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23/6/20_知識の転売化

こんばんは、多部栄次です。
気まぐれ日記やっていきましょう。

毎日日記からぼちぼち日記、そして気まぐれ日記へと変わっていますが、この日記は名前を変更するたびいい加減さが遥かに増す…。その変更をあと2回もオレは残している…その意味が分かるな?(わからん)

フリーザさんの台詞をこんな秒で考えたしょうもない言い回しへとパクって変えたところでふと思ったんですよ。
こうやって構文化は派生して、やがて元ネタがわからなくなって、そしてネタとして陳腐化、あるいは一般に出回っても違和感ないほどまでに波及していくかが起こるんだろうな。そしてそれは知識にも似たようなこと言えるんじゃないだろうか。
って思ったんですよ。

最早専門知識の大体はネットで調べれば知識程度なら学ぶことができますし、文献も調べれば出てくるわけですから、もう僕らの意欲と熱意、必要性の問題のみとなったように感じられます。
そこにsourceともいえる一次情報があって、それをもとに自分なりにかみ砕いたものを他の人に教えて対価を得て…までは良いんですけど、それが延々と繰り返されているような気がしなくもないです。ブログでも本でも公演でも何でもいいですが、人が発信した知識をそのまま横流し、とどめにそれでお金をもらおうとしているのは、ある意味知識の転売をしている構図に見えなくもないんですよね。僕だけでしょうか。それとも皆さんとっくに知ってて、遅ればせながら僕がいまさら気づいたに過ぎないだけでしょうか。

ともあれ、それが良い悪いということを言いたいのでなく、そういう構造になっているの興味深いなって思っただけです笑

とはいえ、知識も濾されていくのを繰り返していけば本来の味というものが薄まっているのは否めないとは思いますけども。まった抽象的な話してますね。

得た知識を自分なりにかみ砕き、糧とし、それを他者に分け与えるのは良いことだと僕は思います。ただ、そろそろ自分で知識を作り出しても良いころなんじゃないかなと思うんですよ。

問いを見つけて、それを解いていく。それが新しい知識になる。それができるのは自分自身、皆さん一人ひとりなんだと思います。

素敵な画像をお借りしました。タキツネさん、ありがとうございます。
それではおやすみなさい。明日もよい一日を。

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