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食べたいものを食べるトレーニング

最近、「食べたいものを食べるトレーニング」をしてます。

そのまんまなんですが、お昼ご飯でも夜ご飯でも、
とにかくその時に食べたいと思ったものを食べるトレーニングです。

こないだ何かの記事で、
自分の考えがない人の特徴とかが書いてあったのですが
その中に「自分の食べたいものが決められない人」
「コンビニに入ったはいいものの何が食べたいかわからなくなる人」とありまして。
・・・わたしじゃん!!ってなりました。

私は結構自分の考えとかを持っているつもりだったので
だいぶショックを受けました。

と同時に確かに思い返すと、
元々周りの目を気にしちゃうタイプだったのもあり、
いつも何食べたい?とかどこ行く?とか聞かれても
相手に合わせることが多かったなあとも。

でも自分の考えがない人っていうラベルを貼られるのは絶対嫌だったので、
・・・じゃあ逆に自分の食べたいものを食べればいいのか!と
このトレーニングを始めました。(安易)

やることとしては、ごはんに行くときいつもは
「なんとなくスープカレー食べたいな~
 う~んでも肉もいいなあ
 最近食べてないものがいいよなあ
 相手はどういうのがいいだろうか、
 そういえば昨日カレー食べたわ~
 じゃあ違うやつがいいかなあ、、」とかいろいろ考えるのですが、

このトレーニング中は
「なんとなくスープカレー食べ・・・よしスープカレーだ!」
くらいの勢いで決めちゃいます。

スープカレー屋さんに向かう途中で
めちゃめちゃおいしそうなラーメン屋があって心奪われたら
「よしラーメン屋だ!」とすぐに方向転換します。

とにかくその時の欲望や一瞬のときめきに
判断を任せるのです。

とまあ食べたいものを食べるという、トレーニングとも言えない何とも簡単なトレーニングなのですが、
これをするようになって、なんとなく気分がいいんですよね。
ごはんとか本当に小さなことなのですが、
自分の純粋な欲望に素直に従っているだけで、
自分の人生を生きてる感というか、
自分でコントロールしてる感というか、
何ともすがすがしい気分になるんです。

そうやって選んだからなのか、選んだご飯がおいしくなくても
あ~あ、あっちにしておけば、、みたいなこともなく
まあ、こんなもんか、程度でさらっと流せる。

こんな小さいことで、結構気分って変わるもんだなあと思いました。

おそらく私は自分の考えがないわけじゃないのですが
なのになんで決められないのか、と考えてみたところ、
おそらく物事を「正しい」「正しくない」で分ける癖があったことが影響してるのかなと思いました。
思い返すと子供のころから白黒はっきりしたものが好きで、
勉強も国語の読解とか感想文とか正解のないものより、
数学とか英語の文法問題とか、これが正解、これは不正解と
答えがはっきりしているほうが好きでした。
だから遊びをするときも、何かを食べるときも
自分のやりたい、食べたいという気持ちより
どっちを選んだら正しいのだろうか、という観点が入ってしまうようになったのだと思います。

社会人歴も長くなってきて、この世に正解なんてものはないというのは理解していて、
自分の人生も正解なんてないから自由に生きようとは思ってはいたのですが
こういう小さなところでは、まだ昔の癖が出ていたんだなあって思います。

とまあこんな安易な感じでやってみたトレーニングですが、
案外マインドに良い影響があったということ、
そしてまだまだ自分は自分に正直に生きられていないな、とも感じられたのは大きな収穫でした。
今後ももっと自分に正直に、楽しく生きていける術を探っていこうと思います。

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