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健康と幸せに必須な”自立”の考え方

前回は「依存と自立」の記事を投稿しました。
主に”依存”について私なりの考えを投稿したので、
参考にしてみてください


今回は「自立」に焦点を当て、
私なりの考えを投稿します。

  • 悩みが尽きない方

  • 自分は不幸だ、と感じる方

  • 体の不調が良くならない方

何かの気付きになれば、嬉しいです。

完全に”自立”した人間は存在しない

人は必ず”依存する生き物”。

なぜなら、
人は自分の力だけでは絶対に生きていけないから。
これはきれいごとではなく、事実。

「一人で生きていける!」と思う人は
自分の周りを見渡してもらいたい。


依存を実感する具体例①

今、手に持っているスマホやパソコン。

お金が無いと、買えない。
お金を得るには、
自分もしくは会社の商品を買ってもらう必要がある。

つまり、スマホ・パソコンに限らず
お金を得ることは、お客さんに依存している

さらにはスマホ・パソコンは
だれかが作ってくれないと、使えない。

つまり、スマホ・パソコンを使うことは
誰かに依存している


あなたはスマホやパソコンを作れるか?
はたまた、Wi-Fi・電波を作れるか?

自分で作るには、
かなりの知識・技術・日数が必要となる。


依存を実感する具体例②

他にはテーブルや椅子。
テーブルや椅子は、頑張れば作れそう。

しかし、「木や土が無いと作れない」。

つまり、”自然界”に依存している

自然が無いと、生きていけない。
自然が無いと、野菜も取れず飢え死にする。

少し極端な例だが、私たちは必ず
「人や物・自然界」に依存している生き物。



私が伝えたいこと

何が言いたいかというと、

「自分は自立した人間だ」
という感覚・自覚・言動はすべて
「おごり」「傲慢」「うぬぼれ」。

人はそれだけ、いろんな
人・物・自然に支えられている。


1つのものでも、多くの人・物・自然が関わる

1つのテーブルにしてもそう。

自然がくれた木や土を使い、
誰かがその木や土で作り、
誰かが出来上がったテーブルを運び、
誰かがショップでテーブルを売り、
お客さんにいただいたお金でテーブルを買う。

上記に挙げた以外にも
いろんな人・物・自然が関わる。

そう考えると、そこに気付くと
傲慢さが減り、”感謝”が生まれてくる。


依存を自覚することが「自立・健康・幸せ」に”近づく”

あなたは「当たり前」になってはいないだろうか。

家族がいること。
接してくれる人がいること。
一緒に働いてくれる人がいること。
食べ物があること。
物が買えること。
外食に行けること。

これらを自覚し、”有り難い”と感じる。
感謝を忘れず、
感謝に気付き、
感謝を自覚し、
日々を過ごすこと。

これを”自立”と呼ぶのだと、私は思う。
いや、自立に”近づく”のだと思う。


感謝を忘れると、破滅する

この感謝を忘れると、どうなるか。

家族がいて当たり前。
食べ物があって当たり前。
物があって当たり前。

すると人は、どっぷり依存する

家族が~してくれない。
食べ物がおいしくない。
物がボロくて使いづらい。

「私は不幸だ」と。

そこから体の不調と不幸へ。
健康と生き方は、比例する。



万人に共通する”処方箋”

現代人に必要な処置は

マッサージではない。
整体でもない。
美味しい食べ物でもない。
優しさや愛でもない。

何が必要か。

それは2つ。

今の自分の生き方を”自覚すること”
これからどんな生き方をするか”決心すること”

今の自分が
過去をどう解釈しているか。
未来をどう見ているか。

つまり、自分の内面と深く向き合うこと。

これが現代人すべてに言える
人生の処方箋であり、
根本治療である、

と私は考える。


と、私も偉そうに方便を垂れているが
私も行動できず、腰痛持ちで
社会への貢献度も低い、依存民。

人に誇れることは
”変態並みの根本(本質)の追求度”

人よりも「健康と幸せ」について追及してきた。

その知識をアウトプットし、
少しでも
「人から与えてもらう側」(依存)から
「人に与える側」(自立)へ。

つまり、
不可能な自立を目指し、依存の沼の中をもがく」。

これを死ぬまで実行し続ける。


未来の子供たちのために、
少しでもマシな人間になるため。
少しでもマシな世界を作るため。

という承認欲求を満たすため(笑)。
どこまでいっても、人は傲慢。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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