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23.1.8 すごいと言われることはしなくていい

おはようございます、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。

1月の上旬ですので、自分に対する戒めをここで話そうと思います。

何かを成し遂げた人は評価されたり、称えられることも少なくありません。特に、インパクトあることを達成すれば認知度も高まり、称賛する方も多くなるでしょう。

かくいう僕も、なにかを大成して名声をもらいたくないと言えば嘘になります。そりゃあフォロワーだって万単位ほしいですよ。登録者数も然りですし、小説のブックマーク数も感想ももっとほしいです(大人気ねぇ)。
そんで毎日のように褒められたいです。そのためにもすごいことすれば「あなたはすごい」と言ってくれると期待してるんです。

それは自分のモチベーションの原動力にもなるでしょう。でも、それを目的にするといつか限界が来ます。少なくともそれをモチベーションの軸にすると、自分の心は貧しくなり、結果自ら首を絞めることになるんじゃないかと考えています。苦しくなっちゃうんですよ。

自分は自分のしたいことをすればいい。すごいと言われることに流されないで、しょうもないことでも楽しいと思えることを素直な気持ちで続けていくことが、自分の心のためになるかもしれません。

って思えるほど澄んだ心の持ち主でないこともまた自覚はしてるんですけどね。うるせぇとにかく承認欲求を満たしたいんだといつも思います。

まぁいいから酒が飲みたい、とにかく今はゲームがしたいと言っているに近いですね(どちらも悪いことではありませんが)。

要は短期的な快楽を得たいことに変わりはなさそうです。それで満足する人間だったらそれはそれでいいのですが、生憎自分はそれで劣等感を感じてしまうめんどくさい人間なので、長期的にみて満足する人生を送らないと死ぬときに後悔しそうな気がするんです。

僕は周囲がすごいと褒めていることに対し、自分も手にしたいと思っていろいろやってきました。目的があるにしろ、博士課程に進学したのだって例外ではありません。何かしらの下心はありましたし、博士になれたらすごいだろうなという気持ちもモチベに繋がったことは事実です。

ビジネス書を読み漁って研究生活に活かそうとしてみたり、何かしらのスポーツを始めてみたり、下手糞な歌や絵描きの練習をしたり……挑戦する人生にしたいという気持ちもあったのでしょうが、とにかく誰かから褒められたいというあさましい気持ちで始めていました。

その心情の根幹には、小さい頃から家でも学校でも認められなかったり、馬鹿にされてはいじめられたり、周りの人が普通にできることができなかったり、人格否定され続けていたりして自分を好きになれなくなったというのが大きいですが。こういうのもそろそろ克服したいですね。

このままだと「すごいと言われること」に振り回され続けて、自分の人生を生きることができなくなる。この状態から脱するのは難しいですけど、じっくりと時間をかけて、だけどあれこれ手を出さずに、何かを究め続けていきたいなと思う次第です。

昨日は抱負という名のやりたいことをつらつらと書きましたが、ちょっと現実的ではありませんでしたね。いや別に仕事の話じゃないんでいいんですけどね、別に現実的でなく、幼き少年が語る夢のように具体性がない漠然としたことを語っても罰は当たりません。ただそのまま行動しようとすると、計画を立てたときより自分を苦しめることになりますけども。優先度と順序が今年のキ―ワードになるかなと思います。

・ひとつのことを究める(リソース85~90%)
・その次にできるようになりたいことにも専念する(リソース10~15%)
・今までの自分を認め、他人も認める

こういう考えの下、自分は行動するようにします。
他の人だって優劣はありますし、何も知識や経験は一元的なものではありませんから(急に何の話)。いろいろミックスしてオリジナリティが生まれるんだと僕は思います。過去を否定するのでなく受入れ、そして手放せるように。越えるのは他人でなく自分だと、忘れないようにしていきたいですね。

それでは良い一日を。


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