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”友人”のハードルを下げたら一日寝込むことになった話

とも‐だち【友達】
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友ほうゆう。友。

コトバンク『デジタル大辞泉 「友達」の意味・読み・例文・類語』より引用
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94-585036

友人、いますか?
私にはいません。
なぜなら”友人”のハードルを無意識に上げていたから。

もしそのハードルを下げたなら。
一日寝込むことになるのでした。

数多のうちの一人という絶望

遡ること十数年。
当時高校生だった私は、オタククラスメイト数名とつるんでいました。
深夜アニメ絶頂期で日夜新しいコンテンツが飛び込んできて、ニコニコ動画からネタが日々生み出されシェアされる時代。
それは楽しいと思える日々でした。

ある日私は気づいてしまいます。
輪の中でうまくやれていると思っていたのが自分だけだったということに。

ニコニコ動画で『オーディエンスを沸かす程度の能力』踊ってみたオフが流行っていたころ。
クラスメイトのうち数人も踊ってみたに興味を示し、私もその一人としてマネをしていました。
ルカルカナイトフィーバー、本気ボンバー、まっさらブルージーンズ、Bad Apple、オーディエンス…動画を投稿することはなけれど、自分もそういった方面で力を発揮できるのではと夢を見ていたのです。

仲が良かった同級生が「オーディエンスの動画を撮りたい」と言っていたのを聞いて、私は練習します。
動画デビューできるかもしれないと。
世を知らぬクソガキの夢は「他の同級生と踊った動画を目にする」という形で崩れ去ったのです。

私は知ります。
自分は数多いるモブの一人に過ぎないのだと。
自分程度は代えの利く存在で、無下に扱ってもなんら支障ないし心も痛まないのだと。
その後、私が”友人”と呼べる関係の人を作ることはなくなりました。

友人のハードルが南アルプス、誘われないマン誕生

天然水ジョバジョバ出す”友人”のハードル山脈が出来上がりました。
何の天然水かって?孤独です。
つめたーい。

私は孤独さんと遭難することになりました。
南アルプスを越えてまで私を救ってくれる人などいません。
メンタルに問題を抱えたパートナーと身を滅ぼすような恋愛ごっこを重ね、埋まりもしない対人関係への飢えを逃れようとします。
無論、ザルをマイナスイオンドバドバ天然水が通過していくだけ。

そんな私の内面を察してなのか、私自身が深い繋がりを避けたからなのか。
定かではないものの、無事「誘われないマンあさぎ」が誕生します。
自分からアクションを起さない限り永遠にボッチ遊びの探求ができる、精神と時の部屋引きこもり人生の始まり
でした。

解決の糸口は見つかりません。
自己啓発本、You〇ube、Yahoo〇恵袋…どれも友達製造マシーンなぞ提供してくれない。
かくしてオーディエンスを沸かす程度の能力(の振り付け)を身に着けた私に残ったのは、オーディエンスのいないフロアだけでした。

距離の近いSNSという劇薬が”友人”のハードルを下げる

事態が変わるのは2023年。
某Twitterで騒ぎが起きた際に登録したSNSで知り合った人々との出会いでした。

当初はお嬢様おじいちゃんとして振舞っていたものの、いつしか特定の方々とコミュニケーションを取る場へと変わっていました。
そもそも他SNSへの移住という変容が起きている不安定な状況ですから当然の結果。
裏を返すと、そういった変容の中でも関係を維持できた、距離感の近い濃密なコミュニティの形成に成功したのです。

こうしたコミュニティで何が起きるか。
そう、オフ会ですね。
それなりに積極的な参加をしました。
休みの日に予定がないのは非生産的だと、ある種のセルフネグレクトのように休みなくスケジュールをぶち込んでいきました。
…オフ会がない日?美術館と撮影ですね。

ここで私は一つ決意をします。
対面した、あるいは会ってもいいという関係になった人々を、”友人”のカテゴリに格納しようと。
かつて「多の中の一」であったことに絶望した私からすれば大いなる決断でした。

東北弾丸旅行、のち寝込む

オフ会に興じるさなか、さらに大きな行動に出ます。
コミュニティ内で敬愛する方のもとに足を運びました。
目的地は青森県。
そして帰りに寄り道して宮城県。
それも日帰り。

当日の朝は眠くて仕方ありません。
過去2か月予定のない休日はありませんでしたから。
前の週はオフ会×2でどんちゃん騒ぎして、合間に撮影と美術館をはしごして疲労。
さらにメガネを新しく作ったら頭痛吐き気肩こり首こりに悩まされ、会社も早退するような中行ったのです。
あやうく新幹線で寝過ごすところ、な状態。

オフ会自体はとても楽しい。
ほぼ始発で出発し、ほぼ終電で帰る旅程。
ずっと会いたかった人に会えたし、過去の旅行の心残りを解消もできました。
しかし、しかし、年明けから動き続けた私の体はとうとう限界を迎えます。

翌日、五度寝。
それまで経験したことのない倦怠感、美術館へ行った方がいいのに動かない脚、回らない頭。
ありとあらゆることにエンジンをふかし続けたツケを、一日無駄にすることで帳消しにさせられました。
何事もほどほどがいい。

友って何かしないと維持できないものなのか

結論、ハードルを下げたって、どうってことありませんでした。
結局怖がっていたのです。

「自分は友達だと思っていたのに…」みたいな事態になったとき、恥だし悲しいし、何より見捨てられたような感覚に陥ることを。

友人が増えたことで、当然仲たがいしてしまうことも増えました。
今なおギクシャクしたままの人が多く同じコミュニティで暮らしています。
でも本来的にはそういった経験を早くにした人が大人になるだけで、私はその経験が遅かった、あるいは繊細過ぎて受け入れられなかっただけで。

この苦しみは、いま改めて自分が人間として、大人として経験すべき当たり前を補習させられているに過ぎません。
自分に完璧を求めてしまう未熟さを、力ずくでねじ伏せる居残り授業。

苦しみの中で一つ、私の中に疑問が生まれました。
こうして会ってくれる人たちは、私が写真や文章をやめたとき、同じように接してくれるだろうか。
価値提供できなくなった私に、時間を割くだけの価値はあるのか。
五度寝しないといけないほど必死で創作活動をしていないと、私は誰かと仲良くする権利はないのか。

私に会おうというキッカケは写真や文章を通じた興味でしょう。
ではその機能が喪失したら?
直感的には、トークなり企画なりで楽しませたり、素敵な外見で幸福感を味わわせたり、そういったことが出来ない以上会う価値はなさそうです。

しかし客観視したとき、私は相手をそういった観点で値踏みして会っているかと言えばそうではなく、その人と会ってみたいという単純な興味だったり、いつも仲良くしてくれているからという感謝の気持ちで行っていることに気づきます。

すごく難しいけど。
そういった感覚を受け入れて、ときに嫌われもするけど完璧じゃない自分も受け入れるように。
その先に人間らしい振る舞いがあるのではと、いまは思えています、というより自分に言い聞かせてる。

寝込むまで根詰めなくても。
私が何かできなくなっても。
会いたいと思ってくれる人のことを大切にしたいなと。
それと同じくらい、私も誰かのことを大切に思いたいなと。

おわり。

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