何もできなくても愛されていいんだよ
お盆ということで夫と私の実家に帰った。
暇だったから押し入れにひっそり存在しているアルバムを引っ張り出してみた。
10cmくらい厚みのあるアルバムが3冊。
箱に入った5冊セットのアルバムが2箱。
アルバムに入りきらなかった写真が100枚以上。
想像以上の量だった。
1枚1枚じっくり写真を見る。
小さい頃の写真がたくさんあった。
母のお腹の中にいる時のエコー写真や、赤ちゃんの頃の誰か分からない人に抱っこされている写真。
家族とバーベキューしている写真。
写真を見ても正直思い出せない思い出ばかり。
だけど写真に写っている誰もが笑っていた。
いつからだろう。
私は「何か成果を生み出さないと愛されない」っていう呪いにかかっていた。
家族からプレッシャーをかけられたことはない。
だけど、テストで100点を取ったり、かけっこやマラソン大会で1番になったり。
いい成績を残せば家族は分かりやすく喜んでくれた。
そして私は家族を喜ばせたかった。
だけど成長するにつれて、勉強についていけなくなった。
得意だった陸上競技も自分より速い人はたくさんいた。
いい成績を残せなくなった。
家族を喜ばせたいのに、喜ばせられない。
そんなもどさしさに耐えられなくて、家族から距離を取った。
世間でいう反抗期。だけど何か違う。
みんなは高校生くらいで反抗期は終わっているのに、わたしは社会人になってからも家族から距離を取り続けた。
成果を生み出さないと愛されない。
だけど私は何も出来ない。
私は誰からも愛されない。
気がつけば、鬱になっていた。
新卒で入社した職場で、私は仕事が全然出来なかった。
先輩たちは「できてるよ」って言ってくれたけど、自分の納得できるレベルじゃなかった。
新人なんだからできないのは当たり前なのに、「成果を生み出さないと愛されない」という呪いが私を襲いかかった。
呪いが解けないまま生きてきた。
だけどアルバムを見たら、ただ生きているだけで愛されていた私がいて、涙が出そうだった。
愛されたかった。
だけど自分からもらっていた愛を遠ざけていたのかもしれない。
愛されていたのにその愛に気づけなかった。
何もできなくても愛されていいんだって思った。
実家に残っていたたくさんの写真たち。
かさばるのにずっと大切に保管してくれている。
それは愛されている証拠だ。
呪いは完全に解けないかもしれない。
その時はまた実家に行ってアルバムを見よう。
いただいたサポートは本を読んだり、美味しいものを食べたり、自分の世界を広げる活動費に使わせていただきます!