定型表現と「自分の言葉」【休職期間中の活動①】


はじめに

 休職に入ってから、時間はあったので思索のタネたちが生まれたり芽吹いてくれたり、いろんなところに出かけたり、新しいことを始めたりした。その一部をシリーズ化してそぞろに綴っていこうと思う。
 ただ、気まぐれな性格であり、何かと継続しないたちではあるので今回で終わってしまうかもしれない。

就活から感じていた、定型表現・概念に呑まれていく感覚

 就職活動をしているときから、社会人がよく語る定型的な表現・概念に自分自身が呑まれていく感覚があった。「〜〜〜な視座で」とか、「人脈」とか、「自己研鑽」とか、「キャリアプラン」とか。忌避しているはずの定型表現を知らぬうちに内面に取り込んで規範化しており、(豊かに培ってきたはずの)語彙が失われていくような感覚がどうしても苦手だった。 
 就活市場というか、一般的な「社会人」に求められる視点というのは、どうしても判で押したような感覚がして気に食わない。人それぞれ違う視点を持っていたり、違う言葉遣いをするから個々の人間としての差異を感じられて生活が彩られるのに、みんな同じような服装をして、同じようなことを話すことが求められる。

 就活で言えば、過去の経験を全て糧として話さなければならないようなフレームワークも苦手だ。「いいことも悪いことも今のわたしを形作っています!」と声高に宣言しないと、自分の価値をアピールできないかのように就活サイトなどは書き上げている。そんなわけないだろう。唾棄すべき経験も、良い気分で浮かれていたら足元をすくうようになった成功体験も、人の経験は様々だろう。そんなひとつひとつの違いを、同じような字数でまとめようとしたら、その人のオリジナルな感情やオリジナルな見解は、捨象されたり風味を損なったりしてしまう。その人その人の「自分の言葉」がどんどんと形を変えていってしまう。


小さなころからあまのじゃく

 小さなときから他人が考えているようなこと、世間が考えているようなことにどうしても反駁したくなるようなあまのじゃくだった。せっかく髪色も服装も自由な高校に通っていたのに黒髪のままで過ごし、大学に入っても特に髪色をいじらなかったのに、いざ就職する直前になって急に名残惜しくなって緑のインナーカラーを入れた。インナーカラーを入れるときに、染髪は初めてであることを美容師に告げたら、「今までチャンスはあったのに、あまのじゃくですね」と言われて、なぜだがその表現がストンと腹に落ちたことを覚えている。
 みんながよく読んでいるような本もあまり好かない。よく聞いているような音楽もあまり良さがわからない子だった(最近になって、世間に評価されるもののよ良さがようやくわかるようになってきた)。みんなと同じこと、みんなと足並みが揃っていることって、安心よりも恐怖をもたらさない?

社会人生活で失われていく「自分の言葉」

 いざ就職して新人研修に入ると、「社会人っぽい」表現を叩き込まれる。メールだったり電話の応対にも当然定型的なものがあって、それはそれでいて価値があることだとはわかっていたけれども、どこか受け付けないところがあった。このメールはこの部分をこう読んで、相手にものを頼むときは発注内容だったり期日だったりどういう形式で返して欲しいかを明示して伝えて……という風にいろんな様式がある。その一つ一つを覚えてどうにか使いこなしていくのだけれど、自分のなかの「あまのじゃく」が、どうしても他人と同じ表現を受け付けてくれない。とくに電話応対では迅速な判断が求められるから、自分の中で正解を突き詰めて正しい言葉を発する余裕はない。自分が100%の自信をもって語る言葉ではない音声を発するのは、なんとも空虚だった。忙しく働いていた当時はあまり考え付かなかったのだけれど、「自分の言葉」を失っていく、自分オリジナルの感情や表現を失っていくことは、自分の心の大事な部分をもがれていくような痛みを伴っていた。

 そんな「あまのじゃく」を無意識的に押し殺しながら社会人としての生活を続けていたある日、限界を迎えて適応障害の診断を受けた。

休職した今だから思う、「自分の言葉」

 休職してから当初は症状を飼い慣らすことに時間を要したけれど、数ヶ月すると落ち着いてきて、さまざまな本や音楽、ドラマを鑑賞して生き生きとした表現に触れられるようになった。どういった作品を愛好してきたかは、また気が向いたら書こうと思う。

 さまざまな芸術作品に触れて感性を研ぎ澄ませていくと、自分がどういう言葉を愛しているかを再度見つめ直すことができた。たどたどしくも自分のリアルを映す言葉、感情の発露を大切に損なわないように扱う、やさしさにあふれた言葉。
 この言葉たちを愛して、日々の中で少しずつでも紡ぎ出していくことが、自分の心の平静を保つことに気づいた。それだけでも、じっくりと休んでいた休職期間に意味があったように感じる。
 今は復職訓練中であるが、仮に現職でもう一度忙しい日々が訪れようとも、週に少しは「自分の言葉」に向き合って、noteにでも綴っていこうかと思う。

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