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デザイン思考からバラエティ思考へ

先日ある打ち合わせの席でふと口をついて出た言葉が
「もうデザイン思考ではなくバラエティ思考の時代なんじゃないか?」

まあいい加減だよなあ、我ながら。
デザイン思考のことをよくわかってないんだけど。
ただちょっと前に確かにこんなことを思った。東京駅で横須賀線から京葉線に乗り換えるために東京駅の端から端に移動していた時に嫌と言うほどお土産お菓子やお弁当や飲食店のロゴが目に入ってきたんだ。それは一つ一つは本当に素敵にデザインされているんだけどあのスペースに捩じ込まれるように目に入ってくると膨満感が半端なかったのだった。
あ〜世の中はデザインに満ち溢れているなあ、と思った。
もちろんデザイナーが悪い訳ではない。こんな密度で置かれることを想定していない。でも世の中全体が「デザイン」をすることが当たり前になってお互いが消し合っている。
だったら「その先」を考えることが必要じゃないか?

僕は制作者や学生への講義の中で
番組を作る要素を分解すると
企画4割、演出6割

と言う話をする。番組ってまず「企画」でそれでやるかどうかの判断もするんだが、その番組が人に届くか?見る人に面白いと思ってもらえるか?
は企画4割で、その後の実際に番組を作っていくときに行う演出の方の比率が大きくて6割だよ、という。
多分この話と通底していてデザインは「企画」でその後に”どこに置かれるか?”とか”そこは誰が通るか?”みたいなことで最適な「演出」をしないと人に届かないんじゃないか?と言うことだ。

何かを人に伝えようとする時、箱や形がまずあるんだけどその先に「それを面白くする」というバラエティ思考が必要なのだとぼんやり思っていたことがその打ち合わせで口をついて出たのだと思うのだ。

今度豊田市のケーブルテレビでやる新番組もコンセプトは「地元吸着番組」(密着どころじゃなく)なのだがバラエティだからそれをどう演出に落とし込めるかが勝負なのであって、それは正直やりながら現場で作っていくものだと思っている。

先日行った「英国アンティーク博物館」でも思ったのだが「モノ」は
作られた後にいかに人の手を掛けるかがそのものの魅力を出すのだと感じた。作った後に如何に「手垢」をつけるか?その土地特有の「菌」を
つけるか?が作られたものの魅力を人に感じてもらうために必要なのだ。
まさに作った人の「意気」と「」と「」。つまりは作った人のビビッドな「生き方」が反映されて人に伝わるものになる。
それこそがものを作る現場で起こる奇跡になるのではないかと思う。

デザインされたものに命を吹き込むこと
それをバラエティ思考をすることと定義したい。













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