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今のナプキンやタンポンが作られる前は、生理のときにどうしていた?
今って科学技術が進展していて、化学物質によってナプキンやタンポンが作られているじゃないですか。
じゃあ、そういった科学技術がない江戸時代ってどうしていたのか気になりません?
ということで今回は、江戸時代から昭和時代の生理用品の話をしたいと思います。
江戸時代のタンポン:込玉
江戸時代では月経時に紙団子をつめる込玉という処置をしていました。
いわゆるタンポンです。
江戸時代の生理帯
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また、半紙を縦に8つに畳み、それを2, 3枚の紙で巻き、その両端に紐を通したふんどしのような生理帯もありました。
これは馬の手綱に見えるから、月経のことを「お馬」とも言ったのだとか。
明治、ゴム引きの生理帯へ
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明治時代の生理用品と処置法、100年以上前の女性雑誌の健康相談から生理の悩み
ゴム引きの生理帯が国産化されたのは明治41年(1908年)のことでした。
「月の友」、「ビクトリヤ」、「シーズン」、「エンゼル」といった製品が競い合っていたようです。
これらの生理帯は楕円型の缶に入っており、その空き缶は、どういうわけか、キザミ煙草入れに使うことが大流行していました。
ちなみにキザミは止血の即効薬のように使われていて、江戸時代には以下のような川柳もありました。
初花(初潮)に キザミをつけて 大さわぎ
今の医学から見たらダメだろっていう。
まあ昔の民間療法とかそんなんでした。(今もろくでもないのがあるけど)
「ビクトリヤ」、怒られる
![](https://assets.st-note.com/img/1720144799817-3IS8D7FveG.png?width=1200)
話を生理帯に戻しますが、そこで話題になったのが「大和ゴム」の「ビクトリヤ」でした。
ビクトリヤといえば、大英帝国すなわちイギリスです。というか、当時のイギリスがビクトリヤ女王の時代でした。
しかも月経帯の缶に女王の顔まで印刷されてあるものだから、英国大使館は日本政府に抗議しました。
「おいワシの国のトップが生理用品の顔になっているぞ。不届き者が~!」
しかし、この応酬は結局ウヤムヤで終わったとさ。
「アンネ」、怒られる
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そんなこんなでほかにもさまざまな企業が参入し、昭和38年(1963年)、「アンネ」という企業が日本初の使い捨てナプキンを発売しました。
そのキャッチフレーズが「40年間お待たせしました!」です。
なんと、アンネは40年間も生理用ナプキンを研究していたのです!
というわけではありません。
この40年間というのは、アメリカでは40年前にすでに「コーテックス」という生理用品が発売され、有経女性の80%が紙綿の生理用品を使っていたことから、「アメリカに遅れること40年」という意味で謳われただけです。
しかし、厚生労働省は黙っていませんでした。「まるで40年間ずっとナプキンの研究を行っていたかのような誤解を与える」として、改めるようにと指導したのです。
そうして、「〈アンネの日〉ときめました!」という新たなキャッチコピーに変わりましたとさ。
ちなみに「アンネ」という企業名の由来は、アンネ・フランクの『アンネの日記』だそうです。
昭和、込玉に戻る
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しかし、翌年には「エーザイ」からタンポン式のものが出ると、アンネもタンポン式になり、月経が「アンネ」と呼ばれるようにもなりました。
つまり、昭和の込玉に戻ってきたのです。
ちなみにこのアンネはのちの「ライオン」です。そう、歯磨きのライオンです。今では生理用品の事業から撤退していますが。
参考文献
この記事は西沢爽の『雑学女学』(1981, 文藝春秋)に基づいて執筆しました。興味があったら読んでみてください。
ワシの本も買ってください。
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