ハラスメントについて考える
「やる気がないなら辞めろよ、お前なんていなくても全く構わない」
アラフォーならこんな言葉を上司から言われたことがある方はいるだろう。
それが良い思い出だと肯定する気はサラサラないが、当時は当たり前であったし、クソ!と思って抵抗していた記憶がある。
どう感じてどう対処していたかは人それぞれであるものの、いまの時代、当然ながらこんな会話は殆ど聞かれなくなった。
自身のキャリアの中でこの経験は、良いも悪いも大きな財産というか経験になっており、逆境に対する望み方というものが他とは違うと考えている。
かといって「みな経験したほうがいい」というわけではない、前述の通りそのやり方にどう向き合うか向き合うことができるか、はその人それぞれだし、潰れてしまっておかしくなった同様や知人も何人も見てきた。
こういったパワハラのみに関わらず、現代には様々なハラスメントが存在する。というより正確にはその言葉(定義)を生み出して続けている。
5年程前にハラスメント講習というものを会社で受けることになった。
講師曰く「ハラスメントは被害者がそう感じた時点でハラスメントであり、パワハラ、セクハラのみならず他にもハラスメントがあるので管理職の方たちは特に注意頂きたい」というもの。
「パワハラ、セクハラ以外にはアルコール・ハラスメントにも注意が必要。スメル・ハラスメント、マタニティ・ハラスメントそれからヌードルハラスメント、あとハラスメント・ハラスメント(ハラハラ)というのもあります」
次にパルプンテというものもあります。とは言われそうな気がしたが、途中から何だか呪文のように聞こえてきた。
しかしこれは現実の話でありこれらに注意しながら発言をしつつ部下の管理を行ってほしいというもの。
Followしなければならない文化というか流れであることは理解できるが、客観的に見れば都度言葉を生み出し、それを定義づけることによって型にはめて抑制する、何だか息苦しい世の中になったなと。
もちろん大事な事ではあるのだろうが、日本人の規律正しくルールに従順、ある意味では盲信的な国民性には、こういった講習が効果があるのだろうと感じた講習だった。
講師の意図とは全く違うところを理解したわけだが、ストレスレスと言いながら、ストレスを与えるような社会傾向になっているような気がする。
精神面のみならず健康面でもストレスと距離を置くこと、特に海外に単身で住んでいる自分には更に大事なことであり、日々意識している。
別記事でも書いたように日光を浴びる機会が日本よりも少ない環境化、セルフコントロールは非常に重要で他人にどう見られているとか、どう思われているとか日本にいるときに比べてどうでも良くなった、というよりそんなことを気にしたところで1ミリも良いことはない。
ハラスメント講習で感じたことは、ハラスメントがどうというよりそれぞれが精神的に自立することの方が重要だということだ。