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「書いては書き直し」~難病になった喜劇作家の"再"入院日記10

某月某日

再入院から3か月。前回の入院期間をあっさり更新する。今がどん底我慢の時、と毎日のように唱えているが、まったく先が見えない。

気胸、縦隔気腫に加え、間質性肺炎をはかる血清マーカーKL6が入院レベルの3,000台から落ちてこないのが辛い。血漿交換ワンセット(3回)をもう一度やり直すという。が、果たして効果のほどは……。心が頑なになる。

次なる治療として、新薬「ゼルヤンツ」を処方していく旨も伝えられる。薬価一錠2,500円もする劇薬。家族が呼び出され、手術並みの説明を受ける。タクロリムスと併せて更なる免疫抑制。副作用も大きく、他の病気を招くリスクが高くなる。でもこれに賭けるしかない。


某月某日

ベッドに寝たままリモコンで上体を上げたり下げたりするだけの日々が続く。腰の床ずれが痛い。

抱えている仕事が2つ。芝居の新作台本と朗読劇の脚色台本。体的には辛いが、精神的にはとてもありがたい。書いている時だけが、人として生きていると実感できる。


某月某日

お盆だが、病院は通常営業。

血漿交換のため、再びHCUに。重篤患者に囲まれながらの台本作業。今、脚色しているのは山本周五郎氏の「ゆうれい貸屋」という作品。女房から愛想をつかされた怠け者亭主のところに、芸者の幽霊が現れ商売を持ち掛けて……というファンタジーだ。

原作通り、登場人物たちを幽霊のまま扱ってもいいが、どうも現実味に乏しい。むしろ、同じ長屋に暮らす住人たちが女房の思いにほだされて、"幽霊のフリ"をして亭主を立ち直らせようとする人情話にしたらどうだろう、と思いつく。

   *

書くことに集中していたら、カーテンからひょっこりお婆ちゃんが顔を覗かせていたのでびっくり。「いやっ」
芸者の台詞を書いていたのもあって、思わず艶っぽい声を上げてしまった。

向かいに寝ている90いくつのお爺ちゃんのお見舞いに来たようだ。朝から続々と家族が集まってきている。お爺ちゃんは寝たきりで動くことももうない。今朝、瞳孔を確認されていた。最期の時を迎えようとしている。

昼過ぎ、家族一同が揃ったところで、医師により人工心肺のスイッチが切られ、臨終が告げられた。この時ばかりは私も手を止め、黙祷を捧げた。

家族とともに、ご遺体となったお爺ちゃんも移動されていく。再びテキパキと動き出した看護師たちによってベッドが片づけられる。何事もなかったかのように、また次の重篤患者がここに入ってくるんだよな。

カーテンの隙間から、整理されたベッドの傍らにじっと佇む人影が見えた。さっきのお婆ちゃんだった。どうして? 家族と行かなかったのかな? と不思議に思っていたら、そのままスーッとカーテンの奥に包まれるようにして、消えた。

   *

思い立って、今一度台本に立ち返る。ファンタジー要素を全く消し去るのも味気ない。目に見える存在であろうとなかろうと、誰かが誰かをおもう気持ちは、時空を超えて伝えうる。作家が描こうとした核心をもう一度原作から読み解く。現実と幻想の中間、主人公の空想の産物として存在させるやりかたはどうか? ニール・サイモン『ジェイクス・ウィメン』のような。

書いては書き直し。

かの大喜劇作家の自伝タイトルだ。何度も直すことで作品は良くなっていく。そのために、どんな時も心はやわらかくしておきたい。何事も受け止めて変化できるように。

病気への心持ちもそうかもしれない。粘り強く……。


某月某日

ニール・サイモン氏が亡くなったとの報。享年91歳。
――合掌。

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