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BTS:バンタンに学ぶ超ポジティブ子育て🌈✨


「春はミラクル起こります」


先日、そんな素敵ワードが目に飛び込んできて、翌日締め切りなのに思い立って企画のためにこの記事を書き始めました。


noteクリエイターアミ&画家さんでもあるakkiy☆さんの記事のタイトルで発見いたしました。


企画の内容についてはぜひakkiy☆さんの記事をご確認くださいませ♪



簡単に言うと、

◆あなたのお子さんにまつわる、エピソードをシェアしよう!

という企画だそうです。




書き始めたものの、さすがに一日では書ききれず、さらには自分が納得いく笑いに落とし込めなそうだったので、企画への参加ではなく、この企画をきっかけにして、書こうか書くまいか…と思っていたことを書いてみようと思います。




ちょうどワタクシ「奇跡」を信じた子育ての春を迎えているんです。



初めてこちらに訪問いただいた方に少し自己紹介すると、ワタクシ、ネガティブ・根暗・中二病育ち、ちょっぴり外国経由のポジティブアミオタクオンマでございます。


外国=ちょっと海外に住んでた経験ある程度です。
つまりは考え方の一部が外国かぶれしています。

アミ=ARMY=BTSのファンでございます。

オンマ=男子幼児の母です。



もとはネガティブ思考要素が強かった私ですが、海外での経験やその他諸々の紆余曲折を経て、人生に開き直りしてから、何事もポジティブにとらえるような性質になりました。



そんなワタクシでも、あぁ、この人には敵わないなぁ、なるほど、どんな状況でもこんな風にとらえて、こんな風に声をかけたら、子どもは伸び伸び育つのだろうな〜と思わせてくれるのが、BTSの長男、キム・ソクジンさんだったりします。

↑カッコいいに振り切ってるバージョンのソクジンさん



ソクジンさんのことはこれまでたくさん書いてきましたが、こちら↓の記事などお読みいただけると、その魅力をより感じていただけるのではないかと思います。




ワールドワイドハンサムと呼ばれる(自称)ほどの美貌の持ち主で、歌唱力もパフォーマンス力も素晴らしいソクジンさん。


さらには、これまた奇跡のように性格が良いのです。


何でもポジティブにとらえて、ポジティブな言葉に変えるという魔法も持ち合わせています。




最近だと、『Run BTS!』というBTSのバラエティ企画の時にその片鱗が見えています。


こちらは、BTSの皆さまがいろいろなスポーツアクティビティに取り組む回でございます。




例えば、バレーボールで末っ子がアウトになるボールに触れた時。


「アウトを打つマナー」を褒めます。


これ、なかなか出てこないですよね。


「アウト玉なのに何打ってんだよ!」

「よく見ろよ!」


とか言っちゃいそうですが、とても良かったといい、さらには良かったところは「マナー」だと言う。


とうてい思いつきません。




同じくバレーで、六男が逆にアウトボールを見送った時。


ボールに対しての「威嚇する姿勢」をほめたたえます。


ワタクシ、爆笑しました。


そして思いました。



「ボールを威嚇する姿勢」とは…?



レッサーパンダ的なこと?(「レッサーパンダ 威嚇」で検索してみてくださいませ)


こちらもとうてい思いつかない誉め言葉です。




つまりは、どんな些細なことや場合によっては責めたり怒ったりするような場面だとしても、ポジティブフィルタを通して、びっくりするくらいのポジティブワードで返すわけです。



これはもう「白って200色あんねん」でおなじみのアンミカ先生にも似たポジティブさんです✨✨✨

重要なのは、、、


でございます。



こちら↓よりお借りしました。





さらには、子育てにしても子ども自身が育っていく過程にしても、メンタルの強さが大切だと思うのですが、「メンタル強い人」というのがまさに「ポジティブな考え方の人」だと思うんですね。


本田圭佑さんの受け売りです。(該当部分は後半の冒頭)




ついつい、前置きが長くなってしまいましたが、ワタクシの子育てのモットーがまさしくこのポジティブに捕らえて、ポジティブに言葉にする、だったりするのです。



そんな中、直面しているのは、我が息子くんが「発達障害」という診断を受けていることですね。


記事にも度々登場しています。


akkiy☆さんのアート企画にも一緒に参加させていただいたこともありました。





以前、こちら↓の記事で、投稿頻度減るかもーと書いたのは、全力で息子サポートに振り切るための判断でございました。



今までは夜中にコツコツとnoteでBTSのことを書くのが趣味かつ楽しみとしておりました。

今は、その時間もいろいろ調べてインプットして、それらを反芻して、今後について考え、準備する時間にあてたい、ということで、頭の中の割合を息子に全振りしたい、というところなのです。



…とはいえ、BTSはワタクシにとって心の支えのひとつ。

しかも、先ほどのソクジンさんの言葉のように、音楽やパフォーマンスで癒し、力をいただくだけでなく、時として新たな目線などを提供していただけることがあるのです。


そのあたりは、こちら↓のマガジンにて掲載しておりますので宜しければご参照くださいませ。



なので、頻度は落ちますが息抜きと頭の整理のため、投稿は続けてまいります🥰





発達障害に関しては、身近にも同じような状況に直面している方がいらっしゃったり、もしくはご自身が…という場合もあるかもしれませんね。



まだまだ勉強中で不足していることも多いのですが、これまで調べたり、いろいろな方とお話する中で出会ってきた物事のとらえ方や考え方、言葉に、どうも「ネガティブ」が多すぎるな…と感じているんです。


ポジティブなワタクシの場合、ソクジンフィルタにかける術がありますので、真に受けずに自分の中でポジティブに消化しておりますが、当初は専門家、もしくは専門のご担当の話だから、ということで、わりと真に受けていたんです。


しかしながら、いろいろな方とお話するたびに、思いました。


「人によって、言ってることが違いすぎるっ😱」



真逆の意見は当たり前田のクラッカーで、時には同じ人でも前回と今回が違ったりします。



日本の教育に関しては2013年あたりに大きな変革があったようですが、昨年、国連からの勧告が出たりしましたね。

国連が日本政府に勧告「障害のある子どもにインクルーシブ教育の権利を」(野口晃菜) - 個人 - Yahoo!ニュース


ちなみに国連の記事に反応して読むようになったのは、BTSが国連総会に参加した影響も大きいです。(例えばこちら↓)





国連からの提言を見る限り、現状の教育状況に問題はある=すべてを真に受けるのは危険だぞ、ととらえました。

つまりはすべてを鵜呑みにしないようにしようと心にとめたんですね。



国連の提言で問題視されていたことの一つは、障害のある子とない子の世界を分断していることだ、と。


どういうことだろう、と考えました。


分断することによって、何が問題になるんだろう、と。



例えば小学校には普通学級と特別支援学級または特別支援学校などがあったりします。


それぞれのメリットデメリットはよく語られるところですが、違いのひとつにはサポートの手厚さがあげられるそうです。


例えば、普通学級だと30人前後に先生1人のところ、特別支援学級だと10人以下で2-3人の先生がつく、というようなサポート人数の違いですね。


ここでちょっと立ち止まります。

あれ?

それって本当にサポートが手厚いのかな?


そこそこ自立して個別のサポートが不要な30人に1人と、全員個別のサポートが必要とされる10人に2-3人。


サポートの手厚さの意味がよくわからなくなりました。




いろいろと見学に行ってみても感じたことがありました。


お友達からのサポートがほぼない、ということですね。


例えば我が子の場合、保育園でいつでも感動させられるのが、周りのお友達の我が子への接し方です。

理解や言葉の面で後れをとっていることをよく理解し、できること、できないことを良く把握し、ゲームをする時や移動の時など、それはそれは優しくて思いやりのある言葉をかけてくれて、行動をしてくれます。

我が子も、そんなお友達にならって、見よう見まねでついて行ったりする姿も見受けられるんですね。


世界を分断する、ということは、こうした大切なつながりを分断するということなんじゃないか、と。


さらには、もしかすると特に発達に問題がないお子さま達にとっても、分断されることはマイナスになることもあるような気がします。


自分が学び理解したことを理解できていない別の子に、自分の言葉でわかりやすい言葉に変えて伝えることってものすごい有効な学びではないでしょうか。

思いやる心を育てることになるとしたらなおさらです。


ちょうど最近拝見したこちら↓の対談でも、ダイバーシティとインクルージョンについてお話されていました。


ダイバーシティ=多様性を認め、インクルージョン=受け入れることで得られる経験は人生の宝ですよね。


社会に出れば、理解の早い人、遅い人、穏やかな人、キレやすい人、ありとあらゆる人がいます。


そうした社会の縮図となりえる学習環境を分断することで壊している可能性もあるのかもしれません。


人員不足など深刻な問題はあるかもしれませんが、大切にすべきは大人の事情よりも、子どもたちの将来だと感じました。






エピソードは山のようにあるのですが、もう一つ。


だいぶ前のことになりますが、専門家の医師と面談する機会があったんですね。


隣で息子を観ていた保育士さんがカードを取り出し、名前当てゲームのようなことをしていたんです。


ほぼパーフェクトにとてもよくできていました。




そんな中の医師の一言。


「まぁこれも発達障害の症状のひとつなんだよね」



ワタクシ、待ちました。

次に続く言葉を…。


要は「できる」部分に関するフォローの言葉を…。


しかしながら、できることを褒めるでもなく、できることをどう伸ばすでもなく、できることを「障害」の特徴とした結論で終了。

まわりの看護師さんも、無表情でうんうんとうなずいてらっしゃる。


その後も延々とネガティブ祭りでした。



それは専門である医師が職務を全うされているお姿かもしれません。

リスクをしっかりと掲示して、熟考するようにうながしているのかもしれません。

将来のリスクをふまえて、母子を思っての進言かもしれません。




けど、思いました。



できることも、障害の理由とされる結論て何?



と。



ワタクシのようにひねくれたオタクは、おっさ…いや、権威ある医師の言葉を冷静に聞き流して、感じた違和感を切り刻んで分析しますが、ガラスの心の方であれば、ネガティブ祭りでまつり上げられるのは相当辛かろうと思います。


しかも、ネガティブ祭りは場所を変え、人を変え、けっこう頻繁に開催されるんですよね。

現状と、実際に起きるかもわからない未来のネガティブの神輿をワッショイです。




もちろん、いろいろと動いていく中で素晴らしい方もたくさんいます。


ただ、ちょっとやそっとでは教育制度や環境は変わらなそうだな、とも思います。


そんな中で、もっとも変えやすいのはお一人お一人のとらえ方かな、と感じています。

なかなか難しいこともあるかもしれませんが、精神的ダメージを受けた際に、ちょっとだけ視点をずらしてポジティブ要素を探すことで、楽になったり、新たな海路が見つかる場合があるかもしれません。


人生は長いし、世の中は広いです。


誰かが決めた型に、誰かが無理やりはめようとした時、違和感があるのであれば、その型に無理やり入る必要はなく、その型は自分がはまるべき型かい?、そもそもその型って必要なのかい?、というように立ち止まって考えてみるのも一考だと思います。



そんなことを考えていたら、ふと2018年の国連総会でのRMさんのスピーチを思い出し、改めて拝見しました。


新たな視点をもって、胸に刻むことができました。


ありのままの自分自身を認めることは、隣にいるありのままの誰かを認めることかもしれません。

つまりは、誰かを認めたら、自分を認めることでもあるのかな、と。



とりとめもなく書いてきて、思いのほか長文になってしまいましたが、引き続き、頑張って進んで行くとともに、たくさん材料をため込んで、いずれは文字に起こしてみたいと考えております。

個人的なことが多くなるので、アカウントは別にして書こうかなと思っています。

(と書いたものの、このアカウントで書いていきますので訂正します)




最後に息子のTMIを一つお伝えして締めくくりますね。

本日『オズの魔法使い』を初めて読んだんです。

読み終わった後、主人公の女の子の名前がなんだったか質問してみたんですね。

すると「もにゃむしー」みたいな感じで、ドロシーの「しー」だけあっていたので、「ドロシーだよ」と教えました。

じゃぁこの犬の名前は?と、ドロシーの飼い犬のトトを指さしてみました。

息子の答え、「いぬしー」。


ネーミングセンスに、肩を震わせて笑いました。


出逢えたことは奇跡。

個性は美しい宝。

みんな違ってみんないい、というお話でした。


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