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「肺、破れる」~難病になった喜劇作家の"再"入院日記8

某月某日

ふたたび死にかけた。

   *

大部屋に戻り三日。一人で立ち上がって出歩くことは出来ず、移動するには酸素ボンベをつけて車いすを看護師に押してもらう、という状態。

私は自意識過剰で、ベッドで尿瓶を使って用を足す行為がスムーズに出来ない。音が漏れたらどうしようとか、こんな場所でしちゃうなんて、という罪悪感がまさってしまう。ましてそれを看護師に「出ました」と言って手渡すなんて。

排便にいたっては完全に無理ゲー。個室でも出来ないのに、カーテン一枚向こうに人がいる大部屋でブリブリなんて。おならにだって殴られたことないのにっ!

看護師にその意を伝え、せめて「大」のときだけは障害者用トイレに連れてってもらうことになった。

   *

そのトイレ内での出来事。

突然、呼吸が出来なくなった。
自分は今、通常の呼吸はもちろん、特に排便時にはかなり苦しくなることが多いため、ボンベからの酸素供給量は10リットル/分で行っていた。(※5リットル/分を超えると、鼻カニューレでなく口マスクになる)

計器を見ると、SpO2は76まで落ちている。やばい……酸素の供給量を上げようとして気がつく。残量がない! この急激な苦しさは、酸素が出てきてなかったからだ!!

やばい、やばい、やばい。

パニックになる。緊急用呼び出しボタンを連打する。どうしました? の声に応答する余裕はない。酸素マスク越しに唸り声だけ挙げて、その場に突っ伏す。そして呼吸を深く、ゆっくり。

早く来てっ……永遠にも感じられる時間。それでも頭の片隅でクソ真面目な声がささやく。ちゃんとおしり洗浄しなくっちゃ。この期に及んで馬鹿なんじゃないか自分。流れ出る涙を拭き取ることは出来ずとも、おしり洗浄のボタンは押せる。水圧は弱めに。あったかいお湯が肛門にあたって、ちょっとだけリラックスできた。

ドンドンドン、看護師がドアをノックする。「開けることできますか? 中から解錠しないと開かないんです!」

嘘? そうなの?

開閉ボタンは無情にもドアの扉近く。だだっ広いトイレの便座位置からは対角線上の向こう側だ。たどり着くには、車いすを超えてカーテンをくぐらないといけない。絶体絶命。クリア出来たら映画化決定だろう。

ついにSpO2は66になった。駄目か。覚悟した瞬間、厄介者の自意識が、逆に最後のパワーを出してくれた。こんな格好で死ねるかよ! って。

大きく息を吸って立ち上がる。意味のないマスクを投げ捨て、絡みつく心電図モニターコードをむしり取った。パンツをずり落としたまま歩き出す。一歩一歩。少しずつにじり寄って、体を投げ出すようにスイッチに手をのばす……。

   *

……と言うことだと思うのだか、実は全く記憶にない。次に意識が戻った時は、きちんとズボンもはいた状態でベッドに寝かされていた。

また、私は一命を取り留めた。
SpO2は前回と同じく56%だったという。耳の奥にスタットコールが鳴っていたのも思い出す。また生かされたか。一回目の時のような興奮はない。「死」も「生」も紙一重なんだな、と達観した気持ちになっていた。

それより、もしまだ生きていられるなら……。
と、一つの思いが不意によぎった。

――書きたい。

もっともっと、言葉を、文章を、物語を私は書きたい。書いて残したい。遺したい。君に。

  *

今しがた、主治医がレントゲン結果を持ってきてくれた。
帰郷、桔梗……ええい、変換もままならない。

気胸 ――肺が破れている、という。

心ももはや動かない。ただ、入院がまた長引くな、そう思うだけ。


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