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【読書】成功ではなく、幸福について語ろう

▶はじめに

「嫌われる勇気」を初めて読んでから約三年が経ちました。その本に書かれている”アドラー心理学”は、その考え方が自らの思想に結び付くのに、最低でも10年は必要だと言われています。それくらい、インパクト・破壊力、そしてエネルギーのある物事の捉え方、生き方です。

この『成功ではなく、幸福について語ろう』という本は、そんな「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」の著書である岸見 一郎さんが書いた、アドラー心理学の修得までの道を真摯にサポートしてくれるような一冊です。

そんな一冊から、まずは第一章を読んで、今思う事をつらつらと書きます。

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▶負け組と言われて

2020年は、僕自身にとって挑戦の年であり、人類にとっては困難を極めた一年でした。そんな一年の終わり、年末の厳かな忘年会の中で、友人に肩を組まれながらこんなことを言われました。

「実際のところお前は大学への入学が叶わなくて、仕方なく就職するわけじゃん?よく一緒にいたあの二人だって、第一希望の大学にはとことん縁が無くて、逃げるように上京していったんじゃないかって俺は思っちゃうんだよね。もちろん、応援してないわけじゃなくて、ちゃんと応援してるよ!でも・・・、おれは心配してるんだよ...!このまま負け組のままで大丈夫かなって...」

一見酷いことを言われているような気もしたけれど、言い辛いことをあえて過激にハッキリと言ってくれてるんだと思って、その瞬間はありがとうと思えた。そいつが言う事は、納得せざるを得ない事実だし、負け組だと言われたら確かにそうだよな...と今でも思ってしまう。でも、それでも、友達は別だよ!あいつらの話ちゃんと聞いてんのか?勝手に同じ負け組にしてやるなよ!って今ならそう言ってやりたい。殴りかかってでも、そう言ってやりたい。本人に直接言えないようなこと、酔いに任せて口に出してんじゃねえ!って、そう言ってやりたかった。

でもやっぱり、咄嗟にそう言えなかったのは、どこか負い目があるからなんだろう。

そんな話をまた別の友達に話したところ、「はあ?あいつがそんなこと言ったの?許せねえ!、どの口が言ってんだよ!」なんてめちゃくちゃに怒ってくれた。俺の代わりに、めちゃくちゃ怒ってくれた。なんだか、それが嬉しかった。だからこそ、ちゃんとこの出来事に向き合おうと思えた。

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▶僕らは幸福を知っている

回り道をしましたが、やっとこさ本の話に入ります。

あなたは、幸せの存在について考えたことがあるでしょうか。
幸せって何?どうやったらなれるの?幸せになりたい。etc.

著者によるとこのような疑問は、幸せの絶頂にいる人は決して考えることがないそうです。それもそのはずで、幸せではない状態の人しか、幸せの存在について考えることはないのです。

ではここで少し、考え方の角度を変えて、幸福について悩んでいるそんな状態は一体何なのかということについて考えてみます。

あなたの周りにいる身近な友達や先輩・後輩の中に、海外留学から帰ってきた途端、人が変わったように問題意識にかられ、熱を帯びた人を見たことがないでしょうか。私たちの日常は、世界の非日常で、日本は平和過ぎる!もっと日ごろからあらゆる物事に感謝しないといけない!

そんな変わり様で。

実際のところ、僕自身も初めて海外に行ったときには、下町のフードコートで観光客の食べ残しを当たり前のようにして食べる現地人に驚き、前述のような感情になったことがあります。

ただ、ここで言いたいのは、「人間は誰しも、全く知らないことに対しては悩むことすらできない」ということです。

僕たちは、見たことも聞いたこともない、でも実際に世界のどこかで起こっている問題に対して、意見を述べたり問題解決に行動を移すことはできません。なぜなら、全く知らないから。

著者は「私たち人間は、幸福に対して、全知と無知の中間にいる」と言っています。つまり、幸福の存在について考える私たちは、もしかしたら無自覚にも、幸福の正体を知っているのです。

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▶幸福は存在、成功は過程

20年も生きていれば、幸せになりたい!なんて言葉はよく自分からも聞くことがあります。もちろん周りの人や画面の向こうの人たち。

でも、著者はこう言うわけです。

幸福はなるものではなく、そこにあるものなんだよ、と。

「嫌われる勇気」に書かれている、『人は今この瞬間に幸福になれる』という言葉は、"幸福が、なるべくしてなるものではなく、気づくべき存在であると分かったならば、その瞬間からあなたは幸福になれる"ということです。大事なのは、幸福にな”れる”というところにあるんじゃないかと僕は思っていて、そこには自分がその瞬間に幸福になることを選ぶのか、はたまたそうではないのかという、選択権があくまで自分にある、というところだと思っています。

僕らが幸せになりたい!とお腹に力を込めた時、本当になりたいのは、誰かの成功の影に見える幸せなのかもしれません。

でも、幸福というのは十人十色で、人それぞれな訳です。これまでの人生を透過するように、その人個人の感性に委ねられます。つまり、幸福とは個性だと思うんです。それが分かった時、肩から少しの荷が下りたような、夢に見ていた自由が近づいたような、そんな気がしました。

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▶さいごに

夜に散歩をするとき、人生とは何か、生きる意味とは何か、そんなことを考えてしまうことがあります。光の数だけ命があるように、そこには人生があって、人々の暮らしや物語があります。数年前の悩んでいた頃、なんで僕らは死ぬために生まれて、死ぬために生きているのかと考えていました。でも今は少し違います。

人生の意味とは、生命を謳歌することにあって、堅苦しいことなんて考えずに楽しく暮らそう!ってことなんじゃないかなと思っています。

生きることは、幸せを追い求め続けることです。

幸せとは、僕だけの思い出や想いと感性からできた、個性です。

そのことに気付けた今、幸せになりたい!なんて叫ぶことは一旦やめにして、自分の中にある幸福の存在を確認します。

その上で、よし、幸せになろう。と気を引き締めていくのです。


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