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なぜ教育とエビデンスは相性が悪いのか?

「なぜ教育(教育政策)とエビデンス(科学的根拠)は相性が悪いのか?」
教育学部に入ってからずっと考えていたことです。
今回は文科省官僚を目指し、教育学系教育学部に入学した教育学部生が4年目にたどり着いた一つの考えをお伝えします。


結論(一学部生の考え)

教育政策の効果は数値化しにくいから

これです。これに尽きる気がします。
学校教育の目的・目標は一つではありません。
そして、教育の成果を測る指標も一つではありません。
そして、その指標が正しいかどうかも分かりません。
そして、効果が出るのに時間がかかります。その効果は30年、50年経ってからわかることかもしれません。

教育政策(特に学校教育政策)は効果が出るのに時間がかかり、そもそも学校教育の”効果”をどのように定義し、どのように測るのかが非常に難しいがゆえ、エビデンス(科学的根拠・データ)に基づく政策立案が難しいのです。

EBPMという呪縛

なぜ自分がこんなことを考えたのか。きっかけは高校生の頃です。日本の教育政策は時の政治家によってさまざまな方針が立てられ、実行され、効果の検証もないまま次の政策を行うという、思い付きによる教育政策が横行していると思っていました。そんななかEBPM(Evidence Based Policy Making 証拠に基づく政策立案)に可能性を感じていたからです。

しかし、大学に入ってから教育行政学などを学び、果たして教育政策においてEBPMを行うことは望ましいことなのかわからなくなりました。学校教育には数値化できない・しにくい価値(公共性、児童生徒の心的成長など?)があり、数値化できるものだけをみて政策を立てることは、本質を見失うのではないかと考えるようになりました。
もちろん、政策を立案するうえで根拠やデータに基づくことは大事ですが、教育の偶然性や評価の難しさから、エビデンスとの根本的な相性の悪さを感じました。

おわりに

結果的に自分は文科省官僚にはなれなかったので、教育政策とエビデンスの相性の悪さに悩まされることは減るとは思いますが、財政的に余裕がなく、費用対効果が今後さらに強く求められる教育政策現場において、この相性の悪さとデータ化できない価値(学問の自由なども含め)について考えてくれる官僚が増えることを願っています。

また、教育という誰でも主観的に語れる分野において、客観性の重要性は指摘しておきたいです。大きな視点で客観的に教育を捉えること、そのためにデータを用いることは重要だと思っています。


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