ショートショート『魂は石みたいな形をしている』

金髪の少女だった。
***
 真由子は力いっぱい目をつぶり、直前の記憶を思い出そうとする。いや、記憶は鮮明だ。思い出そうとする、というより、確認しようとする、と言った方が正しいかもしれない。
 その日の夕方、真由子はオフィスを出て、恋人との待ち合わせ場所に向かうところだった。タクシーを拾おうとしたが路上駐車している宅配業者のトラックが歩道への視界を遮っていたのでしかたなく車道に出ると、真由子すぐ脇を金髪の少女が車道の真ん中に歩いていく。向こう側が透けて見えそうな儚げな少女だった。あぶない!と反射的に少女の手を取ろうとし-。そこで記憶が途切れている。何度反芻してもそれ以上思い出せない。
 真由子は最初、半狂乱になって喚いたり、どういうことなの、と叫んだりしながら必死に状況を理解しようとしていたが、何度も何度も同じ記憶を辿ることに疲れ果ててしまい、ゆっくりと目を開けた。
 山、湖、川。きつく目をつぶっていたせいか、空を見上げると星の光さえ眩しい。ついさっきまで自分がいたはずの都心の喧騒とあまりにかけ離れた目の前の光景に、半ば考えることを放棄して湖から川が流れ出す様子をただぼうっと眺めていた。
***
「あのー、そろそろよろしいでしょうか?」
 いかにも気だるそうな声に真由子が振り返ると夜の暗がりから着流し姿の男が現れた。
「清美真由子さん、どうもこんばんは。私は須柄と申します。とても残念なことなんですが、あなたは先ほどお亡くなりなりました。ええ。まずはその事実を受け止めてもらわないといけません。」
 やっぱりか、と呟いた真由子の声はほとんど音にならず、唇だけがかすかに開閉した。ゆっくりと深呼吸をしてから、今度はちゃんと相手に聞こえるように尋ねる。
「それでここが三途の川?」
 すると須柄は頭をぽりぽりと掻きながら、申し訳なさそうに答えた。
「みなさんそうおっしゃるんですがね、実際はちと違うのです。この川は、まぁ地獄みたいなものでして。」
 さっぱりわからないという顔の真由子が質問をするのを待つことなく、須柄は説明を続ける。
「この山一帯が人間の世界だと思ってください。人間は亡くなるとこの山間の湖のほとりで荷物を全部降ろして魂だけの姿になり、川を下っていずれ海に流れ出ます。海に混じり、雲になり、山に降る雨になる。そうやって生命は循環するのです。」
「なんだか、イメージしていたのと全然違うのね。てっきり三途の川を渡った後、閻魔様の裁きを受けて、天国か地獄に行くものだと思ってたけど。」
 少し考えてから、真由子は先ほどの須柄の言葉が気になっておそるおそる聞いてみる。
「じゃあこの川が地獄みたいなもの、っていうのはどういうこと?」
「川を下るには、当然船が必要です。」
 須柄はそういうと、手のひらサイズの笹舟を取り出した。
「魂というのは、まあそうだな、この拳ぐらいの大きさの石ころみたいなものだと思ってください。石ころみたいな魂をこの笹舟に乗せて、河口から流します。」
「魂を石ころみたいって喩えるのってどうなの。なんだかあなたが悪魔みたいに見えてきたんだけど。」
「いやいや悪魔だなんて滅相もない、私はただの渡船場の親父ですよ。さて話を戻します。魂の重さは前世で犯した罪の重さです。つまり、重ければ重いほど船はすぐに沈んでしまうんです。でも、沈んでしまったからといってそこで終わりではありません。冷たい川の水と川底の地面、先に沈んだ魂達と擦れ合いながら長い長い時間をかけて海を目指すことになります。その間に魂の角も取れて、だいぶん丸くなるでしょう。川底を、次に生まれ変わるまでに魂を鍛える獄と思うなら、この川は地獄みたいなものです。」
 説明が終わると、須柄は襟を正してから真由子に言った。
「というわけで、あなたはこれから海を目指して舟旅に出るわけですが、最後に何か言い残すことはありますか。たぶん-」
 真由子は須柄の言葉を遮って話し出す。
「そうね、たぶん私はすぐに沈んでしまう。生きてる間にずいぶんひどいこと、たくさんしたもんね。借金苦で夜逃げや心中しちゃったお客さんもたくさんいたし。」
 真由子はきっと海があるであろう方向を見つめながら-
「最後にあの女の子を助けたっていう善行で、ちょっとは遠くまで流れてくれるよう祈るわ。」
 須柄は真由子の顔から希望を感じなかったが、かと言って絶望も感じなかった。
「それでは。」
 須柄がそういうと真由子の体がぼうっと青い炎になり、そしてゴツゴツした石のような形になった。持っていた笹舟に真由子の魂を乗せ、須柄はそっと、川に流した。
***
 とぷん。という音がした。
「ずいぶん遠くまで流れたね。もっと早く沈んじゃうかと思ったけど。」
「そうですね、彼女は自分が沈むのは間違い無いと覚悟してましたから、それが逆に良かったのかもしれません。人間諦めが肝心でぇ。」
「その落語家みたいな胡散臭い喋り方、どうにかならないの?」
「人間と話したく無いからって、生前落語家だった私を無理矢理ここに留まらせてるのは、ミコト さんじゃあないですか。」
「それはそうだけど、もう三百年以上昔の話だよ、それ。いい加減普通の喋り方に直してよ。それとその着物。もっと今風にしてよね。私の代理人エージェントダサいって死神仲間の間で噂になってて、超恥ずかしいんだから。」
「確かにミコト さんの格好は最近くる子達みたいですねえ。-まぁ考えておきます。そのうち。」
「絶対無視するやつだなそれ。」
「彼女、どれくらいで海につきますかね。」
「あそこまで流れたんなら百年五十年ってところじゃないかな。それだけ転がれば、次はもう少しまともな人に生まれてくるでしょう。」
「そうだといいですね。」
 水面に映っていたのは須柄と、白いブラウスに黒いスカート、絶対領域が神々しい-
金髪の少女だった。


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