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デザイン経営はこれまでの知財関連施策と何が違うのか?(2)

 前回の投稿(デザイン経営はこれまでの知財関連施策と何が違うのか?)の続編として、知財関連施策においてなぜデザインが注目されているのか、少し視点を変えて整理してみたいと思います。

 デザイン思考が求められる背景としてよく言及されるキーワードが、今の社会が向き合わなければいけなくなっている「厄介な問題(Wicked Problem)」です。それだけだと少々理解しにくい概念ですが、↓の動画の2:35~3:25あたりの長谷川先生の説明を聞くと、とても理解しやすいです。

 要は、時代が進むにつれて、
① 単純な問題(Simple Problem)
② 複雑な問題(Complex Problem)
③ 厄介な問題(Wicked Problem)
と、解くべき問題が高度化している。

 ①→②の段階では、解くべき問題は難しくなるものの、正解が存在しないわけではない。単純な一次方程式が、複雑な連立方程式になるような関係です。
 企業経営を例にとれば、①の段階では、とにかく収益を増やして事業規模を拡大するために、より品質の良いものを、より低コストで提供するにはどうしたらいいか、という問題を解く。それが簡単な問題というわけではないけれども、構造的にはシンプルな問題です。
 これが②の段階になると、多様化する顧客ニーズにどのように応えるか、品質とコストのバランスをどのようにとるか、どの領域にどの程度の経営資源を配分するかといった、少量多品種的なマーケットへの対応が求められるようになります。問題は複雑化し、より難解になりますが、収益を最大化するための経営資源の最適化という正解が存在しないわけではない。少なくとも正解が存在するという仮説の下で、経営戦略・事業戦略が組み立てられていくことになります。
 ところが③の段階では、解くべき問題の性質が違ってきます。企業は収益を追求するだけの存在でよいのか?社会や企業自身が持続的に存在するために様々な社会課題にどのように向き合っていけばよいのか?株主利益と従業員の幸福をどのように両立させることができるのか?…経営者はこうした正解のない問いに向き合いながら、前に進まなければならなくなっています

 正解があることを前提に、その正解を追求する①②の段階から、正解のないなかを進まなければならない③の段階へ。おそらくこうした変化はリーマンショック、東日本大震災といったあたりから顕在化するようになってきているのではないでしょうか。
 私自身も、それ以前は「企業価値を高める知的財産戦略」をテーマに活動していたのが、2010年頃から「知的財産で引き出す会社の底力」にキーフレーズが変化するようになりましたが(ちなみに現在のビジョンは「日本の中小企業をかっこよくする」です)、正解を求めるロジカルな知財戦略や、知財と経営コンサルティングを組み合わせたような活動に何か違和感を覚えるようになったのも、そうした変化を意識するようになっていたことの表れであったのかと思います。

 ①単純な問題(Simple Problem)→ ②複雑な問題(Complex Problem)→ ③ 厄介な問題(Wicked Problem)という変化を知財の領域に適用すると、下の図のように整理することができます。

解くべき問題の変化と知的財産

 製品の競争力を高めるという「単純な問題」を解くことを求められた時代において、知財マネジメントの目的は特許で稼ぐこと、そのためには「広くて強い特許」を取得することが重要であり、個々の「特許の質」が求められた(尚、これは構造が「単純」と分類しているだけであって、こうした取組みには高度な思考が求められ、それ自体「簡単」だと言っているわけではありません)。
 それが多様化するニーズに応える「複雑な問題」を解くことを求められる時代になると、「特許で稼ぐ」という課題から、「知財活用で収益を拡大する」といった以前よりレンジの広い課題が提示されるようになります。ここでは個々の権利の力で優位性を維持するだけではなく、保護と利用のバランスをとりながらビジネスモデルで勝負するオープン&クローズ戦略や、多様な知財権を組み合わせることで競争優位性を築く知財ミックスなどが、注目されるようになりました。
 問題が複雑になるにつれ、知財戦略も高度化していった、ということですが、正解が存在することを前提にしている点において、両者に違いはありません。
 その後に生じているのが「厄介な問題」で、知財による独占は社会的に正しいと言えるのか?知財はただ利潤を追求するだけでよいのか?企業が様々な社会課題に向き合うことが求められる中で知財には何ができるのか?新規事業等のプロジェクトがアジャイルに進行するようになる中で従来からの知財プロセスをどのように適合させていけばよいのか?などなど…悩ましいのは、正解が存在しない問題に向き合うことになると、正解を導くためのオープン&クローズ戦略や知財ミックスといった高度な知財戦略は、本質的な解決策にはならない、ということです。ここに知財の領域においてデザインのアプローチ、デザイン経営が求められることになった理由があると考えられます。

 では、なぜデザインが処方箋となり得るのか。
 もちろん「正解のない問い」に向き合うことになるので、デザインは正解を与えてくれるわけではありません。そこに示されるのは、「正解のない問い」に向き合い、前進していくためのアプローチであり、デザインの意義・特徴や、これまでのデザイン経営に関する議論から考えると、以下の2点がポイントになるのではないでしょうか。

デザインのアプローチのポイント

 一つ目は、「中小企業のためのデザイン経営ハンドブック」にその重要性が強調されている、会社の人格形成におけるデザインのはたらきです。具体的には、アイデンティティやビジョンを可視化して明確にすること、もっとわかりやすくいえば、自分達が何者で、どこに向かおうとしているかを明らかにすることです。

 なぜアイデンティティやビジョンの明確化が重要なのか。
 この点について「ビジョンとともに働くということ」(山口周さんと中川淳さんの対談本)に
  地図がなくてもコンパスがあれば前進できる
という、とても腹落ちする説明がされています。
 これからの経営者は、地図を見て歩く旅行者ではなく、コンパスをもって進む探検者でなければならない。こちらに進めば正解という地図(事業計画)を作ったところで、周囲の環境はすぐに変わってしまうし、途中で地図にない問題も発生する。地図ができるのを待つのではなく、自分が目指すべき北極星(ビジョン)を定めて、不測の事態が起こりながらも、意志をもってそちらに進むしかない。そのためには、自分=アイデンティティをしっかりと意識し、向かうべき方向=ビジョンを見定めるのが大事になる、ということです。

北極星(ビジョン)を定め、意志をもって前進する

 事業領域の広い大企業ではなかなか難しいテーマですが、中小企業はここをしっかりやるかどうかが極めて重要で、自分が中小企業のビジョンを言語化する際に外してはいけないと考えているポイントは、次の3点です。
1. 経営者・従業員が腹落ちすること
2. 経営判断の基準になること
3. 顧客やパートナーに共感を得る楔となること

 二つ目は、そうやって定めた北極星に向けての進み方になりますが、こうした未知の領域を進む場面で有効なのが、人を中心にしっかり観察し、プロトタイピングを繰り返して少しずつ前進する、デザインの探索的なアプローチです。こちらの意味についてはもう各所で説明されていますので(特許庁ホームページの「デザイン経営とは」etc.)、ここで改めて繰り返すことは控えておきます。

 厄介な問題への対処法がデザインのアプローチと述べましたが、デザインという対処法では知財の領域における解を示したことにはならないので、では知財については何をすればよいのか?という疑問が生じてきます。
 しかし、禅問答のようになってしまいますが、正解がないのだから、オープン&クローズです、知財ミックスです、IPランドスケープです、といった直接的な解を示せないのは、ある意味当然の帰結です。もしそれらが一般的な解であるかのように語られているとすれば、それは厄介な問題という問題の本質から目をそらしている(あるいは、思考が「複雑な問題」の段階に止まっていて問題の本質に気づいていない)ことの表れではないでしょうか。この点、①→②の移行期を経験して、②に対する解決策を信奉しがちな自分達の世代こそ、要注意です。

 結局のところ、厄介な問題に対してデザインのアプローチをOSに据えて探索的に前進しながら、時々に発生し得る知財が関連する単純な問題や複雑な問題に対しては、これまで身につけてきた解決法を適用するとともに新たな解決法も模索し、厄介な問題をブレークダウンした個々の問題に対処していくしかないのではないかと思います。
 結論になっていないような結論ではありますが、これまでの知財的な手法では、厄介な問題に対処することができないことを、まずは自覚する。そして、知財を考える際にも、いきなりテクニカルな手法を持ち出すのではなく、デザインのアプローチをベースに置きながら会社がどの方向に向かっていくのかを確認し、その上で、問題をブレークダウンして知財的な対処も探索的に進めていく。

 知財実務を担う者にはおそらく2つの選択肢があり、第1の選択肢は、そうした厄介な問題の扱いは経営層や事業部門に任せて、それが単純な問題や複雑な問題にブレークダウンされたところから、それらの問題を解決すべく自らのスキルを発揮するというスタンスです。第2の選択肢はもう一歩踏み込んで、経営者や事業部門が厄介な問題に悩むプロセスにも加わって、そこで生じてくる知財に関する問題は自らが引き取って、その解決に知財のスキルを発揮するというスタンスです。
 これはどちらが正しいといった話ではなく、各々の企業の組織体制や役割分担、各人の経験値や志向によって、どちらもとり得る選択肢であると思います。
 ただ、後者において重要になるのは、厄介な問題に向き合う段階では、それが正解のない問いであることを自覚して、安易に知財的な解決策に持ち込もうとしない姿勢です。単純な問題や複雑な問題の段階における思考のままで経営への関与を深めようとすることは、これからの時代、知財に限らず結構危険な行為ではないかと思いますので。

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