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銀行マンが、僧侶の道を選んだわけ【築地本願寺宗務長が語る仏教との向き合い方②】

銀行員からヘッドハンター、そして築地本願寺の代表役員へとユニークな転身を果たした安永雄玄宗務長。ビジネスマン時代の経験をもとに、築地本願寺でも多数の改革を行う様子は、異色の僧侶として多数の脚光を浴びています。

なぜ、第一線で活躍するビジネスマンから「僧侶」への転身を図ったのか。ヘッドハンターとして活躍する一方で、宗教家として生きていくことを決めた理由や、数ある宗教の中でも浄土真宗の僧侶を選んだその理由について聞きました――。

40代の銀行員時代によぎった、「このままでいいのだろうか」という疑問

――精神分析に興味を持つようになった少年時代から、宗教の道に進もうと考え始めたのはいつ頃でしょうか?

安永 40代ですね。当時の僕は銀行員だったのですが、本社から他社への出向を命じられたんです。いわゆる、左遷です。半沢直樹と一緒で、仕事をやりすぎて、失敗してしまったんですね。そのとき「自分は銀行員のままでいて、いいのだろうか」と悩んでいて。この頃から、かねてから興味のあった宗教の世界を本格的に勉強してみたいという気持ちは、漠然と生まれていたように思います。

半ば冗談ではありますが、周囲の人にも「銀行を辞めて、宗教界に行こうかな」と口にするようになっていました。あのときはあくまで冗談で言ったつもりだったのですが、今、こうしてその想いが実現しているから、不思議なものですよね。

その後、銀行を辞めて、ヘッドハンターに転職したものの、人間の心理や宗教の勉強は続けていたんです。当時は、銀行員時代よりも時間に余裕ができたので、知的好奇心に任せるままに、いろんな宗教や自己啓発の研修などを受けに行きました。

安永コンサルタント時代2004

ヘッドハンター時代の安永氏。

数ある宗教の中で、浄土真宗の僧侶になった理由

――数ある宗教に触れるなか、浄土真宗の僧侶になったのはどうしてなんでしょうか?

安永 仏教の中でも浄土真宗は、高校の日本史の授業で、鎌倉仏教をはじめ宗教者の歴史を勉強した際、法然上人や親鸞聖人の教えにしっくりきた記憶があったんです。また、当時は、劇作家の倉田百三が親鸞聖人とその弟子・唯円について書いた『出家とその弟子』を読んでいて、浄土真宗への興味も持っていました。さらに、もともと僕の実家も浄土真宗だったので、馴染み自体はあったんですよね。そこで、宗教者になるかどうかは別として、ひとまず浄土真宗について勉強しようと決めたんです。

出家注の手弟子


最初は「プロのお坊さん」になる気はまったくなかった

――その後、仏教知識について学べる中央仏教学院の通信課程に進まれたんですね。3つあるコースのうち、終了時には僧侶資格が取れる一番難しいコースを取られていたとか。

安永 当初は僧侶になる気はなかったんですが、「どうせ勉強するなら、一番難しいコースがいいな」と思って、3年間かけてお坊さんの資格を取る専修過程を選びました。3年間も通い続けられるか自信はなかったので、「忙しくて途中でやめてもしかたがないか」という気持ちで始めました。

――なるほど。最初は、僧侶資格よりも勉強目的で、通われたということですね。

安永 そうなんです。ところが、いざ通いはじめるとおもしろくて。月2回は対面での授業を受けるのですが、その時に先輩たちがやっている勉強会に入ったんです。すると、その勉強会で友達ができて、仲良くなってしまい、なかなかやめられなくなってしまって(笑)。

また、同時期に通っていた同級生たちもみんな勉強熱心で、卒業後は僧侶の資格を取る人ばかりだったんです。当時は、僕自身は僧侶になる気はなかったのですが、「安永さんも僧侶になれば?」と誘われて。実家のお墓がある住職に相談したら、「ぜひ、僧侶になりなさい」と肩を押され、僧侶の資格を取得することにしました。

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心の底から死を恐れ、牧師になった同級生の存在

――宗教を勉強するのと、宗教者として道を歩むのとでは、ハードルの高さが違う気がしますが、躊躇はありませんでしたか?

安永 実は、あまりなかったんです。というのも、僕の高校の同級生で、すでに宗教の道に進んでいる人物がいたからです。彼は、僕が高校2年生のときの生徒会役員仲間なのですが、彼は当時から「死が恐くてしかたがない」という漠然とした悩みを持っていたんですね。その悩みの末、彼は家族にキリスト教徒がいるわけでもないのに、洗礼を受けてクリスチャンになったんです。そして、高校卒業後は、ICUに入学して神学を勉強し、その後は、神父の行く専門学校を経て、イングランド国教会の聖公会の牧師になりました。

僕自身が彼の行動すべてには必ずしも共感はしないものの、心底から死を恐れた末に宗教の世界に入り、専門家になったという彼の残像は、心の奥底にずっと残っていたんです。そんな彼の存在に影響されて、「自分もいずれは宗教の世界に進んでもいいんじゃないか」と感じていたのだと思います。

気が付けば、自然とサークルの中に組み込まれていた

――お坊さんの資格を取った後も、ヘッドハンターとしての仕事は続けていたんですか?

安永 はい。相変わらずヘッドハンターの仕事は続けていました。本格的に僧侶の仕事をするようになったのは、大学の先輩に声をかけられて、先輩のお寺に手伝いにいくようになってからです。しばらく土日のどちらかだけ通っているうちに、その先輩のお父さんである住職に気に入られて、「手伝いに来てくれないか」と頼まれ、その寺の副住職になってしまったんです。平日はヘッドハンターとして働いて、週末は法事を担当する。ほとんどボランティアみたいなものでしたけどね。

また、同時期に、ヘッドハンターの仕事で、とあるインベストメントバンカーの方にお会いしたんです。すると、その方が浄土真宗本願寺派の僧侶の方を紹介してくれて、それがご縁で築地本願寺とつながりができました。以降、様々な会合に呼ばれるようになったり、講演をしたりすることも増えていったんです。自分から意図したわけではないのですが、自然とそのサークルの中に組み込まれて、気が付けば築地本願寺の宗務長という立場に就任していた……という感じですね。

――まさにご縁ですね。

安永 はい、今考えてみると本当にその通りですね。

僧侶として活動して、初めて仏教者として生きる大切さを知った

――僧侶になってよかったと思った、最初の体験はなんですか?

安永 とあるお寺で、ご法話をしたんです。すると、法話の後に「今日はいい話を聞けて、心が安らかになりました」と言ってくださる方が非常に多かったんですね。そのとき、「ここまで人に喜んでもらえることは、なかなかなく、ありがたいな」と心の底から思いました。

これまでは、どこか勉強の対象として宗教や仏教をとらえていた部分もあったと思うんです。でも、この体験を通じて、単なるお勉強ではなく、仏教者として生きる大切さや心地よさを感じました。たとえば、お経を読むということは、「お釈迦さまのメッセージを自らいただく」ことです。さらには自分だけでなく、同席している方々と共有する行為でもあります。僧侶になってから、「どんな行為もその先に必ず受け手がいる」ということを、より一層意識するようになったように思います。

同シリーズの第3回目『思考は現実化する』にも通じる、多くの人が仏教を必要とする理由【築地本願寺宗務長が語る仏教との向き合い方③】はこちらから

【バックナンバー】シリーズ第1回「愛読書はユング心理学。銀行員から転身した僧侶のカルチャー遍歴とは【築地本願寺宗務長が語る仏教との向き合い方①】」はこちらから