しかし実家が会社から近かった。道も良く知っていた。スニーカーも持っていた。歩いたことはなかったが、歩道がある道ばかり約1時間半~2時間の距離だとわかっていた。この程度なら簡単だ。だから帰って良いと言われると、すぐに会社を出て歩いた。一人でも会社内に留まる人数を少なくし、管理コストを減らすべきだ、と思ったからだ。それ以上のことができるなら、自分の安全を確保した上で貢献すればいい。その考えは今も変わらない。
2024/1/1 の能登地震で、多くの人が被災した。交通渋滞が起きたという話があった。身の安全のために能登から離れようとした人達がいた。逆に家族や親類の安否を気遣って、能登に行った人たちもいた。自分および家族・親類の安全確認&確保のためだから、当然のことだ。これは地震直後に安全を確保するために必要なことだったと思う。
しかし一方でノウハウがあって動ける人、移動手段があり、食料・水・トイレ・寝床を自分で確保できるボランティアは、どんどん活動すればいいと思う。実際、阪神淡路大震災・東日本大震災・熊本地震などでボランティアに助けられた人たちは、いち早く能登入りしている。行政の管理など必要ない。時々刻々と変わる災害状況を、行政が事細かに状況把握できているはずがないのだから。貢献したいという気持ちを持ち、自己完結している人たちは行けばいいのだ。
以上の事例、考え方をまとめると
(1) 自分の安全を確保する
(2) 家族・親類など近しい人の安全を確認する
(3) できるだけ管理コストを減らし、混乱を招きにくい行動をとる
(4) 余力と能力があれば、助ける活動を行う
となる。
友人の行動も、酸素マスク装着の例も、私の体験だけでなく、能登で被災した人・1月初めからボランティアに入った人たちも、基本は皆同じ原則で動いていると感じている。
残念なのは「渋滞しているからボランティアは行くな」という発信だ。
阪神淡路大震災から29年、311から13年。
人は学ぶことができているのだろうか。
過去の情報を受け止めることはできるのだろうか。
そもそも過去の情報を受け止めようとしているのだろうか。