世界を変えてみたい

 世界が少しでも過ごしやすい場所になってほしい、と思う人は多いと思う。私も実はその一人だ。

 世界を改善したいと思う場合、複数の方法が考えられる。一番単純な考えが、政治家になって自分の影響が及ぶ範囲で制度を変えることだ。これが実現できる人間は、定数から考えてそう多くはない。
 私は、あまり政治に期待していない人間だ。不貞腐れているわけではない(まあそれも一部あるのだろうが)。いくら制度を整えたとて、行政の手からこぼれ落ちる人間はたくさんいる。どれほど完璧に思える制度を作ってもそれは変わらない。政治制度を整えるのは当然として、それを補完できる何か別のものが必要だと思うのである。

 例えばLGBT、ということが取りざたされているが、政治制度ですべて解決する問題ではない。私の偏見かもしれないが、LGBT法案を通そうとしている人の中には、「LGBTを受け入れる革新的な私」を実現したいだけの人がいるんでないかと思ってしまう。
 政治制度が整ったところで、当事者の人の苦労が減るわけではない。悩み傷つく人が減るわけではないし、偏見を持つ人間の思考を変えることはできない。

 さて。私はここまで政治に期待できない、ということを書いてきた。では何に期待するのか? 答えは非常に単純で、自分自身に期待すればいいのである。

 多分、ここまで読んだ人は「こいつは頭がおかしい」と思うか、そうでなくとも「私一人の力で世界が変わるわけないじゃん」と思ったかもしれない。もっと賢明な人ならここまで読まずにページを閉じているだろう。

 しかししかし、ここまで読んでくれならもう少しだけお付き合いください。
 私が言いたいのは、本当に人として当たり前のことだ。でも社会状況を変える方法としてこれを大々的に提唱した人はあまり見たことがない。私が言おうとしているのは、こういうことだ。

「人に親切にしよう」これだけ。おしまい。人に親切にできる自分に期待しましょう。同じように人に親切にできる人がいることに期待しましょう。

 一文の得にもなりゃあしないし、誰に褒められるでもない、SNSで映えるネタにもならない。それでも人に親切にすることはいいことだ。親切にしてもらったらうれしい。親切をしたほうも、なんだか自分がいい人間になったような感じがする。

 例えば、道に迷った人に付き添って、目的地まで一緒に歩いていく、こんなことは制度的なことでは決してできないことだ。でもたくさんの人間がこういった親切を実行していけば、あるいはそんなことが当たり前になるのかもしれない。

 私はそんな社会が実現してほしいと思っている。でも誰もかれもが親切にできるような心の余裕を持っているわけではないことも、わかる。私もむらっ気があって、多少マシな時と、ひどく意地悪なときがある。

 それは仕方がない。できるときだけでもいいから親切になろう、というのが私のポリシーだ。文句をいう奴にはウンコをぶつけてやる。

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