見出し画像

神の義 ②


――
そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
――


それゆえに、

もう一度くり返しておくが、およそ四千年前にこの地上に生きたとされるアブラハムなる人物とは、その生涯を通じて、人としての魅力をほとんど見せることのできなかった、小者中の小者であった。

がしかし、

そんなアブラハムにあって、わずかに変わることを得たのは、イサクを捧げてから後のことだった。

私は信仰によって、このように言えと言われたまま言っているまでであり、それゆえに書けと言われたままのことを以下、淡々と語っていくばかりである――

すなわち、

イサクを捧げることによって、蟻のケツ穴だったアブラハムは、はじめて人の痛みを理解できる人間となった、

それは、彼がイサクを失うという痛みを、その身をもって味わい知ったからである、

モリヤの地の「神の山」において、主なる神の与えた試練とは、アブラハムにおいて愛する独り子を失うという耐えがたき痛みであり、そんな生きたまま身を引き裂かれるような体験をさせることによって、それまでただただ薄情で、自分勝手で、人の痛みを知らず、知ろうともしなかったひとつの憐れみのない心の形をば、人の痛みをおもんばかることのできるような憐れみ深い心の形に造り変えるための、「人でなしの恵み」であったのである――。


であるからして、

まことにしつこいようだが、ソドムとゴモラの裁きを前にして、アブラハムはその心にただただ恐ればかりを抱いたために、立ち去った。

自分の甥であるところのロトの生存も安否もたしかめようともせず、もしもあるいは死んでしまったならば、どこかに墓のひとつでも作ってねんごろに葬ってやろうともすることもなく、ただひたすらに背を向けて、逃げ去っていった。

そういう人間が薄情でなくてなんであり、その心が蟻のケツ穴でなくて、なんであろうか。

がしかし、この私はたとえ滅ぼされて当然の罪深き都であったとしても、自分のたったひとつの故地へと立ち帰り、その地を歩き回りながら、滅ぼし尽くされた真っ黒な灰燼と瓦礫の底を、自らの手をもってかき分けた。

それは、私の心に今もなお生き続ける愛する人々の残した思いを掘り起こすためであり、掘り起こしたそれら思いを噛みしめてなお、心激しく焼かれ、はらわたも焼かれ、滂沱の涙もまるでかえって炎を燃え盛らせる少量の水であるがごとくに、全身全霊を焼き尽くされたからであった。

さりながら、

自身の実体験としてはっきりとはっきりと言っておくが、そのような狂おしい火に焼かれるような心であればこそ、救い主の姿を認め、悟り、見つめることができたのである。

焼き尽くされて、のたうちまわるような魂であればこそ、救い主のその魂とも、顔と顔を合わせて語り合うことができたのである。

そして、そんなふうにして出会い、霊的に激しく交わり合えばこそ、救い主(キリスト)とはただひとり、イエスという名をした神であることを――

永遠に生きる霊であり、死者の中から復活した神の憐れみの霊であるところのイエスでしかないことを――

すなわち、イエスがキリストであり、キリストがイエスであるという命を与えるたったひとつ真理の紛れもない真理であることを、たったひとつしかない身と心と霊とをもって確信するに至ったのである。


それゆえに、

「神の義」とは何かというふうに問われたならば、それはイエス・キリストそのものであり、キリスト・イエスの言葉であり、信仰であり、行いであるところの「憐れみ」であるというふうに、天真爛漫に回答することを得るのである。

そのような神の義「憐れみ」が、どうして油(金)や核兵器やを独占したいがだけの「大義」なんかであり得るだろうか。

人の痛みに同情する心が神にあること、そのような心の形をこそ人にあって神がもっとも愛すること――それを私はソドムとゴモラの焼野原の中で、アダムがエバを知り、エバがアダムを知ったように、この身をもって知るに至った。

がしかし、薄情で、偽善的で、憐れみのなんたるかも分からなかったアブラハムには、私のようにソドムとゴモラの地においては、それができなかった。

できなかったがために、アブラハムには後になって、恐ろしい試練が与えられた。

さながらソドムとゴモラの裁きをば下されるかのような、「約束の子イサクを神に捧げよ」というもはやどこにも逃げることも隠れることもできないような、痛みと悩みと苦しみとを全身全霊に課されるという、仮借なき試練をくだされるハメに陥ったのである。

これは余談であるが、この「イサクを捧げよ」という神の言葉の中にこそ、後の時代にイエス自身が語った、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ」という言葉の真意が込められている。

だから、その真意、真理、奥義、神の御心――あるいはただ単にイエスの心情――にまでたどり着けない人間どもとは、たとえば当代において国家の認証を受けた宗教法人なんかが設立できれば欣然として、それが「カエサルのものはカエサルに」という神の言葉の実践であるものと誤解盲信し、そんな集会の中でそれらしいアーメン垂れながら「ここは神の家です」だなどとうそぶいてみせては、「神の家へ献金を」にのみ目を血走らせ、その他のあらゆる法人と同様「利潤追求」のためだけに東奔西走をくり返しているのである。

こういうトンチンカンな集会に額を寄せ合っているバカどもこそ、どこぞの罪深き地域における欲深き戦争をば、自覚の有無を問わずに支持を惜しもうとしない勢力なのである。

がしかし、はっきりとはっきりと言っておく、

「神の家」を認証するのは「神」ただひとりであって、国家なんかではけっしてない。いわんや、集まった信者の頭数でもなく、行われた奇跡のしるしでも、培われた長い歴史でも、長い歴史によって支えられる宗派でも教義でも神学でもない。

あくまでもあくまでも余談にすぎないが、神の家とは、人の痛みの分かる心のことであり、

その心が本当に人の痛みを分かるかどうかを「認証」するのが、神の与える「試練」なのである。


それゆえに、

イサクを捧げるという試練に先立って、アブラハムは数多くの試練に失敗しつづけて来た。

甥のロトを憐れまずにソドム地方へ背を向けた行為にしても、サラの剣幕に気圧されて女奴隷ハガルを追い出すことを許したその行為にしても、「薄情」という「認証」を受けた。

同様に、ほうぼう歩き回った当時の中東地方において、さんざん不信仰かつエゴイスティックなふるまいをその土地土地の人々に対して行って、数多の人々に迷惑をかけ続けてきたその心には、「自分勝手」という「認定」を受けた。

だからこそ、「イサクを捧げよ」という究極の試練にまで、アブラハムは自身を追い込まなければならなかったのである。

何度も言うようであるが、私はこのようなすべての言葉を、ただ信仰のみによって語っている――すなわち、ユダヤ古代史なんか知らないし、当時の中東世界についての歴史的背景とか、道徳、風俗、生活習慣についてもまったく知らず、興味のかけらもありはしない。

私が興味のあるのは、神の霊感によって書かれた言葉の中に、どのような神の心情が込められているのか――それだけである。

それは信仰というつるはしによってのみ、掘り起こし、発見することのできる、隠された宝である。

だから、聖書の研究――こんな言葉遣い自体好まないが――においてただひとつ、絶対不可欠なものとは信仰であり、信仰とは、たとえばソドムとゴモラに背を向けたアブラハムのふるまいについて、神がそれをどのように見つめ、どのように感じたのかという心情を探り、知ろうとする心の姿勢のことなのである。


それゆえに、

そのような神の心情を知り、その身をもって体現するという信仰の創始者であり、完成者であるところのイエス・キリストに与えられた信仰によってはっきりと言っておく、

ロトがソドムとゴモラの街々を破滅から救えなかったように、アブラハムもまた自分の旅した地方における国々に対して、「憐れみ」を示すことができなかった。

チャンスはいっぱいあったにも関わらず、それができなかった。

歴史にタラレバは禁物であるが、アブラハムがロトを探し求め、ロトが失われた町で死んだ自分の家族の亡骸を尋ね求めようとして、私のしたように瓦礫と灰燼の底をかき分けるようなふるまいに及んでいれば、彼らはソドム地方のどこかで再会し、ふたたび一緒に旅することができたであろう。

そうすれば、その後ずっとユダとイスラエルの人々と敵対し続けた、モアブ人とアンモン人が誕生することも無かったであろうし、

またそうすれば、時も二十一世紀までくだった今日ただいまに至って、なお血で血を洗うような戦争がくり返されずとも、済んだことであろう。

だから、同じ信仰によってはっきりと言っておく、「父祖の罪を三代四代まで問う」とはこういうことであり、その心に憐れみではなく恐れを抱いた人間の些細なふるまいが、後代にあっていったいどれだけの血を流すはめになってしまったのか、「ソドムとゴモラ」の物語は今もなお、これ以上なく雄弁に物語っているのである。

それゆえに、

”憐れみの霊”に駆り立てられながら、私はさらに書き進めよう――すなわち、アブラハムとは、まったくハシにもボウにもかからないようなどうしようもない愚物であったものの、最後の最後でわずかに変わったのだ、と。

すなわち、イサクを捧げるという行為によって、最後の最後に人の心の痛みを知ることのできる男になったのだ、と。



つづく・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?