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サービス・ドミナント・ロジックと知的財産

 ムサビの学生生活も2年目を迎えようとしていますが、この一年で特に印象深い学びの一つであるサービス・ドミナント・ロジック(S-Dロジック)と、自分の専門分野である知的財産の関係について、頭の整理をしておきたいと思います。

1. はじめに

 意外にマイナーなので初耳という方が少なくないかもしれませんが、2004年に米国のマーケティング学者、Robert F.LushとStephen L.Vergoが提唱した、従来のマーケティングの枠を超えた新しい理論が、「S-Dロジック」です。「すべてのビジネスはサービスである」「モノ自体に価値はなく、モノを使用した受益者が認識することで価値が生じる」といった要点だけを切り取ると、「製造業のサービス化」とか「モノからコトへ」のことかな?と思われてしまいがちですが、実はもっと奥深くて、難解な考え方です。
 自分も2冊の本を読んで、なんとかその全容が見えてきたところですが、これからの社会や経済のあり方を考える際の基盤とすべき本質的な要素を含んでおり、ここに現代の様々な問題を解く鍵があるように感じています。
 S-Dロジックは、問題に対する具体的な解法を提示するハウツーではなく、物事に対する見方を変えるマインドセットや「レンズ」である、と説明されています。S-Dロジックというレンズを通すと、知的財産はどのように見えてくるのでしょうか。

 はじめにS-Dロジックのエッセンスを、簡単にまとめておくことにしましょう。S-Dロジックは用語の使い方が独特で、正確な用語を使うように努めると初めは何が何だかわからなくなってしまいがちなので、ここではちょっと大胆に、私なりの理解、私なりの言葉で説明してみたいと思います。そのため、用語の使い方が不適切であったり、理解が不十分であったりする部分があるかもしれませんが、その点はお許しいただけると幸いです。

2. グッズ・ドミナント・ロジック(G-Dロジック)

 新しい見方であるS-Dロジックに対して、従来からの一般的なビジネスの捉え方がグッズ・ドミナント・ロジック(G-Dロジック)です。
 G-Dロジックでは、価値を次のように考えます。
 企業が顧客に提供するモノには価値がある。企業は顧客に選ばれるように、より価値があるモノを生産するよう研究開発・事業開発に努め、その価値を顧客に届けるための戦略や計画を立て、それを推進する。つまり、価値とは貨幣に換算することが可能な「交換価値」であり、企業から顧客へと一方通行で提供されるものである。このように、生産者(企業)と消費者(顧客)を区別して考えるのがG-Dロジックです。
 これはモノだけでなく一般に言うところのサービスについても同様で、企業は価値のあるサービスを開発して、顧客に提供する。有形のモノが無形のサービスに置き換わるだけで、これもまた生産者ー消費者の関係を基盤とすることに違いはありません。

画像1            【G-Dロジックのイメージ】

 こうした生産者と消費者の関係について、生産者の考える価値を一方的に押し付けるのではなく、消費者のニーズをしっかりと汲み取らなければいけないということで、顧客志向のマーケティング、プロダクトアウトではなくマーケットインといったことの必要性が、以前から言われています。しかし、マーケティングにおけるこうした顧客重視の考え方も、提供するモノやサービスをシーズ・ニーズのどちらを起点に考えるかという違いに過ぎず、いずれもG-Dロジックが前提になっていることに違いはありません(マーケティングはモノやサービスの市場を対象にするので、当然のことではありますが)。
 G-Dロジックは、特にバブル経済を経験し、新自由主義的な価値観での競争環境に身を置いてきた我々世代のビジネスパーソンにとって、何の違和感もない理論というか、それを疑おうともしないビジネスにおける当然の前提とされてきていますが、価値を追い求める企業の開発活動は行き過ぎた機能競争やオーバースペックを招き、それを顧客に届けるためのマーケティング活動が肥大化して、大量生産・大量消費型の社会を生み出す要因となってしまった。企業がこうした成長志向の活動を続ける一方で、経済成長率は以前のようには上向かず、生み出された富は偏在化し、経済格差はますます拡大していく。近年増えているこうした論調は、G-Dロジックの限界を示しているのではないでしょうか。

3. サービス・ドミナント・ロジック(S-Dロジック)

 G-Dロジックでは、企業と顧客による、交換価値のあるモノ(有形の商品)やサービス(無形の商品)と貨幣との交換を経済活動の基盤と捉えますが、S-Dロジックでは、この交換の対象をサービスと捉え直して、サービスが交換の基本的基盤である、と考えます。
 ここからがややこしくなってくるのですが、S-Dロジックにおける「サービス」は、G-Dロジックにおける無形の商品であるところの「サービス」(S-Dロジックでは「サービシィーズ」として区別します)ではなく、自身が持つ資源(知識やスキル、モノetc.)を適用するプロセスであると定義し、そのサービスを交換することで社会や経済活動が成り立っている、と考えます。弁理士業であれば、特許出願の代理人報酬○○万円といった体系化されたメニューが「サービシィーズ」であるのに対して、特許法や実務の知識、発明発掘や明細書作成のスキルを適用して特許出願を実現するプロセスが「サービス」ということになります。わかりにくいとは思いますが、ここを深入りしていると超長文になって論点がぼけてしまうので、今日のところはこれ以上踏み込むことは避けておきます。
 こうしたサービス交換によってお互いの持つ資源が統合され、顧客が便益を認識することによって、価値が生じます。つまり、価値とは生産者が創り出して顧客に一方的に提供するものではなく、サービスを交換してお互いの資源を統合することによって生じるものである、と捉えるのです。

 例えば、顧客である企業が社内システムを構築するケースであれば、G-Dロジックでは、顧客は事業者Aからは業務システムの開発、事業者Bからはネットワーク工事、事業者Cからはデータ入力というサービシィーズ(及びそれに伴うハードウェア等のグッズ)を購入する(=サービシィーズ等の価値を貨幣と交換する)、という見え方になります。これをS-Dロジックというレンズを通して見ると、各々が持つ資源であるスキルや知識、情報、アイデア、ハードウェア等のグッズを統合することによってシステムが構築され、顧客が業務の効率化等の便益を認識することによって価値が生じる、と認識されることになります。同じ事象に対する見方を変えて、前者では各々の利益のための「取引」であるものが、後者では共通の目的に向けた「共同作業」となるイメージですね。

 すなわち、価値とは、企業が顧客に提供するものではなく、企業が顧客や他の事業者(S-Dロジックではこれらを区別せず「アクター」と呼びます)と共創するものである。企業が顧客に対して行うことができるのは価値の「提案」であって、価値を「提供」することではない。
 近年のオープンイノベーションブームでは、事業者間での共同開発や事業提携を「共創(協創)」と捉える向きもあるようですが、S-Dロジックにおける一義的な「共創」の相手は受益者となる顧客であって、「オープンイノベーション=共同開発」という理解は、生産者側の価値提供を共同化しようという概念に止まり、G-Dロジックの域を出るものではありません。

画像3            【S-Dロジックのイメージ】

4. なぜ今、S-Dロジックに注目すべきか?

 では、なぜ今、S-Dロジックに注目すべきなのか。こんなメタファーで考えてみると、わかりやすいのではないでしょうか。

 太古の昔、人類は生存するために、体力に恵まれた若い男性達が獲物を求めて狩りに出た。年老いて狩りが難しくなると、その経験を生かして狩猟のための道具を作る。帰りを待つ女性達は、獲物を調理して皆に提供する(あくまでメタファーなのでジェンダー論からのご批判はご容赦ください)。そうやって、お互いのスキルを提供し合い(資源を統合し)、人々の生存可能性を高め、社会に豊かさをもたらす(=価値)のがビジネスの原型であり、本来ビジネスというものは、そういうものであるはずです。
 ところが、人口の増大や社会の複雑化に伴い、そうした原型が見えにくくなっている。特に産業革命以降、モノへの欲求を満たすための大量生産が拡大して、モノ自体に価値があり、モノの販売を増やして経済規模を拡大することが豊かさであるかのように考えられてきた。その見方がまさに、G-Dロジックです。

 しかし、山口周氏が説かれるところの「高原社会」に到った今、生産者が価値のあるモノやサービスを創造して消費者に提供すると考える、G-Dロジックはもはや限界にきているのではないか。モノ不足の時代においては、モノを供給することが顧客にとっての価値(使用価値)や社会の豊かさに直結したが、顧客が価値(使用価値)を感じられないモノや社会を破壊しかねないモノまで、貨幣と交換できるからといって、価値があると捉えてもよいのだろうか。G-Dロジックは、モノ不足の時代において適用可能な過渡的な理論であり、環境破壊や格差拡大に対して人類の向き合い方が問われている今、ビジネスは本来の姿に立ち返る時期に来ているのではないか。

 繰り返しになりますが、ビジネスとは本来、人(企業)がお互いの持つ知識やスキル等の資源を生かし合い、人類の生存可能性を高め、社会を豊かにするために行われるものであるはずです。
 自らが持つ資源を、顧客をはじめとする他者が持つ資源と統合して、お互いの生存可能性を高め、社会をより豊かにする新しい価値を創出する。S-Dロジックのレンズで見ると、それがこれからの企業活動の基本的な姿勢と考えることができるのではないでしょうか。

5. G-Dロジック,S-Dロジックと知的財産

 さて、もう一つのテーマであるところの「知的財産」ですが、このように考えてくると、現在の知的財産制度(特に特許制度)や知財戦略(特に特許戦略)が、G-Dロジックを前提としていることが明らかになってくるかと思います。
 企業が高機能や低価格といった顧客に提供するモノの価値を競い合う中、知財は競合者が問われている共通の課題に対して最初に見つけた「正解」であり、その正解をカンニングされてしまわないように、知財権という武器を使って他者(競合企業)を排除しなければならない。そうした他者(競合企業)との差異化手段となる知財をどのように活用するかという知財戦略は、シェアの向上・収益の拡大という明確な目標に向けて、ロジカルに計画されるべきである。
 こうした文脈で説明されるのが、G-Dロジックに基づく知的財産に関する基本的な考え方です。

画像3    (G-Dロジック,S-Dロジックにおける知的財産の位置付け)

 では、S-Dロジックのレンズを用いると、知的財産はどのように見えるのでしょうか。
 S-Dロジックでは、価値は受益者(顧客)が便益を認識することで生じると考えるので、知財そのものが価値を有するわけではなく(=課題に対する「正解」ではなく)、顧客に対する価値「提案」を構成する資源の一部となります。そして、自らにオリジナリティがある固有の資源である知財は、その価値提案の核になり得るものと言えるでしょう。
 また、S-Dロジックでは、モノとモノがその価値を競い合うのではなく、自らの資源を他者の資源と統合することで価値が生まれると考えるので、知財はその価値を生む資源の一つであり、資源を統合する他者を呼び込む(=他者の共感を得る)誘引剤や、新しい価値を共創する材料と位置づけることができそうです。知財は、それ自体を独占することではなく、それを元に他者の共感や協力を得ながら価値を生み出すことに意識を向けるのが望ましく、企業の競争力の基盤は、知財権による個々の知財の保護よりも、知財を含む他者との資源統合により生み出されたエコシステムの強固さに委ねられるべきでしょう。
 知財はこうした資源統合の中核となり得るものであり、その活用や戦略は、ロジカルな計画的手法によるよりも、アジャイルな手法によって、創造的にデザインするのが適合的であると考えられます。一定の枠組みの中で最も効率的・効果的な策を探るには、ロジカルな計画が有効ですが、変数が多く不確実性の高い環境下において新たなものを創り出していくには、試しながら前に進んでいくしかないと思われるためです。

 「サービス・ドミナント・ロジックの進展」には、技術と知的所有権は価値提案における重要な資源であるとして、二次創作や三次創作のために著作権を解放した初音ミクの例が紹介されています。許諾の敷居を下げて資源が再統合される可能性を高めれば、サービス・エコシステムの生存可能性も高まる(ひいてはその中で活動する著作権のライセンサーやライセンシーの生存可能性も高まる)、という考え方です。著作物の適正な再利用を促進するクリエイティブ・コモンズの活動も、同様に捉えることができそうです。
 これらの動きはいずれも、創作物をそのまま知的財産と把握できる著作物(著作権)に関するものであり、同じ知的財産であっても、創作物から権利の対象を抽出する工程が必要になる発明(特許権)等の知的財産に、そのまま適用できるものではありません。産業財産権の対象となる知的財産は、提案や共創に活用するとしても、その対象を可視化して、提案や共同利用の対象として扱える状態にすることが必要になるという意味において、従来からの知財活動の基本的な意義は失われないでしょうが、その活用をイメージする上で、S-Dロジックは大きな転換をもたらし得るのではないかと考えています。

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