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【ショートショート】お姉さんの恋人さんへ

 お姉さんの恋人さん。とうとうあなたの名前を知ることはなかったけれど、僕はあなたのことを部屋の窓からよく見ていたよ。
 僕があなたに手紙を書こうと思ったのは、どうしてもあなたにお姉さんのことを伝えたかったからなんだ。
 どこから書けばいいのかな。僕はお姉さんみたいに文を書くのが上手くないんだ。この間も国語のテストは散々だったし。
 それでも、僕はこの手紙を書くべきだと思ってる。だから最後まで読んでね。
 始まりは、そうだね、僕がお姉さんと出会った時のこと。
 僕がお姉さんに出会ったのは、僕が小学校に入ったばかりの時だった。
 僕が生まれたところからずっと遠いこの町に来たばかりの僕は、なかなか友達が出来ずに悲しい思いをしてたんだ。
 そうしたら、隣の家に住むお姉さんが、「一緒に道路に絵を描こう」って僕にチョークを渡してくれた。
 僕がたくさんの色のチョークを使って大好きなロボットの絵を描いたら、「上手だね」って手を叩いてほめてくれた。
 お姉さんも白いチョークで何かを描き始めたから、「それは何?」って聞いたら、お姉さんは恥ずかしそうに「夢の国の王子様」と答えてくれた。
 そしてお姉さんはそのいびつな王子様を指差しながら、夢の国のお話を聞かせてくれた。自分の作ったお話を僕に聞かせてくれている時のお姉さんの笑顔が、絵を描いている時よりも輝いていて、僕はなんだか幸せな気持ちになったんだ。
 それから僕はお姉さんとたまに遊んでもらうようになった。よくお姉さんにお話をしてもらったよ。お姉さんの作るお話はだんだん僕には難しくなっていったけど、お姉さんの笑顔を見るだけで僕は幸せだったんだ。
 お姉さんが高校生になってからは、そうやって遊ぶことも少なくなっていった。
 部活に塾に、とっても忙しいのだとお姉さんのお母さんが僕のお母さんに話しているのを聞いて、なんだかさみしくなったのを覚えているよ。
 夜遅くに歩いて帰ってくるお姉さんの姿を、僕はよく窓から眺めていた。
 その頃かな。お姉さんはあなたに恋をした。
 もともとお姉さんは陽気な人だったけれど、あなたに恋をしてからのお姉さんはもっと楽しそうに家の前を通るようになった。
  それからしばらくして、毎晩のようにあなたの車がお姉さんの家の前に止まるようになった。そこからお姉さんとあなたが出てきて、ゆっくりとハグした後に、お姉さんを残して車が発進していくのを、部屋からぼんやりと見てたんだ。
 その後お姉さんが大きな声で上機嫌に歌いながらお風呂に入るのを知らないでしょ。おかげで当時の僕はうるさくてなかなか寝付けなかったんだ。
 おかしいな、と思ったのはあなたの車がお姉さんを家に送り届け始めてから三年くらい経った頃。最近あなたの車が来ないな、と思っていた夜、お姉さんはめずらしくタクシーで帰ってきた。
 タクシーから降りてきたお姉さんが全身真っ黒の服に身を包んでいたから、とてもびっくりしたのを僕はよく覚えてる。あなたも知ってるでしょ、お姉さんは普段はカラフルな服を好んで着ていたんだ。
 静かに家に入ったお姉さん。その夜聞こえてきたのは、いつも通りの歌声じゃなくて、大きな大きな泣き声だった。
 それからだよ。お姉さんがおかしくなったのは。
 近所の人に挨拶もしなくなったし、カラフルな服も着なくなった。
 しばらくは公園でぼーっとしてる姿をよく見かけてた。
 ある夜、窓の外が赤く光っているのに気づいて、僕はパジャマのまま外に様子を見に行ったんだ。
 そしたらお姉さんが軒先で焚火をしてた。
 真夏の夜に、なんでそんな暑くなることをするのか不思議で、しゃがみこんで火を見ているお姉さんに、なんで焚火してるの、って聞いたんだ。
 焼き芋や、マシュマロを焼いているならもらおうと思ってね。
 でもお姉さんはなんにも持っていなかった。ますます不思議だったんだ。
 隣にしゃがみこんだ僕に気づくと、お姉さんは小さくかすれた声で「殺しているの」って言った。
 「何を?」って僕が聞いたら、「原稿用紙」って言った。
 燃えているものをよく見ると、確かに真っ白な紙に朱色の方眼とくねくねとした文字がびっしり敷き詰められていた。
 「せっかく書いたものを燃やしているの?」と僕が驚いて聞くと、お姉さんは「あの人に読んでもらうの」と火から目を離さないまま答えてくれた。
 「私の作る文章が好きって言ってくれたから」って。
 火を見つめるお姉さんの目は真剣そのもので、僕はその行為が何だか神聖な儀式に見えた。だからそれ以上は質問せずに、僕も隣でそれを見守り続けたんだ。
 その時はお姉さんがなにを言っているのかさっぱりわからなかった。
 でも僕は、あなたには悪いけど、心のどこかでほっとしていた。お姉さんがあなたのことを受け入れて、また前に進めるんじゃないかなって。
 もうお互いに道路に絵を描く歳じゃなくなったけど、またお姉さんが僕に笑顔を向けてくれるんじゃないかなって。
 でもそんな僕の気持ちとは裏腹に、お姉さんは取り憑かれたようにどんどん作品を書いて、どんどん殺していった。
 地域の新聞に応募して選ばれた詩、雑誌の素人の寄稿コーナーに掲載された物語、自費出版で出した短編集…。
 天国に作品を送る度にお姉さんの作品は立派なものになっていって、規模もどんどん大きくなっていった。
 装丁が立派になっていく度にお姉さんは「あの人が読みやすくなった」と言っていた。
 悔しかった。感想も言ってくれやしないあなたのために、お姉さんが囚われ続けていることが。
 それでも僕は何も言えずに、お姉さんの「殺す」作業を手伝い続けた。
  お姉さんが許してくれる限り、手伝い続けるつもりだった。僕がお姉さんと繋がるには、もうそれしか方法が無かったんだ。
 本屋さんにお姉さんの作品が並んだ夜も、僕はお姉さんが本を燃やすのを見ていた。
 淡いグリーンの美しいその本が燃やされているのは、とてもきれいだったけれど、いけないことをしている気持ちになってぞっとした。 
 それから本屋さんにどんどんお姉さんの本が並んで、「稀代の新人作家」なんて言われても、お姉さんはちっとも嬉しそうじゃなかった。
 むしろお姉さんの悲しそうな顔は深刻になっていって、僕はずっと心配していたんだ。
 あなたに向けていたふっくらとした笑顔は嘘みたいに痩せこけて、真っ黒なクマを作っていたから。
 何冊目かな、お姉さんの出版した本が数え切れなくなってきた頃、お姉さんは初めて作品を殺している最中に泣いた。
 「もう書けない、もう書けない」ってうわごとのように繰り返して、静かに涙を流していた。
 そして昨日の夜。
 お姉さんはとうとう、作品を殺すのをやめた。
 作品の代わりに、自分に向かって火を放ったんだ。
 僕は頭がぐちゃぐちゃになって、涙がどんどん止まらなくなって、たまらなくなって叫びながら近所の土手を走り回った。
 僕はやっと気づいたんだ。
 僕はお姉さんが好きだ。
 そんな自分の気持ちにすら、気づいてなかった。
 あなたの隣でお姉さんがこれを読んだら、こんな僕の幼さをお姉さんは笑うだろうね。
 でも僕は、近所のみんなが言うように、お姉さんのことをかわいそうだとか、みじめだとは思わないよ。
 お姉さんなりの幸せがわかるくらいには、僕も大人になったんだ。
 好きな人が好きな人の隣に行けたことは、僕にとっても幸せなんだ。
 でもまあ、あなたのことを恨んでないと言ったら嘘になる。
 もし、あなたがお姉さんの文章じゃなくて笑顔をほめていたら。
 そう思うと僕は、また涙が出ちゃうんだ。
 天国で末永くお幸せに。
 今度こそお姉さんを、笑顔にしてください。

♦♦♦

 最後の署名の後ろに、お姉さんがかつてほめてくれたロボットの絵を描いた。
 机に手をついてふうと息をつく。
 目を閉じると、色んな音が聞こえてくる気がした。
 道路のアスファルトにチョークを引く音。
 お姉さんの家のお風呂から聞こえてきた、お姉さんの歌声。
 本を燃やす、パチパチと弾けるような焚火の音。
 もうどれも、聞くことは出来ない。
 僕は最後の涙を拭った。
 そして書き終えた手紙を天国に送るために、ライターを持って家の外に向かった。


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