見出し画像

「愛されるハゲ」と「嫌われるハゲ」の違いに思わずハッとさせられた

「ハゲ」という言葉には、たいてい軽蔑的な意味が含まれている。
初対面で頭の髪が薄い人に向かって「ちょっとハゲてますね」などと言うことは、もちろんNGだ。

ハゲていることを気にする人も多い。

「コンプレックスは、努力して克服すべきものなんだ!」
そう教わった人も多いだろう。

「ハゲてることがコンプレックスになってしまうのって、もしかして洗脳のせいなのでは・・・」
ふとしたことがきっかけで、モヤモヤした感覚が私の中にわき上がってきた。

違いを教えてくれた一冊の本

相手の体に関する話題をふることは、一般にはタブーだ。
相手を傷つけてしまうから、家でも、学校でも、こういったことは触れてはいけないと教えられる。

コンプレックスに思っていることを触れられて喜ぶ人など、まずいない。

だが世の中には、ハゲていることを逆に自虐ネタとして使って笑いを取ってしまう人もいる。
ハゲていることをコンプレックスに思って隠そうとする人と、自虐ネタに使ってしまう人は、何が違うんだろう?
その答えを教えてくれたのが、この本だった。

この本の中で「愛されるハゲと愛されないハゲ」の公式というのが紹介されている。

もし飲み会に行って初対面で、明らかにカツラかぶってるなという人がいたとしよう。
そうなると、当人がそのことに触れないと、誰一人としてツッコんでいいのかどうか分からない。
何かの拍子にカツラが取れてしまったらと思うと、緊張した雰囲気に包まれてしまう。

だが本人が、「みなさん、もうお気づきでしょうが・・・実はこれ、カツラなんです!」と言うと、一気に場の雰囲気が和む。
周囲の人も、「ツッコんでも大丈夫なんだ!」というオープンな気持ちになるのだ。

「そんなの、恥ずかしくて言えるわけねぇだろ!」
コンプレックスが強い人は、そんなふうに自分の弱さを打ち明けることに激しい抵抗感があることは確かだ。

でも本当に、ハゲそのものが悪いんだろうか?

「嫌われるハゲ」の嫌われてしまう原因とは

ハゲているからこそ嫌われるというならば、愛されるハゲの人がいることを説明できない。

実は、嫌われてしまう最大の原因は、ハゲていることとは別のところにある。
そのことを教えてくれたのも、さきほどの本だった。

恥ずかしがったり隠されたりしていると、場が緊張するものなんです。

(「おもしろい人」の会話の公式、p106)

確かに、コンプレックスを抱えた人がそばにいると、緊張感に包まれてしまう。
そういう人の中には、バカにされたと勝手に思い込んで周囲に対して攻撃的になる人もいる。
どうせ自分なんてとふさぎ込んでしまい、周囲の人がどう寄り添ったらいいのか困ってしまうということもある。
まさに、コンプレックスを恥ずかしがったり隠そうとしたりして場の雰囲気をまずくしてしまう人というのは、周囲の人から見ると困った存在になってしまいかねないのだ。

本人が隠そうとしてしまうと、周囲の人にとってはかえって気になってしまう。
周囲の人の視線が頭の方にいってしまおうものなら、「ジロジロ見るんじゃねぇよ!」と本人も不機嫌になるだろう。

そうなってくると、周囲と摩擦が起こってしまう。
余計な緊張感を作り出して場の雰囲気を悪くしてしまう人として、嫌われ者になってしまうのだ。

嫌われてしまう原因は、まさにコンプレックスによって場の雰囲気を悪くしてしまうことにある。
そのことを知って、思わずハッとした。
ハゲそのものには、何の罪もないのだ。

ハゲていても愛される人とは

それでは、「愛されるハゲ」はどうだろうか。

コンプレックスを受け入れてカミングアウトしてしまえば、その場も変な緊張感に包まれずに済むし、笑いだって取れてしまう。
個性的なキャラとして、人気が出るということもあるかもしれない。

自分から打ち明けることで、周囲からは「素直な人だ」と好印象を持ってもらえる。

さらに、それだけではない。
ハゲをコンプレックスだと考えて隠そうとしてしまうと、周囲から
「何か他にも都合が悪いことがあると、隠そうとするんじゃないか」
と思い込まれ、不信感を持たれてしまう。
しかし、あえてそこをオープンにすることで、
「隠し事をしない、信頼できる人だ」
と思ってもらえるようになり、信頼感を勝ち取れるのだ。

そういうところにも、嫌われるのか、愛されるのかの違いがある。

ユーモアがあって場の雰囲気を和ませてくれ、素直で信頼できる。
ハゲていたとしても、そういうキャラなら愛されるのだ。

洗脳の存在にふと気づいた

何度も言うが、ハゲていること自体に問題はない。
問題なのは、「ハゲていてはいけない」という謎の価値観の方なのだ。

今や、多様性を尊重しようという時代だ。
ハゲていたとしても、それも個性だと受け入れてしまえば問題なさそうなものだろう。

だが、簡単にそうはならない。
なぜなら、コンプレックスは、とにかくお金になるからだ。

上記の参考記事によると、4年間で680万円という驚くほどの大金をつぎ込んだという人もいるそうだ。(結局効果が出なくて、一部返金されたようだが)
市場規模は年間1000億円以上というから驚きだ。
カツラに関しては、不透明な料金体系のせいでローン地獄に陥る人もいるというから恐ろしい。

ハゲている自分を受け入れるかどうかを決める権利は、本人にある。
自分を受け入れて素直になれば、周囲からも愛される。
カツラや育毛にお金を使わなくてよくなるから、お金もそれだけ手元に残る。

それなのに「ハゲていてはダメなんだ」という価値観を押し付けて、本人が自分を受け入れようとするのを邪魔するというのは、まさに洗脳ではないだろうか。

洗脳とは、第三者が自らの利益のために他者に思想や価値観を植え付けることをいう。
教育や説得のように、本人の利益になる部分というのは、ほとんどない。
仮に、本人のためになるような部分があったとしても、第三者が受ける利益の方が、圧倒的に大きいだろう。
それは、「ハゲビジネス」でどれだけ大きなお金が動いているのかを見ればわかるはずだ。

自分を受け入れて「愛されるハゲ」になってしまえば、何も問題はないのではないか。
他人の価値観に、無理に合わせる必要はない。

ハゲは、受け入れればいいし、
洗脳は、拒否すればいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?