見出し画像

コンセプトと企画と演出の関係

「今ないものを作る」が僕が新しい番組やイベントを作るときの基本である。今のテレビ番組のかなりの数のものが「当たるものを作る」だったり、もっとひどいものは「外さないものを作る」だったりするが僕のものつくりの基本はそれらの前に「今ないものを作る」である。

そうするとコンセプトがまず大切になる。コンセプトが「今ないもの」でなくてはその後企画や演出でいくら頑張っても「今ないもの」にはならない。
ちなみに電波少年のコンセプトは「行きたいところに行く!会いたい人に会う!絶対に諦めない!」だった。前の二つは実はテレビ番組としては”ありがち”のことである。しかし最後の『絶対に諦めない』が”今ないもの”で、だから渋谷のチーマーのところも何度も行くし、青島都知事には10数回都庁にあの手この手でアプローチした。紅白歌合戦にも渋谷のNHKに何十回も行き終いにコーラス隊で出してもらって「紅白もらった!」と掲げて後で激怒された(笑笑)そうして電波少年はそれまでにない番組になった。

だからコンセプトで「今ないもの」にして企画と演出をそこに添わせる、従わせる、そこに徹底的に拘る事によって自ずと「今ない番組」になるのだ。これは多分テレビ番組だけではなく家電など世に出されるプロダクトもそうなのだろう。洗濯機で『一回一回洗剤を入れるの面倒じゃね?」というスタートがあってそれがコンセプトになって洗剤自動投入装置のついた洗濯機ができた。(昨日洗濯機を買い替える必要があり電気屋で知った)もっと言えば『運転しなくていい車』があって自動運転が企画されて、それに伴う色んな演出がテスラには施されたのであろう。

このようにコンセプトが「今ないもの」のプロダクトを作る上で大切なのだが、今度僕が豊田市のケーブルテレビ局『ひまわりネットワーク』で作る新番組のコンセプトは「地元吸着番組」である。
地元密着番組はたくさんあるがその上の吸着する・吸い付く番組を作るのをコンセプトにした。
そうするとその後企画を考えるのは簡単で「それは地元に吸い付いているか?」と検証すればいいのである。演出も「もっと地元に吸い付くためにはどんな演出をすればいいのか?」と考える。
例えばこんなこと。

どこ中コミュニティ

自分の生まれ育った街が誰にでもある。のちにその街を出て知り合った人と同じ街の出身だとわかった時こんな質問をする。「どこ中?
実は去年の夏に業界を越えた”未来を考える会議”みたいなものがあってそこで僕と全く業種の違う”金融”のプロのすごい女性がいたのだが、自己紹介で僕と同じ街の出身だということがわかった。そこで次の休憩時間に「ひょっとして静岡高校ですか?」と聞いたら「そうです」と先輩後輩だとわかりその話の続きで「どこ中?」と聞いたのだ。「××中学です」「ア〜〜」この「ア〜〜」は同じ街の出身でなくては絶対にわからないニュアンスだ。同じ街の都市部なのか?農村部なのか?新興住宅地区なのか?それで何となくその人の育った環境が大雑把にわかる。これは隣の市の人にはわからない。高校で色んな中学から来た友達がいる事によって知るその”感じ”が「どこ中?」なのだ。一気にその金融のすごいプロの女性との距離が縮まったことは言うまでもない。

この経験があったので今度やる「地域吸着番組」の企画は”どこ中コミュニティ”を大きな柱にした。つまり出演者は豊田市出身者だけで構成する事にして、その人たちは常にテロップで「どこ中○年卒」と出ている。これは豊田市の人ならそれを見てその人の人となりがかなり想像できるものになるし「他の街の人には全く伝わらない情報」になるのだ。

春に向かって企画と演出を詰めて行っている最中だが、この「地元吸着番組」と言うコンセプトに照らして「もっと吸い付く企画」「豊田市以外の人には伝わらない演出」を考え実行していけば「見たことのない番組」「今ない番組」が間違いなくできる。

ちなみにトップにある写真は今年見たラスベガスのショー「KA」のサイン。コンセプトは「これからのエンターテインメントは土木だ!」でそれを最大限実行することで「今ないもの」になりスタートから18年経った今もトップのショーであることを守り抜いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?