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住職も画家! 江戸時代は画家のサロンになった、宇都宮のお寺【第10回】稲木山観專寺(栃木県宇都宮市)

 来年、京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められることを記念して、宗祖・親鸞聖人(1173―1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。
 

ご旧跡紹介

 寺伝によると、開基の二十四輩第13の信願房は、もとは常陸国の武士、佐竹義隆の次男、稲木次郎義清といい、常陸稲木(現在の茨城県常陸太田市)の領主だった。最愛の一子を失い、世の無常を感じて出家し、義空と名を改め、天台宗の僧侶となった。のちに天満宮の霊告によって、建永元(1206)年、寺を宇津の西原(現在地)に建立。稲木山観專寺と号した。

 建保二(1214)年、親鸞聖人が、下野国芳賀郡高田に法座を開かれ、船生の佐貫に立ち寄られた際、観專寺でお休みになった。ここで親鸞聖人が念仏の教えを静かに説かれると、草木が風になびくが如く、老若男女が念仏に帰依したという。このとき義空は聖人から信願房という法名をたまわる。

 親鸞聖人帰京の後、信願房は聖人を慕って京都の五条西洞院を訪ね、喜び胸にあふれ、帰国を忘れたかのようであった。親鸞聖人もその厚信に対して、自ら画像を描いて信願房に託した。信願房は関東に帰り、聖人から受け継いだ他力念仏の教えを人々に説き、また常陸、河内、三河の数カ所に草庵を建てた。

現地ルポ


JR宇都宮駅から東武宇都宮駅を通り過ぎ、若者が集まるユニオン通りを抜けてすぐの宇都宮市中心部に観專寺はあります。門をくぐり、親鸞聖人が歌を詠まれたといわれる梅の木の奥で、寺族皆さんが掃除をしながら出迎えてくださいました。

現在の稲木義友住職から数えて5代前、第22代住職の稲木黙雷は画家でもあり、江戸時代に活躍した文人画の大家・高久靄崖の弟子でした。当時、観專寺には酒井抱一や椿椿山をはじめとする多数の画家が集まり、サロンのような場所になっていたといいます。

「私たちに『観專寺の門徒』という考え方はなく、みんな親鸞さまの門徒だから」と稲木住職が言う「開かれたお寺」を伝統とする観專寺は、人も芸術も集う場所となっています。それら文人画などの作品は、外部に披露する特定の機会はありませんが、博物館に貸し出したり、太子会館の大広間で集まりがある際などに飾って、お披露目することもあるそうです。

旅ある記

藤 今回は稲木住職にお話を伺います。まず内陣の親鸞聖人が自ら彫られたという御真影(木像)が印象に残りました。
稲 あの像は正面から見ると目を半分閉じているように見えるんですが、報恩講でお焼香をする時に前に座ると、親鸞聖人と目が合うんですよ。「住職頑張れよ」って言われているような気がします。
星 信願房の木像も伝わっていますね。
稲 そう。私に似てキリッとしたいい男でしょ?
星 さすが末裔です。キリッとしているところが私にも似ているような気もします。
藤 星さん、それはちょっと無理があるんじゃないかな……。
(藤本真教・星顕雄)

稲木黙雷「風竹」(観專寺蔵・宇都宮市指定文化財)

 
公共交通機関でレッツアクセス!
〒320-0042 栃木県宇都宮市材木町6-11
電話 028-636-3551
築地→(東京メトロ日比谷線・北千住方面・170円)→上野→( 東北新幹線指定席・4 8 1 0 円)→宇都宮→(徒歩)→宇都宮駅西口→(関東自動車バス・駒生営業所行など・170円)→新川→(徒歩2分)→観專寺
駐車場 普通車20台
※参拝には事前連絡が必要

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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