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不安と繊細さと温かさ、自分に気づく

今週は、自分で自分をブンブン振り回した1週間だった。

わたしはもともと、いろんなものに対して敏感な性質があるようだ、最近気づいたことだけどね、
大学時代にも、わたしって敏感なのかも、と思ったことがあったけど、いやいやそんなことない普通に武闘派だったりするし。と思ってた。

人の顔色の変化がわかること。
それを見てどんなことを考えているのかを感じ取ろうとすること。
どう思ったのかを(比較的自分にとって悪い方に)必要以上に深く考え込んでしまうこと。
わたしの半径3メートル以内にいる人を割とよく見ていること。
1つのちょっとしたマイナスの物事に対して悪い方の推測が止まらないこと。

こんな自分にとっても振り回された。疲れた。
疲れたというよりは自分が自分じゃなくなる感じ。不安感とか心配とかに飲み込まれてしまって、自分としての動きをなしていない感じ。

不安から抜け出せた今、その時のことを考えると、パラレルワールドなんかに行ってしまってたかのようにあまりよく覚えていない。
自分が、正常じゃない自分に乗っ取られる。怖い。

何度も来た公園にいる鳩さん、その堂々たるや

最近はこんなふうに、自分の置かれてる状況や感情が頭の中で映画の一場面のようにしか出てこない。

嫌な記憶、嫌なこと、嫌な記憶を纏った人には白とか黒いもやがかかったようになっていて、よく見えない。それは周りに伝わるように、わかるようにいうのであれば思い出せない、とかイメージできない、とか言うんだと思うけど、わたしの頭の中で起こっていることを具体的に伝えてくれと言うのなら、それは「見えない」という表現の方が正しいと思う。

これまでの自分にはなかった感覚。それと同時に歯がゆい。

なんだか自分が自分でなくなってしまったみたいでちょっと困惑するんだけど(ちょっとじゃない)、今のうちに新しい自分に会えたから良かったということにしておく(しておけるのか)。

これまで比較的言葉にすることはできる人間だとわたしはわたしを理解してたんだけどなあ、、、誰かにわかってほしいのに、伝えたいのに伝わらないじゃないかこれじゃあ!

自分の感情をちゃんと他の人にわかるように言葉にできたらいいのに、が増えてることを感じる1週間でもあった。

やっぱり鳥さん多めの公園だった

そんな中でも、明らかに迷走しているわたしのことを理解しようとか受け入れようとしてくれる人たちがいてくれた。
わからなくてもわかろうとしてもらえることってこんなにも救いなのか、と思った。ありがたいと同時にそんな心優しい皆さんの負担になりすぎてはいないか、わたしは何で返せるんだろうとも思った。

この先もその人たちとご縁が続くのであれば(きっと続くのだろうから)、その時にささやかな愛と一緒に盛大にお返ししないとなあ

不安や喜怒哀楽に自分が飲み込まれそうになる時もあるかもしれない。
来週も再来週も、もしかしたら飲み込まれているかもしれない。

そんなのは疲れるし、疲れるからお断りなんだけど、もしそうなってしまった時は。
まあなんとかなるっしょのお気楽さと、周りにいてくれる人たちを頼りに、目の前の日々をしあわせに過ごすことから始めようか!

来週の自分も、ご自愛できますように。





最近もっぱらコーヒーにはまっている
そんなわたしの密かな夢は
エスプレッソマシン買っておうちで自分でラテアートとかできちゃえる人になること



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