僕が18年間のサッカー人生で得たもの
note初投稿です。アウトプットの機会が必要だと思い始めました。
読んでいただけたら光栄です。
夢中 の 共有
この経験をしたことのある人はそんなおらんのちゃうかな。
今回の記事は、自分の夢中体験を振り返り、中でも夢中を共有していた経験が今の自分にどう活きているかを考えていきたいと思う。
これまでに何らかの組織に所属した経験のある人には少しは共感してもらえる部分もあるんとちゃうかな。
ここで本題に入る前に、前提としてはじめに「夢中」の定義について話しておきたいと思う。
Googleで”夢中”と検索すると、次のように書かれてある。
「なんかめっちゃかっこええな…
”心を奪われる” か。
こんなかっこええことできた経験自分にあったかな。」
自分の過去の夢中体験を思い返してみた。
「ん?」
「なんかかっこええこと1つもないな。」
だが、自分の夢中体験を振り返ってみて気付いたことが2つある。
1つずつ説明していこうと思う。
まず1つ目。
「夢中になることに条件なんて存在しない」
これは、例えばイヤイヤやらされてた一発ギャグのネタを考えるのも、苦手やった勉強も、実際に心奪われたようにそのことしか考えてなかったということ。
つまり、好きなことにだけ夢中になれるというわけでもないし、それが1人やろうが複数人やろうが関係ないということ。
極端に言えば、1人狭い部屋で勉強してても夢中になれる可能性はあるし、みんなでワイワイしながら一つのことに夢中になれる可能性だってある。
例を挙げるなら、試験日直前の受験勉強や、カンプノウで行われるクラシコ(スペインサッカーのプロ試合)とかがそうなんかな。
次に2つ目。
「夢中のスタート(いつ夢中になったか)はわからない」
ここまでこのnoteを読んでくださっているみんなも是非一度考えて欲しい。
自分の夢中になった体験を思い返したときに、
「おっしゃ今から夢中や!」とか「お、夢中状態入った!」みたいな感覚になったことのある人はきっとおらんのちゃうかな。
※「集中」と「夢中」は別もんやで。
僕の経験上、自分の夢中状態がいつから始まったのかを思い出せたことがない。
ましてや、自分が今、夢中だということを自己認知できたこともない。
ではいつ気づくのか?
➡︎夢中でなくなったとき(夢から覚めたとき)
誰かに声をかけられたり、ふとした瞬間にハッとして自分が夢中になっていたことに気づく。時計の針がこんなにも進んでいたのかと。
これ、睡眠中の「夢」と同じ現象よな。
長くなったけど、「夢中」って上記のような性質を持ってると思う。
あ、めっちゃ大事な夢中体験忘れてた…!
「サッカー」
自分は5歳から始めたから、約18年間夢中になってきたことになる。
そしてまーた振り返った。自分のサッカーの夢中体験について。
そしたら、ほとんどの思い出が仲間となんか必死にやってた。
これ今までの夢中体験と明らかに違う。
なんでか。
「これや。」
と思った。
プロを目指さなくなった今もなお、大学の体育会でサッカーを続ける理由。
そして、
社会人として新たな人生を歩むにあたり、
自分のファーストキャリアで入るべき会社を選ぶ軸。
自分の過去と今の想いが繋がってそれが言語化され、とてもクリアに、そして納得感で満たされたような感覚になった。
関わるすべての人と夢中を共有し、感動の総量を増やす。
これが今の自分の実現したい未来だ。
ビジョンなどという大それたものではないが、
これには自分の高校3年生での過去が大きな原体験となって影響している。
長くなってしまうので、
夢中を共有する感覚を味わえた経験の話は次回の記事で書きたいと思う。
残り半年を切った学生サッカー人生。
立命館大学体育会サッカー部120人のメンバー全員と夢中を共有し、
半年後に最高の感動体験を味わえるよう、
残りの学生生活すべてを懸けたいと思う!!!
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