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中国人の名前覚えにくすぎ問題

※本記事はマーダーミステリーアドベントカレンダー12/22の記事です。

はじめに

水谷がマーダーミステリーのアドベントカレンダー企画に参加するからには、中国のマーダーミステリー事情を書いてくるに違いない、と思った方は多いかもしれない。ところがこのコロナ下の世界で私はもう1年以上も中国に行けていないのである。ネットで調べただけの情報を中国事情として伝えるのは申し訳ないし、そもそもの話をすれば中国事情を書いた記事に需要があるのかはかなり怪しい。みんな興味はあるというのだが、書いてみるとこれがびっくりするくらいに読まれない(この有料記事の総売上は現時点で1620円、PVベースでも通算350である)。海外事情というのはマクドナルドのラップサンドみたいな存在なのだ。

そういうわけで、今回は私の本業である翻訳、中でも「名前」の話をしようと思う。ニッチの中のニッチなテーマであるが、翻訳者が普段どのようなところに頭を悩ませているかという一端に触れていただければ幸いである。

中国人の名前をどう訳すか

『王府百年』が日本でプレーされ始めたときによく聞いた感想の一つが、「キャラの名前が覚えにくい」だった。日常的に中華系の名前に触れる機会がないと、そのような感想を覚えるのも無理はないかと思う。

実のところ、この「中華系キャラの名前」というのは翻訳者泣かせである。翻訳方法はいくつかあるが、どれも一長一短だからだ。

翻訳方法その1:表記は漢字、読みは日本語の音読み

『王府百年』でいえば、「王小馬(おうしょうば)」、「羅利(らり)」とするのがこの翻訳方法である。なお、読みを日本語に合わせる場合は音読みが基本なので、「王小馬(おうこうま)」などという訳し方は普通はしない。

翻訳方法その2:表記は漢字、読みは中国語原音

この方法に従えば、「王小馬(ワン・シャオマー)」、「羅利(ルオ・リー)」となる。

翻訳方法その3:中国語原音読みでカタカナ表記

この方法では、漢字表記も省き、キャラの名前をカタカナのみで「ワン・シャオマー」、「ルオ・リー」などと表す。

映画やドラマなど映像作品では、キャラ名・スタッフ名ともにその3の方法を採ることが多い(時代劇は除く)。

一方、小説では作品によってその1だったりその2だったりする。『雪が白いとき、かつそのときに限り』(ハヤカワ・ミステリ)ではその1、『三体』(早川書房)ではその2の方法が採用されている。訳者、出版社、レーベルなどの方針によりまちまちであるが、その3の方法が採用されている小説は見たことがない。

小説では漢字表記が基本なのは、字面で見たときにキャラのイメージと名前を結びつけやすいことが理由だろう。読み方については、漢字の音で読んだ方が日本人にとっては覚えやすいが、キャラによっては間の抜けた感じになってしまう(「らり」なんて薬でもやってそうな名前だ)。一方、中国語の音で読むと、字面と発音を結び付けにくい。ここはどちらが良いとも言い難い。

映像作品で名前の原音読み・カタカナ表記が主流なのは、外国映画イコール欧米の映画だったころからの慣例だろうか(おそらく大半の中国語学習者はこの表記方法をわかりにくいと思っている。「チャン・ツィイー」と「章子怡」とか知らんと絶対にリンクせえへん)。文字の場合は、漢字に中国語の発音をあてると字面と発音が結び付きにくく、ひいてはキャラのイメージとも結び付きにくいという問題があるが、映像ならキャラのイメージと発音をリンクさせやすい。

マーダーミステリーゲームは文字で得る情報が多いので、上の三つから選ぶとすれば、その1かその2だろう。プレーヤー間のコミュニケーションが比較的スムーズなのはその1だと私は思っているが、このあたりは人によっても感じ方が違うかもしれない。

よりクリエーティブな翻訳方法

さて、以上は正攻法、いわば置きに行った翻訳方法だ。そこにはなんのクリエーティビティーもない。そもそも翻訳という作業の8割くらいはクリエーティビティーのかけらもない地味な作業なのだが、時々とんでもないクリエーティビティーが要求されることがある。どうせやるならクリエーティブな作業を増やしたいもの。以下、よりクリエーティブな翻訳方法をお教えしよう。

1.英語名を付ける

中華圏では漢字名とともに英語名を持っている人が珍しくない。ジャッキー・チェン(成龍)、ジェット・リー(李小龍)、ジェイ・チョウ(周杰倫)、シンディー・ワン(王心凌)、ジャック・マー(馬雲)などだ。一昔前までは特に香港や台湾の文化という印象だったが、最近では中国大陸でも外資系企業の社員などを中心に増えている。

無理に原文に合わせるよりは、設定になくとも英語名を創造してしまった方が日本人プレーヤーの耳にはなじむかもしれない。『ゲートを開けるな!』はこの方法で名前を付けている。

もっとも、これはどのシナリオにも採用できる方法ではない。シナリオの舞台や時代設定によっては、違和感が出てしまうだろう。

2.通称を付ける

英語名は、外国人に自分のことを覚えてもらう工夫の一つとして外国語学習者がよく使うが、似たようなアプローチとして、呼びやすい通称を名乗るというものがある。タカシという名前の人が、外国人相手には「Call me Taka」とかあいさつするあれだ。中華圏の芸能界には、EXOの「レイ(張芸興)」、BEYONDの「コマ(黄家駒)」、Maydayの「アシン(陳信宏)」などの例がある。これもキャラ名の翻訳に応用できるだろう。

これもシナリオの舞台や時代設定、そしてキャラの性格や年齢によっては違和感が出てしまうという問題はある。

3.舞台を日本にしてしまう

そもそも舞台が中華圏であることがすでにプレーヤーになじまないなのだから、舞台を日本に移し、人名や地名などもすべて日本風に変えてしまえばいい、という発想である。究極のローカライズだ。『業火館殺人事件』や『凍てついた思念』はこの方法を採っている。

ただし、場合によってはかえって違和感の原因になってしまうだろうし、ストーリー展開やトリックによっては舞台を変えようがないこともある。

以上、3つのテクニカルな翻訳方法を紹介してきた。いずれも原文からはかけ離れるので、私家訳ならともかく、ライセンスを受けて翻訳する場合には、ライセンス元とのコミュニケーションが必要になるだろう。

やはりどのような場面にも使える翻訳方法というのはないので、ケース・バイ・ケースで最適な方法を判断していくことになる。

おわりに

最後に、私が上手いと思った人名ローカライズ方法を紹介したい。日中合作オムニバスアニメ映画『詩季織々』の「上海恋」だ。

中国版では「李墨」、「夏小雨」となっている登場人物が、原則通りに原音読みでカタカナ表記するとそれぞれ「リー・モー」、「シア・シャオユー」となるところ、日本語版では「リモ」、「シャオユ」となっている。原語の雰囲気を残しつつ、日本人の耳にもなじみやすいようローカライズされている点が上手い(そもそも『詩季織々』は明らかに日本向けローカライズを意識して登場人物の名前を付けており、「ずるい」ところではある)。

翻訳ものに限らず、マーダーミステリーのキャラ名はプレーヤーのストレス要因の一つである。キャラ名を決める際には、プレーヤーがキャラ名に起因するストレスを感じないか、という視点も考慮するようにしたい。

ノートに「スキ」をしていただくと、あるボードゲームの中国語タイトルと、それに対応する日本語タイトルが表示されます。全10種類。君の好きなあのゲームはあるかな?