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わたしは主である ①

1.めちゃくちゃな「レッドライン」




「実際をいうと親爺のいわゆる薫育は、この父子の間に纏綿する暖かい情味を次第に冷却せしめただけである。少なくとも代助はそう思っている。ところが親爺の中ではそれが全く反対(あべこべ)に解釈されてしまった。何をしようと血肉の親子である。子が親に対する天賦の情合が、子を取扱う方法の如何によって変るはずがない。教育のため、少しの無理はしようとも、その結果は決して骨肉の恩愛に影響を及ぼすものではない。儒教の感化を受けた親爺は、固くこう信じていた。自分が代助に存在を与えたという単純な事実が、あらゆる不快苦痛に対して、永久愛情の保証になると考えた親爺は、その信念をもって、ぐんぐん押して行った。そうして自分に冷淡な一個の息子を作り上げた。…」


夏目漱石『それから』に見出される文章の抜粋である。

で、これは単なる個人的推測にすぎないが、例えばこのような文章こそ、夏目漱石という作家の評価を二分する、ひとつの要因ではないかと考えている。

どういう意味かというと、

上に描かれたような、「親爺」的な種類の読者からしてみれば、そこににじみ出ている漱石らしい「親爺批判」など、おおよそ「甘ったれたもの」という感想を抱かされるものでしかなく――これは実際にそういう人間を何人も知っているし、私の中でも同様の感想を抱くことがある――

他方、「代助」を支持する側の人間からしてみれば、ここで展開された親爺の教育理論など、現今の言葉でいうところの「教育虐待」以外のなにものでもない――これもまた、実際にそういう人を何人も見て来ている上に、私自身の中でも「曲親爺に在り」と思わされるというエビデンスがある――

という意味である。

さりながら、

『わたしは主である』というふうに題したこの文章において、私がつまびらかにしたいと思ったこととは、「親爺」と「代助」と、はたしてどちらの方がより正しく、より間違っているのか――そんな黒白をつけるような話ではない。

もっとも重要にして、真に考えるべき問題とは、このようなふたつの相容れないものの間に生じた対立や分裂やが、いったいどのような結果を差し招くのか――この一点の方である。

さらにいえば、

親爺派の人間であれ、代助派の人間であれ(もしくは日和見な蝙蝠的人間であれ、だれであれ)、己の目睫において生じる、同類な対立や分裂やによってもたらされた結果の中で、いったいいかなる態度宣言(マニフェスト)を行うのか――これについてこそ、問いかけてみたいと思ったのである。

ほかの誰にでもない、私自身の中の「親爺派」と「代助派」とにこそ――。


その前に、

『それから』の作者たる夏目漱石は、いったいどのようなマニフェストを描いたのだろうか。

まず、親爺側のそれとは、代助の「勘当」であった。

その良し悪しはいったんさて置くとして、それが親爺の取った選択であり、決断だった――それゆえに、その決断が招いた結果について、親爺はあらゆる責任を負う。

一方で、代助側のマニフェストとは、「親爺からの勘当を受け入れる」というものだった。良いか悪いかは別にして、これもまた代助の選択と決断であり、それゆえに、それに伴うあらゆる結果の責任は代助にある。

さりながら、

作者たる夏目漱石の視点とは、より代助側に置かれているがそれゆえに、代助からしてみれば、親爺からの勘当とは、「憂き目」であった。

なぜだろうか?

なぜ、「憂き目」なのだろうか?

あるいは、なぜ「憂き目」だと思わせるような書き方を、百年以上も前の時代において、漱石はしなければならなかったのだろうか――?


そもそも、代助が勘当された理由とは、なんだったのか。

それは、代助の取ったある行動によって、親爺との関係における「レッドライン」を踏み越えてしまった――というものだった。

それゆえに、物語の結末に至って、代助は勘当される。

ここでは詳しく語らないが、代助が「レッドライン」を踏み越えてしまった経緯について、親爺側の視点から見た場合においては、下された審判はしごく「正当なものである」と言い得る話である。

がしかし、話はそれほど、単純なものではない。

『それから』という物語の中においてばかりか、この現実世界においてこそ、「悪いのは代助で、正しいのは親爺である」という結論をもって片づけられるほど、事は単純かつ単簡な事情ではないのである。

だからこそ、かつて百年前の今日この頃、夏目金之助という一匹の人間が、漱石と自ら名乗ってまでして、「単純ではない」という訴えをば世の中へ投げかけたのである。


どういう意味だろうか?

漱石というひとりの人間が、その神経をぼろぼろにし、胃腸に穴をあけ、血反吐を吐きくだしてまでしながら、「単純ではない」とマニフェストした世界とは、いったいなんだったのだろうか?

ありていに言ってしまえば、それは「人間の心」のことである。

人間の心――

この、まことに複雑怪奇にして、闇のごとくに薄暗く、そしてなんぴとにもとらえがたく病んだもの――

もう何度も書いて来たことだが、これこそが「純文学の正体」だからである。

それゆえに、その巧拙についての議論はさて置くとしても、その作品に『こころ』と銘打ってまで、「人間の心の中の様相」をば描き出そうとした夏目漱石という小説家は、近現代日本における、数少ない「純文学の担い手」であったのである。

だからこそ、『それから』の中で、代助が「勘当を受け入れる」という親爺の審判を受け入れながらも、漱石は作者として、最後まで代助の心の方に寄り添い、代助という「子」の側に立とうとしたのである。

では、

人の子であり、かつ、親でもあった漱石が、その小説の中ではあえて「子」の立場を選択してまで、「人の心」の何を描きたかったというのだろうか?

それは、たとえば自らの息子を勘当した「極めて正当なる親爺の審判」について、小説上の話としても、漱石自身の生身の体験としても、「やむなし」という判断のかたわらにある、「どうしても割り切れない思い」であった。

しかし私は、ここで勘当された代助(漱石)の「割り切れない思い」について、解説したりなどしはしない。そんなことをしようとすれば、ここでは時間も足りないし、それがこの文章の主眼でもないから。

それでもたったひとつだけ、愛すべき漱石のために言っておくとするならば、親爺側のロジックには、決定的な「矛盾」があるのである。


決定的な矛盾――

すなわち、

儒教の感化を受けたという、親爺の「薫育のロジック」なるものが、「天賦の情合」だの、「骨肉の恩愛」だの、「永久愛情」だのいう類に基づいたものだとすれば、そもそも論として、これはロジックではなく、ロジック以外の「心」の話である。

であるからして、「心」の話ならばなおのこと、親爺によって代助は勘当されてはならないということになる。

なぜとならば、「天賦の情合」だの、「永久愛情」だのというものに、勝手に「レッドライン」なるものを引いてしまう親爺とは、いったい何者なのか?――という話になるからだ。

がしかし、代助は勘当された。

それは、親爺からしてみれば、代助という子に「存在を与えた(生まれさせてやった)」という絶対的な事実があるがために、自分の側には「骨肉の恩愛」だの、「永久愛情」だのいうものを主張できる「たしかな根拠」があるのだけれども、

「存在を与えてもらった(生まれさせてもらった)側」には、「与えた側」のようには「永久愛情の保証」など、ありえないからである。

少なくとも、それが親爺の薫育の裏側に存在するロジックであり、妄念である。

だからこれは、「矛盾」なのである。

もとい、矛盾というよりも、「めちゃくちゃな理屈」なのである。


ここで、私はあえて「めちゃくちゃな理屈」という言い方をした。

しかしそれは、「より漱石的な言葉遣い」であって、私のそれではない。

曲りなりにも、そのような「めちゃくちゃな理屈」を、この世の「常識」として生きて来た、つたない社会経験に照らし合わせてみても、そんなことくらい、むしろ「当然の話」でしかないのだから。

だって、

生まれさせていただいたのだから、生まれさせてくださった者をば愛せよ、それが、生まれさせていただいた者の分である。また生まれさせていただいた者は、生まれさせてくださった者の言うことに服従せよ、それが、生まれさせていただいた者の義務である。

――かくなる主張など、世の「親」や「親的な存在」からしてみれば、めちゃくちゃ」どころか、しごく「当たり前」な言い分ではないか。

その証拠に、上のロジックを、たとえば以下のように言い換えてみたらいかがだろうか。

雇っていただいたのだから、雇ってくださっている者の言うことに聞き従え。それが、毎月決まった給金をいただけている者の分である。権利を主張したければ、まずは義務を果たせ――。

少なくとも、私のつたない社会経験なるものとは、このような「めちゃくちゃな論理」を「天然自然の理」のごとく受け入れて、イヤでも服従させられて来たというものである。

だから、代助や漱石の言い分もよく分かるように、親爺の言い分もよく分かるのである。

漱石以降の、日本の歴史を俯瞰してみた時にだって、同じような出来事が起こっていはしないだろうか?

国があって、個人がある。先祖があって、お前がある。それゆえに、お国のための滅私奉公とは万人の義務であり、さらには名誉でさえある――。

私がこの世の中にあって、個人的に「仕えて来た親爺」とは、上のような「滅私奉公」をいちじるしく忌み嫌った種類の人間たちであった。

それゆえに、私が生まれさせていただき、生かしていただいて来た場所とは、「お国のために」という思想をこの世の悪か、全人に対する罪のごとくに考えた人々の作りあげた家庭や、組織や、社会や、政治体制やといった世界のことだった。

そして、それに現代的な呼び名を与えたものこそが「教育虐待」であり、「ブラック企業」であり、「格差社会」であり、「戦後レジーム」であり、

すなわち、歴史はくり返す、という格言はまさに、世界の果てのような極東の島国の、虫けらのようなちっぽけな人間の、どうでもいいような人生の上にも、容赦も仮借もなく、実証されたわけである。


しかししかし、

ここに漱石と私の違いがあるのだが、私は、たとえそんな「めちゃくちゃな理屈」にあいまみえても――それがために、私もまた漱石のように十四歳の時に胃腸に穴が開いてはげしく血反吐を吐きくだし、三十の時には過労のために肺炎に罹って命を落としかけたりしたが――そんな「めちゃくちゃさ」について、小説に描いてみようとは思わない。

小説ばかりか、いかなる文章においても、「親爺的なるもの」を漱石のように恨みっぽくしたためてみたいとも思わない。(もしも書いたとしても、たぶん、『坊ちゃん』のようにコミカルに茶化すか、――あるいは、もっと苛烈に過激に辛辣に…)

なぜとならば、私はそんな「くり返されるしかない人の歴史」については、自分と同じ「人」に向かって、いかなるマニフェストをもしようだなんて思わないから。

それは、血反吐を吐いた子供の頃にあっても、肺が雪をかぶったように真っ白になった青年の頃にあっても、しょせん、どこまで行ってもたかが「人」の域を出ない者なんかには、何を訴え出たってムダである、という、たしかな「経験」を経て来たからである――すべて人並みのものでしかないが、それなりの「痛み」と共に。

私ばかりでない。私の友人にもひとり、やはり三十そこそこの若さで、癌になった人間がいる。

――その男もまた、戦後レジーム社会におけるブラック企業にあって、昼も夜も平日も休日もなく、さながら奴隷のように働かされ、あまつさえ、パワハラ、モラハラ、セクハラの類の犠牲者にまでなった者だった。

それでも、私の友人はまだ生きている。

三十そこそこの若さで「終活」を始めながらも、あと一年、あと一年というふうに、「それなりの抵抗を示しつつも、まだ退社することなく」、生き永らえている。

友人は代助のように、親とは「絶縁状態」にある。

しかしそれは、友人の方から縁を切ったからだという。

私はそのような選択と決断に至った、彼の本心を知っている。それは、「自分の病気のために、親兄妹に迷惑をかけたくない」というものである。

それが彼のホンネであるが、タテマエは「幼い頃より親から受けた教育虐待が、今の自分を作ったのだ」という、「子供らしい恨み節」に徹しているのだという。――そうすれば、「自分の不幸を親のせいにするなんてケシカラン」という「レッドライン」を持っている親は強く反発して、自分の方へ寄って来ることがないからだという。


これは余談であるが、

私は以前、この話を、近所付き合いのある「団塊の世代」の老夫婦にしたことがある。

すると、その老夫婦は、私にこう答えて言った。

「君の友人の気持ちも分からないではないが、親の方も気の毒だ。そもそも、親子関係の間に「レッドラインを引く」という考え方が、私らには分からない。時代のせいなのかもしれないが、私らの周りには、親はあくまでも主であり、子は従である――という考え方がまだ残っていた…」

私はその時、私の友人のためにも、あるいは自分の中に棲む「代助」のためにも、近所に住む「団塊の世代」の老夫婦に向かって、何かしら意見らしい意見を述べることはいっさい差し控えた。

その代わりに、この文章を書こうと思い立った。

しかしもちろん、書くことで訴えかけたい相手がいるとすれば、それは上のようにまるで会話らしい会話すら成り立たなかった、「団塊の世代」なんかに向かってではけっしてない。

かといって、その一つ前の世代でも、自分と同じ世代でも、あるいは未来の世代でも――いついかなる世代の「人」に向かってでもない。

近所の老夫婦がいみじくも言った、

「親はあくまでも主であり、子は従である」

というひと言が私に思い起こさせた、「わたしは主である」という聖書の中の言葉について、

私は、わたしの神であるところのイエス・キリストと、父なる神と、聖霊に向かって、問いかけてみたいと思ったのである。



つづく・・・

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