見出し画像

神様は嘘をつかなかった

ああ、小吉か。……また、「先祖を敬い精進しなさい」か。

ある時期、神社や寺院に参る度におみくじを引いては一喜一憂していた。
見るのはいつも「願い事」の欄。引くのも、恋愛みくじではなく通常のもの。

その頃の私は、長く続く公募生活になかなか結果が伴わず、鬱屈していた。
仕事では度々心を折られ、少しずつ病みが深まっていて、そんな自分を救う手段が小説を書くことだった。帰宅し、寝るまでの間に物語を綴ること、そのためだけに生きていた。そして、それを評価してもらいたい、と願っていた。

公募の結果は、最初の一段は上がれても、最後の壁を突破できない時期が長く続いていた。壁の縁に手をかけている、実感はあった。ただ、どうやっても、どのようにしても、登りきれない。
周りの人たちが——私が勝手に知っているだけだったけれども、受賞や、書籍化といった喜ばしい報告をしていたことも、また類似の仕事をしている実妹が多くの取引先との間で実績を積み上げていることも、私の焦燥を煽っていた。
そこに行きたい。そのステージに立ちたい。新しい階段を登るために。
選考結果が更新され、その多くは日中、主に午後に公開されるもので、職場でそれを見て、自身の名前がないことに胸を痛めて仕事をし、帰宅してパソコンの前に向かった深夜、悔しい、悔しい、どうして、辛い、と号泣してばかりだった。

突破できる最後の一手が足りない。
足りないのは私自身の能力、そして運である、と考えていた。


その、しばらく前のこと。
とある縁で、少しだけとある作家の方のお話を聞く機会があり、このように言い切っていたのが印象的だった。
「作家になるのは、9割が運」
そういうものかと思ったし、多分そういうものなのだろうとも思った。もし同じレベル、同じスキルの人が二人いたとしてどちらが作家になるかというと、最終的には運がいい方なのだなと思ったからだ。
その方は数日のおつきあいで、私は大勢いる中の一人に過ぎなかったけれど、たまたま同じ行き先になり、世間話の過程で私が日常的に創作活動をしていることを知ると、じいっとこちらをご覧になって、こう仰った。

「書き続けるといい。あなたは作家になるだろうから」


その言葉も一つの支えに、公募を続けていたけれど。
壁が超えられない。
同じところをぐるぐると回り、跳躍しては、壁に手をかけ、登りきれず滑り落ちる。その繰り返し。

運だ、見えない誰かの助力が必要なんだと思った私は、神様や仏様に祈願することにした。

原稿を提出した日は最寄りの神社仏閣に向かい、お力添えをお願いいたします、と手を合わせた。
年末年始は感謝や今年もよろしくお見守りくださいとお願いし、作家になりますのでお力をお貸しくださいと祈った。
行く先々で神社や寺院があれば参り、このような者です、願いの後押しをお願いいたしますと頭を下げた。
そしておみくじを引いた。
おみくじは大抵、お参りした際の願い事に対する神様や仏様からのアンサーである。

「先祖を敬い精進しなさい」
「信心すれば叶う」
「急には無理。控えてよし」

おおよそ、どこに行ってもこのような結果だった。
特に多かったのは「先祖を敬い」と「信心せよ」という文言だった。というか、時間が経つにつれてこればっかりになっていたように思う。ああ、またか。そのように「また」という思いが出てくるほどだった。

信心、という行為がよくわからなかったので、とりあえず、掃除をし、水回りを綺麗にし、自宅や職場のごみを片付けた。仏壇や墓前に手を合わせた。そして小説を書いた。書かなければ、書き終わらなければ、どうにもならないし何も起こらないと身に染みていたから。

それでもある夜に、どうしてこんなにも小説を書くことにしがみついているのだろうと虚無感に苛まれることも、創作活動をしたことのない人の悪気のない発言に心を切りつけられたり、面白いものが書きたいのに「面白い」がわからなくて泣いたりしたことも、たくさんあった。時々、どうしてこの作品は本になっているのに私の作品はだめなのだろうかと考え、怒りと嫉妬と、負の感情を抱いた自分に嫌気がさして、泣きながら眠ることもあった。
公募に出した原稿を印刷して、よい夢が見られるようにと枕の下に敷いたり、どこへ行くにも持ち歩いたりといった願掛けもした。

それでもおみくじは、神様や仏様は「信心せよ」と仰る。

このまま、時間が過ぎていくのだろうか。

少しずつ、少しずつ。
「止めどき」を考えるようになった。
公募は止めよう。趣味にとどめて、いつかまた再開してもいいじゃないか。そうしたらまた、書くものも変わって、チャンスが巡ってくることもあるだろう。
そう考えながら、その年の夏、また一本の原稿を応募した。


ところで、私は公募原稿の下読みは身近な人にお願いしていた。
家族や友人、友人の好意でそのご家族に、という狭い範囲だ。
最もよく読んでくれていたのは実妹だったと思う。彼女は同人誌を作る関係で私の原稿をチェックすることに慣れていたので、頼みやすかったのもある。
そんな彼女が、その年の公募原稿を読んで言った。

「面白かった」

いつものように私を傷つけない言い方をした後、少し真剣な声音で言った。

「これ、多分いけると思う」

「ずいぶん珍しい言い方をしたなあ」と思った。彼女は下読みをするとわかりづらいところや読み取りにくい部分について指摘をくれたし、夜更けに泣きながら益体のない話や愚痴を言う私を「大丈夫」「面白くないわけではないよ」と慰めてくれていたのだけれど、そのときは本当に、いままで聞いたことのない褒め方をしたな、と思ったのだ。
実妹は、活字を読まないわけではないけれど私ほど乱読家ではない。ゆえに書き手よりも読み手の意識に近かった。
そんなこの子の言うことなのだから、多分いままでで一番面白かったのだろう。
けれど結果が伴うかは別の話だ。


そして半年ほどが経ち、年が明けた。
年始は近所の神社仏閣を散歩がてらぐるりと回るのがその頃数年の私のルーティンだった。最後に神社に参り、おみくじを引くのだ。

その神社は、私が幼い頃から参ってきたところだ。恐らく母も赤ん坊の頃から参っていたと思う。春には桜を見て、夏には蝉取りを、秋にはバドミントンをし、冬には初詣をする。石灯籠によじ登って親に叱られたり、正殿を前に従姉弟たちと写真を撮ったりもした。祭りの出店でりんご飴を買ったはいいもののすべて食べきれず、母に呆れられたりもしたし、友人たちとかき氷を食べて黄や青に染まった舌を見せ合ったりもした。そういう、ここで育った、という象徴のような場所だ。

そこそこいい歳になり家族全員で初詣に行かなくなっても、私は元日の午後は必ずそちらに参る。

元旦や二日は、そこそこ人が多い。列に並んで三十分は待つ。周りは大抵、帰省中の一家かご近所のお年寄りで、この後どこに行くか、世間話か、家族がするどうということはない会話をしている。

ようやく列の先頭に来て、賽銭を投げ、念じた。

デビューしたいです。
本を出して、たくさんの人に読まれたいです。
お力をお貸しください。

昨年のお礼を告げて、おみくじを引く。
おみくじだけでなく、破魔矢やお守り、受験生らしき子が絵馬を買っていたので、邪魔にならないよう少し離れたところでおみくじをするすると開封した。
嬉しいことに大吉だ。さて、そのほかの結果はどうだろう。

願い事——叶う。

その、瞬間の。
心臓を鷲掴みにされた感覚は、忘れることができない。
ぞわっとした。呼吸を忘れた。頭がぐらっとして、何度も文面をなぞった。

願い事、叶う。

言い切った。言い切られた。
いままで「信心せよ」と繰り返していた、神様が!

いやでも、と次の瞬間冷静になった。
結局は、おみくじだものな。真実になるかなんて、わからないしな。
期待しすぎると辛いだけだし。
でも、応援してくれているとはっきりしたから、この一年、頑張っていこう。

夢を描き、願う一年が始まる。もしかしたら昨年と変わらない一年が、と、思っていた。



そうして、春。
受賞のご連絡をいただいたとき、これらの出来事が一気に蘇った。
やはり一番は、いままで同じ言葉を繰り返していた神様が「叶う」と言い切ったことと、それが真実になった驚きが大きかった。

妹は「ほらね」と笑っていた。私はますます彼女に足を向けて寝られなくなってしまった。いまもせっせと昼食や食べたいものリクエストに応えたり、夜食を作ったりしている。

作家業は、細々とやっている。
2020年は一冊も出すことができなかったけれど、書くことは続けられている。できればもう少したくさん書きたいし、本になってほしいし、多くの人に読んでもらいたいと思っているので、いつでも声をかけていただきたい。

おみくじは、いまもどこに行っても必ず引いている。初めましての神様にも「信心せよ」とほとんど毎回言われるので、近頃は「諦めずに修行するように続けろということだな」と解釈するようになった。ごみが落ちていたら拾うし、他の人が面倒くさがることは率先してやるようにしたり、実は現職の更衣室を誰もいないときにこっそり掃除したりしている。神様が見ているなんて思っているわけではなく、すべきことをちゃんとやればチャンスが来ると思っているからだ。

12月ももう半ば。半月ほどで新しい年が来る。

2021年、初詣のおみくじが何を告げるのか。
それをいま恐ろしくも待ち遠しく思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?