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地元吸着番組、道半ばなり

豊田市の「進め!豊田少年家族」の第4回までが地元のケーブルテレビひまわりネットワークで放送されYouTubeで配信された。

隔週なのがもう一つペースを掴めていないのだが「豊田市民だけが面白い番組」から「豊田市民は見ないといられない番組」に進化することを先日の第5回の収録で宣言した。
これは20年前に終わった「電波少年」の流れを汲むものなのか?という問いかけを自分にする。
「そうなのだ」とするならば「どこが?」と答えなくてはならない。
それはこの番組が自由に進化し続けられれば「電波少年」の流れを汲むものだと言えるのだろうと思っている。
例えば#3の配信を見てもらうとわかるのだが最初に放送した時にあった豊田市役所のアポ無しロケがごっそりなくなっている。そのこと自体は仕方のないことだ。映して欲しくないものが映っていたら今出ているものはカットする。昔だったら再放送からカットするようなことは当然のことだ。
問題はその後だ。例えば電波少年で「猿岩石が飛行機に乗っていた」と報じられた後、「ロシナンテは北海道生まれだった」と週刊誌にすっぱ抜かれた後、ちゃんと返しの球を打てた。それが電波少年が電波少年たる所以だったと思っている。

その知力があるか、その体力があるか、その自由さを持っているか?
今それが問われている

僕は至る所で『報連相は会社を滅ぼす』と言っている。

このことの本質は何かというと『自由』ということだ。
「これやったらいいと思うんだけど」と思ったら即座にやればいい。
ところが『報連相』は会議にかける。上にお伺いを立てる。
そんなもので面白いものはできないと断言している。
イノベーションは起きないと言っている。
それは会社を構成する個人が自由であるかどうかだ。自由であるエネルギーを最大限に発揮する環境がなくては「今ないもの=イノベーションは起こらない」と思っている。
つまり会社がやるべきは「検討」や「会議」ではなく、ましてや「リスク探し」でもなく環境づくりなのだ。
その自由な環境が用意されているのに「今ないもの」を生み出せないならそれはクリエーターの責任だ。クリエーターに才能、力がないということなのだ。
自由な環境、自由な空気は何の犠牲も払わず作れるものではない。戦って勝ち取るものだ。戦って勝ち取って次の何かを生み出すことができない時は引退しかない。


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