【体験談】妊娠初期に子どもが産まれそうになった。その理由は…
今日は長男がお腹の中にいた時のことを思い出しながら綴ります。
8年前、お腹にいた長男が妊娠18週で生まれそうになりました。「今生まれたら外の世界で生きていくのは難しい」。即点滴をして流産は免れましたが、止まらない腹痛に不安な日々が続きました。
私の切迫流産・切迫早産の原因は子宮筋腫だった
私が長男を妊娠したのは29歳のときのこと。
実は、20代前半より子宮筋腫があり、婦人科の医師からは流産しやすいといわれていました。
長男を妊娠すると、もともと3cmほどだった子宮筋腫が10cm近くに成長。さらに数も3つ増えました。妊娠するとホルモンの影響で大きくなったり数が増えたりすることがあるようです。大きくなった筋腫は、お腹をさわるとポコッとわかるほどでした。
シフォンケーキを作ったら止まらぬ腹痛が……
切迫流産・切迫早産を予防するためにも、設備の整った総合病院に転院することに。
しかし、総合病院に転院したことで私はすっかり安心してしまいました。
妊娠18週目くらいのある日。友だちが遊びに来てくれるというので、シフォンケーキを作ろうと泡だて器を振り回してしまったのです。
そしてその晩、腹痛が定期的におそってきました。
たまたま遊びにきていた姉に「なんだか出産のときの陣痛みたいだね」などいわれて、「もう早いよ〜」とかいいつつ、ゾッとする気持ちになったのを覚えています。
姉と夫に促され、その日のうちに外来受診することに。
とはいってもなんか薬をもらって帰れるだろうと思っていました。姉が妊娠後期に切迫早産になり、薬を飲んでいたことを思い出したのです。
子宮口が開きかけているだと!?即入院から4カ月の病院生活
しかし、診察してもらうと「子宮口が開きかけているからすぐに入院するように」といわれました。
「子宮口が開きかけてるって産まれちゃうってことなの?」
「今生まれたら生きていけるの?」
「シフォンケーキなんて作らなければよかった……」
不安と後悔でおし潰されそうな気持ちでした。
入院中は、毎日「週数に応じた子どもの成長具合」と「今生まれてきたら生存率はどれくらいか?」などを調べて過ごしました。点滴もなかなか入らなくなり、痛みで泣いてしまうことも。
不安でしょうがなかった私を救ってくれたのは1歳の男の子
そんな時、同室のお見舞いの方が、1歳過ぎくらいの子どもを連れてやってきました。暇ですし、カーテン1枚なので、お見舞いの人の声がよく聞こえます。
「この子も28週くらいで生まれて心配だったの。はじめはずっと入院していたけれど、なんとかここまで大きくなったよ。」
カーテンのすきまから見えたその子は、小さなリュックを背負っていました。自分のオムツを入れて持っているそう。しっかり自分の足で歩くその小さな子どもは、そのときの私にはとてもまぶしく感じました。
当時、私のお腹の子は妊娠20週を過ぎたあたり。まだまだ先は長いのですが、早産でも元気に育つ子どもを見て、一筋の希望のようにかんじました。
それから、気持ちを切り替えて今の自分にできることを考えました。とにかく横になることが一番といわれていたので、極力寝転がって窓から見えるお店の看板をながめることに徹します。歯磨きも座って行い、点滴が外れないようになるべく動かないように工夫していました。
点滴はあいかわらず痛かったり、お腹の痛みが納まらないときもあったりと不安がなくなったわけではありません。ですが、今の自分にできることをするしかないと覚悟を決めました。
妊娠37週で退院!外の世界に感動した
毎朝、目が覚めると同じ病院の天井という日々が4カ月ほど続き、妊娠37週。無事に退院する日がやってきました。
空調の効いていない外の空気、コンクリートを踏みしめる足の感触、夫との変わらないやりとりに感動しつつ、無事に子どもがお腹で育った喜びを感じました。
1週間ほど妊婦ライフを楽しみ、元気な男の子を出産。元気すぎてかなり泣く子どもでしたが、今は7歳、小学1年生のお兄ちゃんに成長しました。
初めての妊娠はよくわからず、気軽に構えてしまいがちです。できれば妊娠生活を楽しみたいですし、いつもよりアクティブに過ごしたくなってしまうこともあるでしょう。
ですが、妊娠中は何が起きるかわかりません。なるべく無理をせず、何か異変があったら大丈夫だと思わず、すぐに受診することが大切だと感じました。
そんな私ですが、3年後、2人目を妊娠したときも切迫早産で入院しました。2人目のときは子宮筋腫もなかったのですが。本当に妊娠中は何があるかわかりませんね。
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