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『オリンピア』作者デニス・ボックさんからのメッセージ

 昨年12月5日に『オリンピア』(北烏山編集室)が刊行されて少し経ったころ、日本語版を受けとった作者のデニス・ボックさんから出版社宛にお礼の連絡が来ました。その返信で、何か日本の読者へのメッセージを書いてくれないかとお願いしたところ、新年早々にメッセージが届きました。数行程度のごく簡単なメッセージを予想していたのですが、届いたのは1ページ余りに及ぶ長いものでした。そこには、連作短編集『オリンピア』がどんないきさつで構想されたのかがくわしく書かれていました。
 すばらしいメッセージを送ってくださったボックさん、ありがとうございました。以下がその全文の日本語訳です。『オリンピア』を未読のかたも、すでに読了なさったかたも、ぜひご一読ください。特に未読のかたにとってわかりづらい個所がいくつかあったので、わたしの判断で注釈を入れてあります。

『オリンピア』のアイディアを思いついたのは、1994年、バンフ芸術センターにいたときのことでした。わたしは20人の新進作家のひとりとして、カルガリーから車で90分のアルバータ州バンフにあるその創作工房に招かれ、ロッキー山脈で5週間を過ごすことになっていたのです。当時30歳だったわたしは、4年間のヨーロッパ滞在から帰ったばかりで、ふだんの生活や日々の雑事から遠く離れた山中にこもってどれだけ執筆ができるかに興味津々でした。
 すでにその時点で、わたしはのちに『オリンピア』におさめられる短編の2つか3つを書きあげ、発表していました【1】。ほかの短編はまだ執筆していませんでした。作品の軸をなす主題と全体像がまだ決まらなかったのです。発表ずみの短編をひとつの大きな作品にまとめて、作中に浮かびつつあるアイディアやテーマに合致する短編をさらにいくつか書けないものか、とわたしは模索していました。
 山の夜は凜々として美しく(12月のことでした)、ロッキーの高峰に降りしきる雪が宿泊所の窓の外に深く積もっていました。夜間には建物のなかで、全体企画や、それぞれの作家の部屋での自主的な集まりがおこなわれていました。全体企画のなかには、芸術センターの劇場での映画鑑賞がありました。上映されたのは1993年のドキュメンタリー〈レニ〉【2】です。それを観たとき、ずっと見つけられずにいた疑問の答が頭に浮かびました。
 舞い落ちる雪のなか、わたしは駆け足で部屋にもどり、新たな短編に取りかかりました。タイトルは「オリンピア」【3】で、そこからつむぎ出されるオリンピックという縦糸が、執筆ずみのいくつかの短編と翌年に書く予定のいくつかの短編を結びつけることになります。すでに書き終えていた短編は、70年代にカナダで新生活をはじめたあるドイツ系移民の家族を中心に据えていました。このとき掘りさげようと思ったのは、わたしが生み出した架空の家族と、オリンピックの標語としてよく用いられる「世界じゅうの国は家族」【4】という考えとのつながりでした。その興味深い類似に、わたしの心は駆り立てられました。
 全編の語り手である若きピーター・ウォーターマン【5】は、20世紀の残虐な歴史から逃れることができません。ドイツの祖先を持つ者にとって、前の世代の罪は無視できないのです。祖先の国からおじが訪れたとき、ピーターはこの奇妙な親族のあらゆる言動に脅威を覚えます。そして、その感覚はすぐに、すべてのドイツの家族に不吉な過去がひそんでいるのではないかという恐怖に転じるのです。忌まわしい国から離れようとしながらも、ピーターとその家族は過去がけっして遠ざからないことに気づきます。一方、オリンピックも遠ざかることはなく、歴史そのものと同じように背景に居すわりつづけて、ベルリン、ミュンヘン、メキシコシティ、モスクワの大会で、抗議やファシストのプロパガンダやボイコットやテロの舞台となりました【6】。
『オリンピア』を発表してから25年が経ったいま、訳書を日本の読者にお届けできることを大変うれしく思います。作品を一気にまとめあげるアイディアに胸を熱くして、雪の舞う森を駆け抜けたあの日から、ずいぶん長い月日が流れました。日本の読者のみなさんがこの新しい版で、同じように胸を熱くする何かを見つけてくださることを祈っています。

【1】『オリンピア』は7つの短編から成る連作短編集。
【2】原題 "The Wonderful, Horrible Life of Leni Riefenstahl"。ベルリン五輪記録映画二部作〈民族の祭典〉〈美の祭典〉(原題 "Olympia")の監督レニ・リーフェンシュタールの人生に迫るドキュメンタリー。
【3】連作短編集『オリンピア』の第2話「オリンピア」(ギュンターおじの登場する話)を指す。
【4】『オリンピア』p.055 にこのことばが見られる。
【5】『オリンピア』の主人公ピーターの苗字は、作中では明らかにされない。「水」の物語と呼ぶべきこの作品で、Waterman という苗字を作者が想定していたことはきわめて興味深い。
【6】「抗議」はメキシコ五輪(陸上男子200メートルの表彰式で黒人メダリストふたりがおこなった差別への抗議行動を指す)、「ファシストのプロパガンダ」はベルリン五輪、「ボイコット」はモスクワ五輪、「テロ」はミュンヘン五輪(『オリンピア』第2話参照)が舞台となった。

Dennis Bock "On Writing Olympia"


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