人の妊娠を喜べないわけではなかった【2021年の気付き3/3】
人と会うこともなく、ずっと引きこもっていた2021年。その中で気づいたことを書き残す連載全3回の3回目です。
基本的にインターネットの世界で活動していたのですが、そうすると広大なネットの海で気づかぬうちに流れ弾を食らっていたり地雷を踏んでしまっていたり……みたいなこともありました。そのひとつが、この『よく知らない人のつぶやきに落ち込む』です。
人の妊娠出産を喜べないわけではない
夏が来るころまで、SNSに流れてくる「妊娠しました」や「出産しました」「つわりがつらい」などの投稿を見るたびにずーーーんと落ち込んでいました。いろいろあって子供を授かれていない自分。仕事もがんばれていない。やりたいこともない。それなのに妊娠も子育てもできないんだから社会的に出来損ないなやつだと何度も自分を責めていました。それにおめでたい話を素直に祝福できないわたしは人間として欠落しているんだな、とも思っていました。
その気持ちがさらりと薄れていったのは、夏ごろ。
きっかけのひとつは、唯一高校のころから今も付き合いのある友達から子供を産んだと連絡をもらったこと。その知らせを受けたとき、ちゃんと心の底から祝福の気持ちが湧いてきたんです。うわー、めでたすぎる。とってもハッピーなニュースじゃないか。そんな気持ちと同時に「あー、よかった。わたしはちゃんと喜んでいる」とひどく安堵もしました。
その後、別の友達数人から立て続けに妊娠出産した話を聞いたときにもめちゃくちゃめでたい気持ちになったし、SNSで良くしてくれている人たちのご懐妊や出産の投稿を見たときもちゃんとうれしくなりました。
なんだ。良くしてもらっている人のうれしい人生の変化はちゃんと喜べるじゃん。SNSで眺めているだけの人の投稿を見てしていた嫉妬なんて馬鹿みたいだな、わたし。
それに、わたしは周りの妊娠や出産をしていない人のことや子供のいない人生を社会的にどうとかと思う気持ちはこれっぽっちもありません。要するに、自分のことになると途端に卑下してしまっているだけ。
なーんだ。そういうことか。自己肯定感が低いだけじゃん。
さらに言うならば、20代のわたしは子供を授かることに対してとても消極的だったし、今だってめちゃくちゃに切望しているわけではありません。SNSでしか知らない人の妊娠出産の話を見て感じた嫉妬や焦りを紐解いていくと、わかりやすく存在する妊娠出産という多くの人が進んでいる次のステージに進めていない自分に焦っているだけなんだなと気付きました。
なーーんだ。
そうわかってからはこの件について落ち込むことは減りました。自分の人生とは深く関係ない人のSNSを見て落ち込んでる時間があるなら、もっと目の前の大事な人たちやこんなわたしと仲良くしてくれる人たちの幸せを願いたいし、次に進められる自分の人生のステージは他にもたくさんあるだろうからわたしはそっちをがんばったらよくない? というのが2021年の気付きです。
まとめ
これについては、最初Twitterで書こうとしてたけど140字ではもちろんまとめられなくて、ここに書いた1400字でも言葉足らずなところがあると思うので、不快になった方がいらしたらごめんなさい。
これはあくまでわたしのことで、悩みや状況はひとりひとり違うしGoogleに聞いても答えはインターネットに落ちていないから、難しいんだけど、それでも悩んでもがいてちょっとずつ自分で選びながら毎日を重ねるしかないんだろうなあと思った2021年でした。
まとめのまとめ
ということで、引きこもりしていた2021年に気づいて書き残しておきたいこと3選でした。
こういう気づきって他の人からすると「なんだそんなこと」と思われることも多いんけど、実感した本人にとってはそこそこ大きな気付きなんですよね。なので読んでくださった方も、2021年に気づいたことを大事にしながら、時にはアップデートしつつこれからも過ごしてもらえたら、またこのエントリたちがそのきっかけになれていたらうれしいです。
みんなすこやかに生きられますように!
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