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道徳の発達段階は?

最近、一日に同時に国語と道徳の授業があったので、両者を比べて、ふと考えさせられたことを記録しておく。

中学3年、国語の授業は『おくのほそ道』。生徒が中2までの国語で何を押さえて学習してきたのかは分からない。ある程度生徒とやり取りしてそれを確かめる。すると、少なくとも視写という言葉を知らないことが分かった。

なら、教えてあげればいい。その意義、方法と、実際に生徒がやってみた後の活動価値のフィードバック。具体的には、暗唱部分と視写練習の範囲を一緒にして、その効果を体感しやすくさせる。範囲は短く全員必須にし、まずは成功体験を植え付け、次の学習活動に繋げさせよう。…と国語では系統や発達段階による指導のスモールステップがある。自分の指導技術もまだまだだけど、教師がその姿勢をとることが子どもに与えるポジティブな効果は侮れないと思っている。

一方、道徳では(特に前年度までの流れがわからない新しい学年に入ると)、その系統性を感じることができない。中学の内容項目と指導事項には元々系統がないからだろうか。

"この発問に対して中1ならこんな返答だろうし中3ならこんな返答だろう…" 程度の分析しかできていない。

この日、中3に、準備した教材で準備した発問をした。でも全く同じものを中1に示したとして、果たしてどんな違いが生まれるか。下手したらほぼ生まれないかも。

それは道徳的な生徒の発達段階を見誤っている可能性がある。

中学道徳の発達段階、今日はそこで立ち止まった。

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