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【ショートショート】ごめん、ありがとう、ごめん

「お誕生日おめでとうございまーす!」
 突然暗くなった店内。耳をつんざくような音楽が鳴って、バチバチと音を立てるケーキのプレートが運ばれてきた。
 困惑したまま正面に座る海斗を見ると、いたずらっ子のような顔で笑っている。
 店内中の拍手が鳴り止み、私たちに集まっていた視線が外れていく。そうして、私たちカップルのことから周囲の関心が薄れていくのを感じた。
「美里、びっくりした?」
 満面の笑みをたたえる海斗。店内にはガヤガヤと雑多な活気が戻っている。
「うん、そりゃあね」
 緊張で高鳴った胸を押えながら、なんとか答える。
「サプライズはこれだけじゃないんだよ」
 そういって、海斗は背後に両腕を回し、「じゃーん!」と小さな紙袋を私に向かって差し出した。
「えっ、何?」
「プレゼント。開けてみてよ」
 開けなくてもわかる。これは、私なんかが貰ってはいけないものだ。
 紙袋に金で押されたロゴは、私でも知っているハイブランドのもの。友達に連れられて表参道を歩いた時に、その店舗を見つけたことがある。白手袋をしたドアマンが恭しく客を迎え入れているのを遠目に見て、自分の住む世界とは違うな、としんみりしたのを覚えている。
「ごめん、こんな高価なものを私なんかに…」
 中身の確認もそこそこに、気がつけば口から謝罪が出ていた。
「何言ってんの、俺があげたくてあげたの」
「いやでもこんな素敵なもの、申し訳ない…」
「もう、」
 少し呆れたように笑う海斗。
「こういう時は、ごめんじゃなくてありがとうって言ってよ」

「中村さん。これのやり方、前にも教えたばっかりだよね?」
 デートをして過ごした週末が明けて、また始まった日常。いつも通りに業務に打ち込んでいた昼下がり、とつぜん鋭い声で呼び出された。
 ああ、しまった。よりによって、苦手な先輩に任された業務でポカしてしまったみたいだ。
「…そうだったかも、しれません」
「そうだったかもって、あなたねえ…」
 深くため息をつく先輩。かろうじて「あなた」と聞こえるが、耳には「あんた」と呼ばれているような刺々しさを感じる。
「せめて教わった時にメモを取るとか、わからなかったら聞くとかしなさいよ。どうしてぎりぎりまで放っておいたのよ」
「はぁ、まあ、すみません…」
 どう答えるのが正解なのかわからなくて、へらへらと笑ってしまう。胸の中は皆の前で叱責されている恥ずかしさと情けなさでいっぱいだった。
 泣きそう。泣くな、私。大人なんだから。
「ねえ」
 苛立った先輩の声。ハッと顔を上げた時にはもう遅かった。
「なんでへらへら笑っていられるの?」
「え」
「あのさ、ことの重大さ、わかってる?もうここは学校じゃないの。責任があるの」
 ……そんなこと、わかってる。
「困るんだよね、二年目にもなって学生気分じゃ」
「……」
「黙ってちゃ何も進まないでしょう」
 ……この先輩は、自分の未熟さに落ち込んだことがないのだろうか。情けなくて悲しくて、へらへら笑ってなきゃやってられないくらいに追い込まれたことが、ないんだろうか。
 ……ないんだろうな。優秀だもんな、この人。
 先輩の言及に耐えられなくて、すがるように周囲を見回す。
 デスクから様子を伺うようにこちらを見ていた同僚たちは、冷ややかな目をしていた。冷たい視線の先は、先輩じゃなくて、私。
 ここには味方なんていない。
 ぎゅっと唇を噛み締める。すみません、すみません。相槌を肯定から謝罪に切り替える。
 仕事の内容なんてどうでもよかった。ただ、針のむしろにいるのが辛かった。
 結局、仕事は先輩によって引き取られ、美里は定時を迎えたと同時に逃げるようにオフィスを出た。

 玄関、ダイニング、と点々と電気を点けながらリビングにたどり着く。こちらもパチンと電気を点けた。ふと目に入ったローテーブルには仰々しい箱が鎮座したままになっている。
「……」
 着替えもそこそこに、ドスンとソファーにもたれて座る。スマートフォンを開くと、仕事から上がったばかりの海斗からメッセージが来ていた。
〈お疲れ。仕事終わった?〉
〈おつかれさま。今日はもう家〉
〈早いね〉
 ……。
 職場での苦い気持ちが蘇る。
〈もう家なら、電話する?〉
 どうしようかな。
 通話をするには正直気が重いが、同時に海斗と話すことで気を紛らわしたい気持ちもある。
 判断に迷った一瞬のうちに、海斗から追いメッセージが来た。
〈俺が美里の声、聞きたい〉
 ……敵わないや。
 美里は小さく笑った。海斗は、美里の気分が落ちているのを何となく悟ったのかもしれない。彼にはそんなカンの鋭いところがある。
〈いいよ〉
 そう打ったのは、精一杯演出した余裕だった。
 程なくして着信音が鳴る。
「……もしもし?」
「もしもし」
 少し息が上がった海斗の声と、遠くに聞こえる雑踏の音。
「歩いて帰ってるの?」
「うん。美里と電話しながら帰りたくて」
 そう切り出された会話はしばらく途切れなく続いた。海斗が他愛もない話をポンポンと出して、美里が相槌を打つ。いつも通りだ。
 ふと、電話口の向こうで、ゴー、と大きめの車両が通り過ぎた。
「そう言えば、…………っ、……た?」
「ごめん。なんて言った?」
「今日、俺があげたネックレス着けた?」
「え……っと」
 ちらりとローテーブルに目を配る。そこにはカッチリとリボンが締め直されたプレゼントボックス。
「美里の職場でもOKそうなのにしたんだよね、お守り代わりっていうかさ」
「うん、ありがとう」
「……まだ着けてない?」
 少し困ったように笑いながら問いかける声。
 ああもう。どうして彼はこんなにも察するのが鋭いのだろう。
「……なんだかもったいなくて」
「そっか」
「……うん」
「……去年あげた指輪は、恥ずかしいって言って美里は結局着けてないから、着けやすいもの選んだつもりだったんだけどな」
「……ごめん」
「謝らないでよ」
 その声色から、海斗の苦笑する顔が目に浮かんだ。
「まあ、気が向いたら着けてよ。……そろそろ電車乗るから、切るね」
 ああうん、またね、とでも言っただろうか。後ろめたさから、ごにょごにょと口の中で言葉を転がすだけで終わってしまった。

「お待たせ」
 次の日。待ち合わせ時間の三分前に指定の場所に着くと、そこには既に海斗がいた。
「おつかれ」
 振り返った海斗の笑顔が、少し固くなった。視線の先には、空っぽの美里の首元。
「……行こうか」
 海斗は少し寂しそうな顔をした後、取りなすように元気な声で美里を促した。
「うん」
 首元への彼の視線には気付かないふりをして、返事をする。
 映画を見ようと、事前に計画を練っていた日だった。
 映画館に着いたら真っ先にお手洗いに並ぶ。それが二人の鑑賞ルーティンである。
 そこそこ列を作っていた女子トイレから出ると、先にトイレから出ていた海斗が、飲み物やポップコーンを抱えて迎えに来た。
「待ってる間に買っといた」
「あ、ごめん」
「もう、いつも言ってるだろ」
「ん?」
「こういう時は、ごめんじゃなくてありがとうって言ってよ」
「そっか、ごめん。……あ!」
 思わず口を押さえた美里の言葉を、海斗は苦笑して受け入れた。
 あらかじめ取っていた席に、並んで腰を下ろす。ほどなくして劇場は照明を落としていき、映画の上映が始まった。
「いやー、良かったね!」
 鑑賞後に寄ったカフェ。待ち合わせの時の気まずさなんて忘れ去ったかのように、海斗は上機嫌だった。
「この映画、公開前は原作ファンから結構叩かれててさ。俺も結構眉唾だったんだけど。いやー、めっちゃ良かったわ」
「海斗、この原作好きだもんね」
「いやそう、マジで好き、だから実写化観るの結構怖かったんだよなー、ある意味」
「満足できて良かったね」
「うん」
 原作では本当はあそこがこうなんだけどさ、と海斗が生き生きと語る言葉に、うんうんと相槌を打つ。美里も感想をポツリと言うと、海斗は嬉しそうに会話を広げていった。
 海斗がひとしきり語って落ち着いた時を見計らって、美里はスマートフォン上のスケジュール帳を開きながら海斗に話しかけた。
「次会う日なんだけどさ、来週の水曜日とかどう?その日は早めに上がれそうで。海斗も出社でしょ?待ち合わせようよ」
 あー、と途端に申し訳なさそうな声を出す海斗。
「ごめん、その日は地元の友達が珍しくこっち来てて」
「あ、そうなの、わかった」
 デートの打診をして都合が合わないことなんて日常茶飯事なのに、なぜか今は何となく面白くなかった。
「女の子?」
「んな馬鹿な」
 苦笑する海斗。
「美里がいるのに女とサシで会うわけないだろ」
「どうだか」
 意地悪な気持ちでからかうのを止められない。
「そう言っててもわかんないよなー、海斗はプレイボーイだしなあ」
「やめろって」
「その子、可愛いんだろうなあ」
「美里」
「私なんかよりその子が良くなっちゃったりして……」
「美里!」
 海斗が低く短く怒鳴った声で、空気が震えた。
 ……やっちゃった?
 そう思った時にはもう遅かった。
「……美里ってさ」
 初めて見る、海斗の苛立った顔。予想外のことに動悸がする。
「たまに、わざと俺が傷つくことをするよな、試すみたいに」
「……」
 図星だった。
「ネックレスだって、今日、わざと着けなかったんだろ」
「そんなこと、」
 ない。
 そう言いたかったのに、どうしてか最後まで声が出なかった。
「……最初は、甘えるのが下手なんだろうな、可愛いなって思ってたけどさ」
 はー、とため息をつく海斗。
「どんだけ愛して尽くしても、石橋を叩かれ続けるのは……結構、クるんだわ」
「……」
「……美里も疲れるでしょ、俺を疑い続けるのはさ」
 どう返せばいいのか分からない。展開が悪い方へ向かっていく予感に、脂汗が止まらなかった。
「美里の気持ちを教えてよ。俺はそれを、尊重したい」
 疲弊しきったような海斗の声。
 ……ああ。
 美里は悟った。
 優しくて残酷な彼は、美里に決め手の一言を言わせようとしている。
 ずるい。でも、それくらい私が言うべきかもしれない。それだけのことを、私はしてきてしまったのだから。
「……別れようか、私たち」
「……」
 重い沈黙。
 しばらくして、海斗が不貞腐れたように口を開いた。
「……美里がそうしたいなら」
 泣きそうだった。
 お願いだから、決断を私に委ねないで。やるなら一思いにやって。
「……最初からわからなかったの」
 こんなに素敵な男性が、なんで、私なんかを選んだのか。なんで、私なんかを選び続けているのか。
「海斗が私なんかを愛す理由がわからなくて。優しくされる度に満たされて、でも、何かあるんじゃないかって不安になって。」
 思い出すのはいつだって、好きな人に罰ゲームで告白された中学時代。
「不安定な私をいつでも受け止めてくれる海斗に安心しながら、でもずっと不安だったの。いつ、海斗は私に嫌気が差すんだろう、って」
「……俺はいつまでも美里を受け入れるつもりだったよ」
 でも、実際にその時は来た。
「ごめんね。面倒くさかったよね、私。私も、自分で自分が嫌になるの。でもね、一言だけ言わせて。私だって、海斗を愛してた」
 バッと海斗が頭を下げた。
「美里。ごめん、本当にごめん」
 海斗の全身から、美里に申し訳なく思う気持ちが伝わってきた。
 美里のことを受け入れきれなくて、ごめん。支えきれなくて、ごめん。結局離れることになって、ごめん。
「やだな」
 笑え、私。なんてことないように笑え。
 そう強く思ってても、むりやり上げた口角から漏れ出る声が、震えているのを感じる。
「こういう時は、ごめんじゃなくてありがとうって言ってよ」
 ゆっくりと頭を上げた彼は、真っ赤な顔で眉を下げて、くしゃりと笑った。

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