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6/11(Fri) 「遠くの敵や硝子を」

 起きてすぐ、上だけパジャマに着替えずTシャツのまま眠ってしまったことに気がつく。寝間着が上下揃っていないとモヤっとするタチなので、なんとなく低調なすべりだし。

 緊急事態宣言下では基本的に在宅勤務。昼過ぎに情報解禁する案件があったため、午前中はやや緊張して過ごす。特に何事もなく、ほぼ定時に退社して散歩へ。まったく錆びていない状態の紫陽花を見られる期間はほんとうに短いので、いちいち立ち止まって眺める。そういえば、先日行った文京区・白山神社の紫陽花もきれいだった。

 卵が余り過ぎているので、夕食はタルタルソースありきで考案。三割引の鱸をムニエルにしたら結構おいしかった。付け合わせは最近毎日のようにお世話になっているクレソン。育てたいんだよな、クレソン。ベランダで育つかな。

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             / 鱸、ほぼ見えず \

 21時頃から作業開始。第一歌集の初校提出が着実に迫ってきている。今日は、かなり前に拵えた連作の選定(剪定)作業。特に初期の一連には、自分で見返すと赤面してしまうような歌が多いのだけど、監修の先生や友人に見てもらうと意外と好い反応をいただけるものもあって面白い。そういうのは見落とさないでいきたい。

*今日の一冊

 少し前に、「自分の中に歌人を三人インストールするなら誰?」というようなトピックがTwitterのタイムラインで流行っていた。
 絞りきれず当時は発信しなかったのだけど、わたしの場合、その一人が服部真里子さんであることは確かだ。

 短歌が読みたいとき、よい短歌が詠めたとき、短歌が嫌いになりそうなとき、もう一度短歌を好きになりたいとき、わたしは服部さんの第二歌集『遠くの敵や硝子を』をひらく。

愛を言う舌はかすかに反りながらいま遠火事へなだれるこころ
服部真里子『遠くの敵や硝子を』(書肆侃侃房、2018年)

 特に、この歌を目にしたときの衝撃は忘れられない。

 目の前にいる相手に愛情を伝えつつ、遠方の火事に気をとられてしまう主体。個人的にはこの『遠火事』を、心のどこかで強烈に惹かれている存在、もしくは過去にひと時だけおかした過ちの暗喩とも捉えているけれど、単なる実景だとしても素晴らしい切り取り方だと思う。

 それと、直接表現はされていないものの、下の句を読むたび消防車のサイレンが聞こえてくる気がする。視覚というよりは聴覚で火事に気づいたのではないだろうか。
 『愛を言う舌』が睦言のやりとりなのかキスなのか分からないけれど、その最中に微かなサイレンの音を聞いて「あ、どこかで火事だ」と思いを巡らせる一場面。なんだかものすごくリアルだし、尋常でない。

 わたしは服部さんの短歌に共通する、この「どこか尋常でない感じ」に猛烈に惹かれる。一見、陶器のようになめらかで静謐な世界の底で燃え盛っている何か。それを感じ取るたびに、読み手としてのこの上ない充足と、「これは一生かけても絶対にインストールできない」という詠み手としての絶望を同時に味わう。

 第一歌集『ゆけ広野へと』(これも後々語りたい…)と合わせて、
記憶をリセットして何度でも出会いたいくらい、大好きな一冊。

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