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ポップコーンは買わない派です。vol.24

暗黙の了解って便利な言葉ですよね。考えることをやめられるから。

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あらすじ

大ヒット作「カメラを止めるな!」を生み出した映画専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップ「シネマプロジェクト」の第8弾で製作された2作品のうちの1作。俳優として活動するかたわら映画監督として作品を手がけ、劇場デビュー作「枝葉のこと」が第70回ロカルノ国際映画祭のコンペティション部門に出品されるなど、国内外で注目される新鋭・二ノ宮隆太郎が、夏の鎌倉を舞台に、ひとりの若い女性の生き方を描いた。鎌倉に暮らす21歳の女性みのりは、観光客が立ち寄る小さな甘味処でアルバイトをしながら生活していた。一見普通の女性に見えるみのりだが、実は彼女は普通ではなく……。

伏線回収しないスタイル

この作品の大きな特徴というか自分が観ていて、不自然に感じたこととして、伏線を回収しないところにある。

「あれ、さっきカメラに写ってた人たちもう出てこないの?」

「え、この後あの人たちどうなったの?

と逆に印象に残ってしまうという不自然な感じ。ある意味、映像から状況を説明していくというナレーション的な要素も含んでいるのではないかと思っているのです。

どいつもこいつもくだらない

この作品の主人公は萩原みのりさん演じるみのり、若干21歳。

欅坂46からの脱退が決まった平手のような眼光の鋭さ。

みのりは常に不機嫌そうな表情を浮かべている。みのりは世の中の空気に怒っているのだ。

具体的に見てみると、特に女性のやり取りの中で見られるよなもどかしいめんどくささのあるやり取りをぶった切っているのだ。

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例えばっ!
女友達が合コンで男から無理やりキスをさせられて、嫌な思いをした。

という話をみのりにしたところみのりはそれが許せなくて、その男に直接会いに行き、喧嘩を売りにいったのだ。

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みのりはそんな女性。

男女の恋愛関係の話でもみのりは非常に自己中心的な考えがあって、

合コンで仲良くなった男性とセックスしたのだが、みのりはその男とは連絡を絶っていた。相手の男は付き合えるとばかりに思っているために、彼女のバイト先までつけて直接告白をしたのだ。しかしみのりはバッサリと切り捨てる。


み:「付き合う気はない。私はその時セックスしたかったからしただけ、付き合うとは違うから。」

俺:「まじか、」と。唖然とした。


男は当然憤慨。
男:「ふざけんな!このヤリマン!」

俺:そりゃそうだ。みのりはなんていうのだろう。

み:「は?わけわからんお前にヤリマンと言われる筋合いなんてない」

俺:ぬおおおお言うねええ!?

ん、でも確かに案外みのりの言ってることも正しいかもと感じてきた。

セックスした=付き合えるというのはある種の決め付けであり、根拠としてまるでない。

人間関係の暗黙の了解というかその気持ちの悪い空気感に切り込んでいく描写がいくつもあるのだ。

いつも一緒にいる女友達にも自分の価値観、違うと思うことはオブラートなんかには包むわけもなく、ばっさばっさと斬りまくる。当然その場の会話の空気感は悪くなるのだが、後々に言い過ぎたごめんね。というようなやり取りがある。

みのりとKY

「全く無意味なもやもやに時間をとられるのはもったいない」ということなのだろう。
会話の中で誰しもこの気持ちになることはあるだろう。

人間(特に日本人)は自分がどう思っていてもそれが空気にそぐわないと思えば、感情として表に出してはいけないということに囚われている。

空気を読むということはどういうことなのか、本当に違うと思うことに対しても無理に笑顔で流しておく事が正義なのか。後から違うと思ってたんだよねという陰で言い合う事が正しいのか。

水をさすという言葉が悪い意味みたいに捉えている人は非常に多いと思う。水はささないと枯れるからね。花は。
一見うまく進んでいるように見える話し合いでも、明らかにミスってるところがあったとして、それはスルーして後回しにする。そうするとどうなるか。失敗したときにそれを正当化しようとする。

あれ、これって今のA政権についても同じこと言えたりするじゃん?w

こんなこと散々いってるけど、根底を覆してまでやることでもないし、気持ちの中で、疑うという気持ちをどこかに持っておく必要があるんじゃないかなって。さらに言うとなんでも自分ごとにしていくというか。

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みのりと僕

自分には人を変える力なんてないと思っているからね。結局自分で気づかないと動けないんだから。人から勧められた映画なんてきっとつまらないぞ。自分で捜して観るからおもろいんやで。他の作品との関連に気付いておもろいんやで。でもそうなるとわかってたら、相手とどんなものが作品として合うのか考えたり、話し合ってみたりできるのよね。変えられるのは自分だけ。

でもきっかけだけは与えられる人間にはなりたいと思う。その点に関してはみのりと共通する部分かも。
みのりはむしろ優しすぎるよ。わざわざ違うと思うところを教えてくれるんだから。
ただみのりの与えるものは作品の中の人間にもだし、スクリーンを観ている我々にも考えるきっかけを与えている。

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それで考えてくれる人は1%にも満たないかもしれない。

周りに影響を与えられるのは素晴らしいことだ。
一見当たり前と思うことに対して、立ち止まって考えると、待てよ、案外そうではないんじゃないかという別の考えが生まれていくかもしれない。

枝葉のように考え方の肢を増やしていくには土壌から吸い上げる栄養の多さによって萌芽するか、枯れるか変わってくるだろう。

今回もいい映画を観させてもらった。


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