『愛宕山』『蒟蒻問答』【多田修の落語寺 vol.2】
落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。
蒟蒻問答(こんにゃくもんどう)
わけがあって江戸を飛び出した男が田舎(いなか)に行き、こんにゃく屋の主人の紹介で、禅寺の住職になりました。修行など全くしていませんからお経はデタラメ、寺で酒盛りしていました。するとある日、旅の修行僧がこの寺へやってきて、禅問答を挑(いど)みに来ました。住職は問答で負けたら、寺から出て行かなくてはなりません。事情を知ったこんにゃく屋の主人が「大和尚(だいおしょう)」のふりをして禅問答の相手をします。旅の僧が何を聞いても「大和尚」は黙(だま)っています。すると旅の僧は「大和尚は無言の行(ぎょう)をしている」と考え、身振り手振りで問いかけます。こんにゃく屋の主人も身振り手振りで返します。すると旅の僧は「愚僧(ぐそう)の及(およ)ぶところではございません」と退散しました。2人はどんな問答をしていたのでしょうか?
禅問答では常識的な思考を飛び越えた応答がなされるので「わけがわからない話」の代名詞のようになっていますが、仏教の問答とは教えについての討論です。浄土真宗でも行われています。
この落語の問答でこんにゃく屋の主人が言おうとしていたのは、実は禅と無関係なことでした。それを旅の僧は、禅の教えとして理解しました。見方によっては、こんにゃく屋の主人が旅の僧に禅を教えたことになります。私たちは気づいていなくても、他人に大切なことを教えている場合があるのです。
『蒟蒻問答』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
禅問答の身振り手振りが見せ場の落語です。今回は立川談志(たてかわだんし)師匠のDVD「立川談志ひとり会’92~’98初蔵出しプレミアム・ベスト第五夜 蒟蒻問答/三軒長屋」(竹書房)をご紹介します。談志師匠は若手の頃からその実力で注目を集め、亡くなった今でも落語界のカリスマです。
愛宕山(あたごやま)
今回の落語は、春の行楽に愛宕山へ登る話です。落語の舞台は東京ではなく、京都の愛宕山です。
ある店の主人が京都に出かけ、舞妓(まいこ)や芸妓(げいこ)、さらに幇間(たいこもち)(宴席で客の機嫌をとり、芸を演ずる男性)を引き連れて愛宕山に登ります。山にかわらけ投げ(素焼きの皿を的に向けて投げる、フリスビーのような遊び)の的があり、主人は「これも遊びの味」と、皿の代わりに小判を投げ始めます。幇間の一八(いっぱち)が「もったいない」と止めようとしても、主人はお構いなし。小判を30枚投げ終わってから、「あの小判は投げたのだから、拾った人のものだ」と言います。一八はそれを拾おうと思いましたが、落ちているのは深い谷底。そこで、大きな傘を広げてパラシュートのようにして谷底に舞い降ります。小判30枚を拾い集めたものの、上がる道がありません。その時、一八がしたことは?
落語では触れられていませんが、愛宕山は山岳修行の霊場で、愛宕権現(あたごごんげん)をまつる白雲寺(はくうんじ)がありました(明治初期の神仏分離により、現在は愛宕神社になっています)。愛宕山に登ることは、そこにお参りすることでもあります。この落語で描かれているのは、お参りを兼ねた行楽なのでしょう。かわらけ投げも、本来は厄除(やくよけ)です。参詣が行楽でもあったことが背景にある落語です。
なお、愛宕山に交通機関はありませんので、今でも登るときは徒歩です。落語を聞いて登ろうと思った方、ご注意下さい。
『愛宕山』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
古今亭菊之丞(ここんていきくのじょう)師匠の『古今亭菊之丞名演集1 たちきり/愛宕山」(ポニーキャニオン)をご紹介します。菊之丞師匠は江戸、京、大坂の言葉を使い分けながら「愛宕山」を演じます。
【筆者プロフィール】
多田 修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。
『松山鏡』『粗忽の釘』『一目上がり』【多田修の落語寺 vol.1】はこちらから
※本記事は『築地本願寺新報』5月号、6月号に掲載された記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。