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最悪の聖書の読み方

ナッシュビル宣言は、16世紀カトリックの贖宥状(免罪符)を彷彿とさせる。

原理主義的である分、こっちの方が、もっと末恐ろしい。

いわゆる、はてしなくマトハズレな原理主義による、「踏み絵」の典型である。マトハズレ度合いで言ったら、カルヴァンの「予定説」並みにヒドイ…。

これ、ヘタすれば、「死者が出るような事件」にまで発展する、契機になるかもしれない。

日本でも、60~70年代にかけて起こった「安田講堂」とか「あさま山荘」みたいな事件である。

「安田」みたいな幼稚なオチで済めばいいが、「あさま」みたいなリンチや暴力や流血や…という事件にまで至ってしまったら、悲劇とも呼べないおバカ話である。

「安田」も「あさま」も、私のような未来人の目からしてみれば、まったくの批判的歴史でしかないように、「ナッシュビル」もまた、「贖宥状」や「予定説」のように、未来人による評価は、まず間違いなく批判的なそれとなるであろう。

ある、閉ざされた空間における、狂信的で、原理主義的で、盲目的な集団によるキャンペーン活動ほど、恐ろしいものはない。それが、家庭であれ、学校であれ、教会であれ、企業であれ、国家であれ、なんであれ…

(だから、本当に、本当に、ヘタをすれば、「アウシュビッツ」にまで発展するかもしれないよ、これ…)

そもそも、闘う相手を間違っている。

人が闘うべきは、「神」であって、向こう三軒両隣にちらちらしてる同じ「人」ではないはず。

「罪」や「悪」と闘っているというのならば、なおのこと、神に向かって訴えればいい。闘い方すら間違えている。

間違いついでにもうひとつ言えば、なんだ、あの翻訳は……! 英語ができなくても、辞書を引き引き、原文で読んだ方がまだマシだ。「ナッシュビル」の宣言内容も、目を洗いたくなるような代物だが、翻訳に至って、ほぼ絶望的である。

日本国憲法も、きっと、こんなふうに、クダラナイ英文でもってしたためられたモノを、フザケタ翻訳でもって書き写したんだろう。(そんなモノをば、77年経った今なお、たったの一文字すら変えることもできないでいるとは…)

「ナッシュビル」のような、はてしなくマトハズレな、魚の頭以下の、西欧の排泄物みたいな何かを、無批判に輸入し続けて、臆面もなく日本国内に垂れ流し続けて、恥ずかしくないんだろうか? はらわたは痛まないんだろうか?

どうしてもっと、自分自身の目をもって、どうしてどうして、自分自身の身をもって、神を仰ぎ見ようとしないんだろうか?

神の名前はなんなのだ? 神の本質はなんなのだ? 神の力の源はなんなのだ?

「憐れみ深く…」「慈しみはとこしえに…」ではないか。

そんなにも「聖書」が大事ならば、「憐れみ深く」「慈しみはとこしえに…」というキーワードに絞って、該当箇所だけでも、抜き出してみたらいいではないか。

そうすれば、「ナッシュビル」なるご宣言が、いかに、姦淫の女を引き摺り出して、取り囲み、みんなで石を投げつけるような「罪」に過ぎないものか、分かるだろうから。

このおバカな宣言は、「憐れみが裁きに打ち勝つ」のではなく、「裁きが憐れみに打ち勝ってしまった」、最低最悪の事例のひとつである。(「最低最悪な聖書の読み方」を知りたければ、ピッタリな事例ではあるが。)

いつの世も、ほかならぬ「レビ人」たちこそが、最低最悪な聖書の読み方を繰り返して来た。

「ナッシュビル」に至って、オリンピック金メダル級のマトハズレっぷりを、またしてもご披露してくれたものだが、…まあ、勝手にやってくれ。

ただ、後生だから、「おらが村」の中だけで、やってくれ。

共産主義のような、精神的性病を、世界中にまき散らすような「罪」は、どうかどうか、「良心」があるならば、つつしんでくれたまえ…!

もういっぺん、警告しとくけど、本当に本当に、ヘタをすれば、「アウシュビッツ」にまで発展するかもしれないよ。ヤバいぜ、これ…



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