餅つきの音
(※この話は、作家の中山市朗先生に話を提供し「怪談狩り」シリーズに収録されてます)
私の物心ついた頃のことだ。
当時父と母と祖母が3人で身を粉にして働いていたが質素な生活で子供心にも生活が苦しいことがわかった。
それでも毎年お正月は特別だから、と、年末には餅つきや御節の準備をしていたが、その年はそれすらもままならないほどに大晦日まで大人達が働いていたのを覚えている。
年末の夜、家族で並んで眠っていると遠くから「はいっ」「ヨイショ」「はいっ」「よっ」と軽快な掛け声と共に餅をつく音が聞こえてきた。
(こんな遅くにどこの家だろうか?でもとても楽しそう)
子供心に餅つきの音はワクワクした。
餅つきの日は兄弟と一緒に火の番をしたり、ついた餅を丸める手伝いもした。
つきたてのお餅は柔らかくとけるようで、きな粉のお餅や大根もちや豆のお餅を思い出してお腹が減ってきた。
(餅つきの音、もっと聞いていたい)
そう思っていたら、掛け声もその思いがわかっていた風に大きくなった
「はいっ」「よっ」「はいっ」「ヨイショ」
ぺったん、ぺったんと小気味良いリズムで餅をつく音が聞こえてくる。
掛け声はどんどん近くで聞こえて大きくなっていったが、不思議と隣で寝ている家族には全く聞こえていないのか寝息が聞こえている。
掛け声と餅つきの音はとうとう部屋の中で聞こえて目の前で餅をついているようだった。
「はいっ」「よっ」「はいっ」「ヨイショ!」
「はいっ」
続いていた音は最後の大きな掛け声と共に静かになり、近所の寺の除夜の鐘の音が雨戸越しに微かに聞こえてきた。
不思議なことに、年が明けてからそれまで父と母と祖母が働いても苦しかった生活も父1人の稼ぎで落ち着き、一家に余裕が出てきた。
音を聞いたあくる朝、『餅つきの音を聞いた』と言ったのに、大人は『夢でも見たのだろう』と本気で取り合ってくれなかったが、祖母だけは『あんた、ええ(良い)音聞いたなぁ』と言ったのだ。
20年ほど経った頃だろうか、祖母が病で入院していた病床で
「あのな、昔あんたが小さい頃に餅つきの音を聞いたやろ?」
そう私に言った。
「おばあちゃん、あの餅つきの音知ってるの?」
尋ねると祖母は
「あの音はな、福の神さんの福や一生のうちに一回でも聞こえたらええ事やけど、もしまた聞く機会があったら忘れたらあかんで」
祖母はそれから間も無く亡くなった。
さて、実家の近くには古くから稼業を広げている御宅があり、当時は年の近いお子さんがいたのでその御宅の広い庭と大きな家でよく遊ばせてもらった。
結婚して土地を離れて暫く振りに実家に顔を出すと、その御宅は土地は切り売りされ一部管理者の違う名前で売地の看板が建っていた。
ご近所の御宅はそれまでいつも綺麗にしていたイメージがあったが、家は所々荒れてみすぼらしく小さくなっていた。
久しぶりということもあって挨拶がてら御宅に訪問すると、久しぶりに会った家人の奥さんは疲れたようなやつれた顔で元気がなく、挨拶をした時も病床なのかベッドから上半身を起こして話した。
「ご無沙汰しております。実家に寄ったのでご挨拶をと思ったのですが」
近況報告をすると、奥さんは最近の話しをしだした。
曰く、数年前から体調が優れないので寝たり起きたりの生活なのだそうだ。
御宅のご主人も入退院を繰り返して今も○○で入院している。
成人した幼馴染は何をしているのかたずねると信仰宗教にはまり家にはその宗教関係の人が出入りしているとのことだ。
その時、ふと気付いたのだが、その御宅、綺麗に手入れが行き届いていた時はそこかしこで小さく家鳴りがして家自体が息をしていた感じだったのに、今は全くと言っていいほど音がしない。家は人が住むと何かしらの息遣いが部屋を覆うのに、まるで音がしないのだ。人の気配も家人の奥さんの息遣いすらしていない。
そんなことを感じながら奥さんの話しを聞いたら、こんなことを話してくれた。
「今まで、家の中で小さな家鳴りみたいな音鳴ってたでしょう?それが数年前、いきなり夜中に大きな音が鳴ったの」
「ヨイショ」「はいっ」ぺったん、ぺったん、夫婦で寝室に眠っていたのがその大きな音で飛び起きた。
最初は何だろうと考えて餅つきの音だとしばらく聞いてわかった、と。
部屋いっぱいに大音量で聞こえる音にご主人が
「うるさい、うるさい!!静かにしろ!!」
そう怒鳴ったら、それまでとても騒がしかった家の気配までも消えて、シン、と静まり返ったという。
それからだ。
夫婦で広げていた家業も時代の流れなのか坂道を転がるように見向きもされなくなってまもなく店を畳み、更にはお子さんが新興宗教にお金をつぎ込んでいたこともありあっという間に家が傾いた。
「あと半年もしたらこの家も手放して引っ越すのよ、土地を離れる前に会えて良かったわ」
奥さんがそう言っていたが、私は『あの餅つきの音だ』と気づいた。
福の神さんはいたんだ。
でも、大きな音にもっと聞いていたいと願った私とは逆のことを願った御宅の事を思いゾッとした。
あの御宅を離れて気づいたことがもう一つあった。
御宅に訪問した時に感じたなにも息遣いもない家の気配。
そうだ、あれは廃墟の、人やなにかがその場所を放り出した時のあの気配だ。
もし、これを聞いている人がいたら、年末や季節に関係なく、餅つきの音と掛け声が聞こえたら迷わず招き入れてほしい。
それは一生に一度、聞けるかどうかわからない福の神さんの福だから。
※この話は作家のN先生に話を提供しております。
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