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認知症の人と医療分配の課題

医療分配に関する公正さとは

ずいぶん間が空いてしまいましたが、認知症の人に医療倫理を適応できるかの、4番目正義の原則についてです。
これまでの記事は、以下のマガジンにまとまっています。


“4.正義の原則については、「医療資源の公正な分配。医療サービスや治療へのアクセスが公平に提供されるべきという考え」。 ➡ともすると認知症の人は、救急病院受診を断られたり、入院を拒否されることもあります。”

認知症の人の場合は、公平性が担保されていない場合がある

認知症の人の場合は、受けたほうが改善がみられる治療が受けられない場合があります。

医療資源の有限性
認知症の人、特に高齢の認知症の人は、優先度が低くされる可能性があります。回復の見込みが比較的低いと見なされて、手術されない場合もあります。

十分な対応ができない患者とみなされる: 認知症の人は、待合室などで長時間静かにしていることが難しい場合があります。また、夜勤スタッフの数が少ないことから対応できないと考えられ、入院できない場合もあります。

本人のニーズの聞き取り不十分: 認知症の人の障害は、実に様々で、一人ひとりの状態や進行度、生活環境によって異なります。しかし一律の基準で判断されることがあります。これは、認知症の人一人ひとりに適したケアが提供されない原因となります。

政策と実践のギャップ: 医療政策では、すべての患者に平等なケアを提供することが理想とされていますが、実際の医療現場では、人員や資源の制約により常に実現されるわけではありません。特に地域によって医療資源の差が大きく、高齢者や認知症の人が適切な医療を断念せざるを得ない状況が生まれ始めています。

不公平さが逆になっている場合もある

とはいえむしろ、不公正さが逆にあるのではないかという意見もあります。高齢者は医療費の負担割合が低く、年金生活者など固定収入の少ない高齢者が多くの医療サービスを利用しやすくなっています。一方で、現役世代の負担が増加するという問題が生じています。
社会保障制度において、高齢者と現役世代間の負担の公平性についての議論は、医療費の持続可能性と直結しています。高齢化社会において、高齢者の医療費が増加する中、現役世代の負担が過重になる可能性が指摘されています。議論が巻き起こっているのはご存じのとおりと思います。

延命の議論とは別に考えることがある

認知症の場合は、人生の最終段階にになる10年以上前から疾患が発症しており、知らず知らずのうちに進行して、今後どうやって暮らしたいのか、などのACP(人生会議)に関する話し合いがうまく行われないこともあります。また10年以上の罹病機関では、病気になったり事故にあうこともあります。
常々から自分の人生観について家族と話す、近所の友人と話す、医師や看護師と話すなどしておくことも大切であると考えます。

世の中の認知症の人に対する視線は、この10年でずいぶん変わりました。認知症カフェ活動、NPO活動、包括支援センターによる地域づくりなどなど多くの場もできました。一方で医療現場を見ると、認知症の人への配慮はまだまだ不十分であると思います。場合によっては差別と受け取られかねないような扱いがあるとも言われています。組織の中にいると、その外の世界で何が起きているのかは分かりにくいことも多いです。医療者は、常に忙しい時間を過ごしています。年末年始もたくさんの救急搬送があると思います。昨日の胃ろうの話もそうですが、倫理的や人権からのアプローチも考えながら、医療が提供されることが望まれます。




最近出版した認知症に関する本です。認知症に1人で向き合わない!を合言葉に、こんな症状が出たら、誰に相談するか、どんなサービスや制度を使うかに焦点を当てました。よろしかったらお手に取っていただければと思います。Kindle版もでました。iPADなどのタブレットをお持ちの方には結構お勧めです。

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